その瞳に映るもの
「来週の同窓会、どうすんの?」
久しぶりの同郷からの友人の電話。
同窓会なんて、正直面倒くさい。
僕は曖昧な返事をしていたが、友人の次の言葉で一変した。
「お前のお気に入りも来るよ。ほらなんだっけ。チャコちゃん」
瞬間、僕の脳裏に、あの時の色が蘇る。
チャコちゃんは目が悪かった。
本人曰く、『ど近視のど遠視』だそうで、近くも遠くもよく見えないという。
つまるところ、チャコちゃんは何もかもあまり見えないのだ。
「色は分かるよ」
チャコちゃんは言う。
「色はハッキリ分かるよ。凄く鮮やかにみえてるよ」
そう言うチャコちゃんの目も、握り締めたこぶしも、とても小さい。
チャコちゃんは授業中、黒板も教科書もほとんど見ていない。
ノートに絵を描いたり、机の上に彫り物をしたりしている。
チャコちゃんは絵を描くことが好きなのだ。
彼女の描くものは、色とりどりでどこか奇妙で、想像もつかないようなものばかり。
僕は横目でよくチラチラと覗き見していた。
先生達でさえ、叱らずに時々こっそり見て微笑んでいたのを、僕は知っている。
そんな彼女との思い出で、忘れられないことがある。
ある日の放課後、部活の後に教室に忘れ物を取りに寄ると、チャコちゃんがせっせとスケッチブックに絵を描いていた。
時刻は7時を過ぎていて、冬を間近に控えた空はもう真っ暗だ。
「チャコちゃん、帰らないの?」
僕が聞くと、チャコちゃんは「うん」と返事をしただけで手を一向に休めない。
「送るから、一緒に帰ろうよ」
僕はちょっと意を決して言ってみた。
中学生にしてはかなり勇気を出して言った言葉だ。
けれど彼女にはまるで響かない。
「うん」と言うだけで、こちらを見向きもしなかった。
僕は少しカチンときて、スケッチブックを強引に閉じると言った。
「くだらない絵、描いてんなよ」
それはほんの些細な悪意で、彼女の気を引きたいだけたった。
けれど彼女は、髪の毛が逆立つんじゃないかと思うほど目を尖らせて、思い切りこちらを睨んだ。
思えば、チャコちゃんが僕の顔をあんなにしっかりと見つめたのは、あれが初めてだったんじゃないかと思う。
彼女の瞳は黒くてギラギラとしていた。
綺麗だなぁ。
そう思った途端、目の前が真っ赤になった。
チャコちゃんが、僕の顔に手で絵の具を塗りたくったのだ。
僕は怒るよりもびっくりして、尻餅をついて呆然とした。
そしてようやく、自分のしたことの罪深さと彼女の悲しみを感じることができた。
「ごめん」
心の底からそう言うと、チャコちゃんも我に返ったらしく「私もごめんね」と言った。
真っ赤になった僕の顔と彼女の手。
絵の具が飛び散って散々な床。
その状況が妙に可笑しくて、僕らは、ははは、と軽く笑い合った。
帰り道、ぽつりとチャコちゃんは言った。
「私は他の人のより、見えていないものが多いんだと思う」
チャコちゃんはそれが視力のせいなのかは分からないが、右左にふらふらしながら歩いていた。
それはまるで踊っているようだった。
「その分、他の人には見えないものが見えてるんだよ」
僕が言うと、チャコちゃんは嬉しそうに笑った。
街灯も少ない田舎の乾いた冬空の下。
チャコちゃんと一緒に帰ったのは、あの時ただの一度きりだった。
「久しぶり。元気だったー?」
駅前で大きな輪を作りながら、口々に言い合う友人たち。
集合場所に一人やってくる度に、毎度その会話が繰り返される。
「だから同窓会は嫌なんだよ」とぼやきながら、僕はガードレールに腰掛けて、この景色をぼんやりと見つめていた。
高層ビルが立ち並び、光るネオンと雑然とした人だかり。
大人になった僕ら。
今彼女がきたら、その瞳にはどんな世界が映るのだろう。
僕はそわそわとその時が来るのを待っている。