いわき市塩屋埼灯台海岸線ドライブのご紹介です♪

2011年3月11日この日震災はありました。

皆さんご存知かと思います。いわきの豊間も被害があり、

豊間の町並みはなくなりました。私の母の故郷いわき市豊間です。

母は生前亡くなる前にもう1度行きたがっていました。震災で同級生、

また知り合いがなくなったということを聞き、いてもたってもいられなかったん

だと思いますが、母も病気で動けず 連れて行ってあげることもできず申し訳なく

今でも思っています。

そして母はなくなりました。3年になります。

今回は母の写真を持っていき故郷の豊間に連れて行きました。

今回はそういう理由で急遽いわきまでドライブするということになりました。

母も嬉しがってくれているかわかりませんが、、、

塩屋埼灯台(しおやさきとうだい)は、福島県いわき市平薄磯に建つ大型灯台。

立地と、白亜の美しい外観から「日本の灯台50選」にも選ばれ、

地元では「豊間の灯台」とも呼ばれている。周辺は、

磐城海岸県立自然公園に指定され、太平洋に臨んで、

北に薄磯海岸、南に豊間海岸と海水浴の適地に恵まれ、

マリンスポーツファンにも人気がある。 一帯は潮の流れが激しく暗礁も多い、

海上交通の難所として古くから知られていた。

このため江戸時代から狼煙台がつくられた。

1899年(明治32年)12月15日:煉瓦石造で建てられ、初点灯した。

1926年(大正15年)8月15日:霧信号所(モーターサイレン)設置。

1932年(昭和7年)11月1日:無線方位信号所(中波)設置。

1938年(昭和13年)11月5日:福島県沖地震のため破損。

1940年(昭和15年)3月30日:鉄筋コンクリート造に改築。

1945年(昭和20年):太平洋戦争末期に度々米軍の標的となり、

飛行機や潜水艦からの攻撃を受けて破壊され、灯台としての機能を喪失。

灯台職員も殉職した。

1950年(昭和25年)4月7日:戦災復旧工事によってレンズや灯器を修復。

1957年(昭和32年):映画「喜びも悲しみも幾歳月」

(松竹映画作品、木下惠介監督)が公開され、

主題歌共々日本国内で全国的ヒット。

灯台職員とその家族が日本全国の辺地の灯台勤務で積み重ねる、

長い人生の哀歓を描いた映画作品である。本作は当時の塩屋埼灯台長夫人・

田中きよの手記「海を守る夫とともに20年」(雑誌「婦人倶楽部」寄稿、

1956年8月号に掲載)から原案を得た内容で、

映画には塩屋埼灯台もロケーションで登場した。

1977年(昭和52年)3月29日:霧信号所モーターサイレンからダイヤフラムホー

ンへ変更。

1992年(平成4年)10月31日:無線方位信号所(中波)廃止。

1993年(平成5年)2月:無人化。

2011年(平成23年)3月11日:東北地方太平洋沖地震により消灯

(3月26日発表 航行警報 11-0915 [リンク切れ] )。

2011年11月30日:約9ヶ月ぶりに再点灯。

一般公開(有料200円、小学生以下無料)されている参観灯台で、

階段で上まで登ることができ、灯台資料展示室も見学できる。

公開時間は、8:30 - 16:00(入館は30分前まで)。

年中無休(但し荒天時は休み)。

50台(大型10台)が停められる無料駐車場あり。

2011年3月11日に発生した東日本大震災の被害の影響により、

復旧工事のため一時参観中止となっていた。2014年2月22日再開。

記念碑 灯台の近くには、美空ひばりの『みだれ髪』を歌う歌碑と遺影碑が建ち、

その 200 m ほど北には、永遠のひばり像も建立。

『喜びも悲しみも幾歳月』(映画・木下惠介監督 1957年松竹作品)の記念碑。

所在地 いわき市平薄磯宿崎33

交通アクセス 車:常磐自動車いわき中央I.Cから約25キロ、

車で約40分 鉄道:JR常磐線いわき駅下車江名経由小名浜行きバス、

灯台入口下車、徒歩15分 駐車場 有り:50台(大型可10台)

お問合せ先 塩屋埼灯台橙光会 TEL : 0246-39-3924

ホームページ https://www.kankou-iwaki.or.jp/

案内 トイレ /有り

灯台参観時間 /8:30〜15:30 灯台参観料金 /中学生以上 200円/小学生以下 

無料 休館日/強風・悪天候時

TOUGE DRIVE FACTORYからのご紹介でした♪

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