長崎県壱岐島のアクロバティックな土地利用法【Iwshkey Advent Calendar 12/9】
こんばんは! 初めましての方は初めまして!
本日の記事を担当する峠の牛乳屋と申します。普段は音声合成ソフトCeVIOを使って、地理解説・旅行・音楽など色んなジャンルの動画を作っています。
突然ですが皆さん、今年12月24日が何の日かご存知でしょうか?
そう、皆さんご存じ…
全 国 高 校 駅 伝 の 日 で す ね !
毎年、クリスマスの時期に京都で開かれるこの駅伝大会は、駅伝に青春を懸ける少年少女たちの晴れ舞台。京都の年末の風物詩として「都大路」の名で親しまれています。
…ところで、そんな「都大路」を題材にした名作漫画があるのをご存知でしょうか?
タイトルは「奈緒子」。
長崎県の離島・波切島を舞台に繰り広げられるスポ根青春群像劇で、2008年には三浦春馬さん主演で映画化もされています。みんなも読もう!
壱岐島ってどんなとこ?
さて、本題ですが…この物語の舞台・波切島のモデルになったのが今回取り上げる「壱岐島」。九州の北西沖に浮かぶ、直径15kmほどの丸っこい形の島です。
地理的に朝鮮半島~日本列島へと続く交易ルート上にあたることから古い歴史書にも多く登場し、なんと弥生時代の都市遺跡(原の辻遺跡)も見つかっています。
人口はおよそ23,000人、周辺の小島を含めた全島で「壱岐市」を構成。市の人口としてみればやや物足りない感はありますが、本土と橋で繋がっていない離島としては多い方です。
島へのアクセスは空路と海路があり、そのうち圧倒的なシェアを誇るのが福岡・博多港からの船便。フェリーで2時間、高速船なら1時間(!)という近さもあって、他県でありながら福岡市の経済圏に属しています(逆に県都・長崎との繋がりはほとんどありません)。
中には毎日、海を越えて福岡まで通勤通学している人もいるとか。結構きつくないか…?
独特すぎる地名と土地利用
そんなちょっと変わった島・壱岐ですが、中身はもっと変わっています。
まずは下に貼った島内各地の地形図や航空写真を眺めてみてほしいのですが…なにか大きな違和感がありませんか?
まず、あらゆる地名が「浦(うら)」か「触(ふれ)」で終わっていること。特に「触」はあまり地名に使われない字なので、かなり異様な印象を受けます。
あと、目につくのは家々の間隔の広さでしょうか。壱岐ではいわゆる「集落」がほとんどなく、広い範囲にわたって民家がばらばらに散在しているのです。しかもわざわざ複雑な地形の丘陵上に四方八方に道を伸ばして家を建てているので、まるで迷路のよう。
一体なぜ、このような景観が生まれたのでしょうか?
浦と触
種明かしをすると、現地のことばで「浦」は漁村、「触」は農村のこと。
ふたつの空間は明確に区分され、対照的な生活スタイルをもっていました。
「浦」は本土の一般的な漁村のイメージに近いです。
大きな山はないかわりに平野も少ない壱岐では、海岸の狭い平地に家々が密集して港町を形成。交番や郵便局などの公共施設もここにあることが多く、いまも地域の核として機能しています。
他方で独特なのは「触」。古代朝鮮語の「プル(村)」が変化したものだとか、或いは「お触れ書き」に由来するとの説もあります。
島全体に広がる広大な丘陵地に家々が散在しているので、同じ触であっても隣の家まで100m以上(!)ということも珍しくありません。逆に触どうしの境目は不明瞭で「すぐ隣の家だけど触は別」なんてこともしばしばです。
私は以前レンタサイクルで島を回ったことがあるのですが、内陸の方はマジでずっと同じ景色(山→田んぼ→時々家)が続いていました。道もそこら中で分岐しまくっており(その先に家が1軒だけあったりする…)、気分はすっかり迷子。
ただ観光地の近くにはちゃんと案内板があるので、よほどの方向音痴でない限りはちゃんと目的地に辿り着けるようになっています。壱岐の皆さんありがとう。
どうしてこうなった?
さて、この独特な土地利用法は、島民の暮らしの中で発明されたもの…ではありません。
江戸時代にここを治めた平戸藩(中心は現・長崎県平戸市。壱岐の所属が長崎県なのもこれが原因です)の政策によるものでした。
今も昔も、行政の関心事は「いかにして年貢(税)をとるか」。
前述のように壱岐は平地の少ない島なので、普通に近所の土地を耕作させただけでは十分な年貢米が確保できません。そこで、背戸山(せどんやま)と呼ばれる丘ひとつを単位として領民に土地を分配したのです。不公平が生じないよう、定期的な土地の交換(割替え)も行われました。
統治者側だけでなく島民にとっても、各家が十分な耕地を確保できるので土地争いの心配が少ないなどのメリットがありました。
こうして、島じゅうに家をばらばらに散らした特異な「散居村」の景観が生まれた…というわけです。
触の役割
ただ問題は、家が離れすぎて「ご近所さん」がいなくなること。人は孤独では生きられません。ここの役目を担ったのが「触」でした。
触の中心にはお寺や神社があり、地域のお祭りや自治会なども基本的には「触」単位。信仰や年中行事を通じて家々を結びつけるコミュニティ機能を担ってきたわけです。
今では薄れつつあるものの、かつてはより小さなコミュニティの単位として近隣の数戸からなる互助組織「講中(こうじゅう)」もありました。物理的に離れているからこそ、こうした精神的なつながりが大きな意味をもっていたのです。
ちなみに、こうした経緯から壱岐には神社が異様に多く(神社庁に登録されているものだけで150社!)、パワースポットの島として売り出し中なんだとか。
浦による補完
一方の「浦」もまた、触のシステム維持に大きく貢献していました。
港町である浦では定期的に市(いち)が開かれ、触・浦の人々が互いの生産物を販売・交換する場として機能していたためです(北部の勝本浦(かつもとうら)には今も朝市が残っています)。
漁業の「浦」と農業の「触」。対照的な産業構造をもつふたつの空間が併存できたのは、この市によって互いの機能が補完されていたからなのです。
触と浦の現在
現在も色濃く残る触・浦の景観ですが、モータリゼーションの進展により綻びを見せている部分もあります。
主要な港を結ぶ道は拡幅されて幹線道路になり、「触」を貫く道沿いに大型スーパーが並ぶようになりました。一方、土地に余裕のない「浦」にはあまり開発の手が入らなかったので、立場が逆転してしまったところも…(なんなら壱岐市役所の住所も「触」)。
でも、おかげで「浦」には昔ながらの港町の雰囲気が残っており、観光地としての風情は抜群!
中心地・郷ノ浦(ごうのうら)に残る飲み屋街をぶらつき、壱岐の新鮮な魚や焼酎に舌鼓を打つ旅も乙なものではないでしょうか?
時間がなくて行けないよ…という方には、冒頭でも紹介した映画「奈緒子」がおすすめ!
実際に壱岐でロケが行われた同作には、名所・猿岩をはじめ島の風景が数多く登場します。この映画を観たあなたは、きっと島にいきたくなるはず。そう、いき島だけにね…!
それでは皆様、よいクリスマスを!
本日の記事は私「峠の牛乳屋」がお送りしました(はぁと)