友達/第5話
あれからしばらくは、何もなかった。
毎日俊に起こされ朝ごはんを食べて、出かける俊を見送って、洗濯や掃除をする。
そのあとはお昼ご飯を食べに街に出かけて、ついでに買い出しを済ませて俊が帰ってきたら一緒に夕御飯を食べる。
菜々子はそうやって日々を過ごしていた。
「先生から連絡が来るまでは待機だ」
俊はそう言っていた。
「ただでウチに居れると思うなよ。家事は完璧にやっとけ」
食事は俊が作るが、それ以外の家事を菜々子は強いられた。
おそらく菜々子が勝手に一人で行動できないようにするためなのだろう。
実際、家事はやってもやらなくても文句一つ言われない。
それでも今日一日何をしていたかは、事細かに聞かれた。
先生が何者なのかは知らないが、その人に何もかもを任せられはしない。
菜々子は日中、家事の合間をぬってサイバー・C・プロジェクトに関する情報を探した。
「こんにちは、菜々子ちゃん。今日は採れたての魚が入ってるよ」
ランチは、いつの間にか行きつけの店がいくつも出来ていた。
サイバーシティは大きな街だけれど、一つ一つの区画内はかなり親密なコミュニティになっていて皆気さくで気のいい人たちばかり。
菜々子もあっというまに顔見知りになった。
店長のおじさんおすすめの魚のランチを食べながら、いつものように菜々子は客たちの会話に耳を澄ませる。
プロジェクトのことを覚えている人はいないー。
俊が言っていた通り、確かにサイバー・C・プロジェクトやC電子に関する話をする人はいなかった。
やはり電波塔に行ってみよう。
電波塔は、サイバーウォッチのネットワークを担っている、この町の中枢だ。
正直、自分が電波塔のそばに行ってしまうとどうなるか分からなかったのでずっと避けていたのだが、情報が掴めない以上行くしかない。
菜々子は覚悟を決めて電波塔に向かった。
電波塔は観光地だった。
周りにはショッピングビルやおしゃれな店が立ち並び、広場は人で賑わっている。
下から見上げるとガラス張りの壁が空高く立ち上がり、菜々子を威圧するようだった。
太陽の光がまぶしくて、最上部まで見ることができない。
意を決して最上階までのチケットを買ってエレベーターに乗り込む。
直通はないらしく、一度上層部で乗り換えるようだ。
上層部からは、サイバーシティが一望できた。
研究所から逃げてきた時にみた丘からの景色とは全く異なるようで、でも同じ街だ。
違うのは今、自分がいるのは電波塔の中で、そして一人ではないということ。
そこで最上階に行こうと振り返ろうとして、菜々子は異変に気づいた。
足が床にくっついて離れない。
正確に言うと、とても重いのだ。
次第にそれは足だけではなく、全身に広がった。
なんとか身体を動かそうとして、一歩ずつ進んでいくのだがその一歩はあまりに小さく遅かった。
周りの人々は、景色や土産物に夢中で菜々子のことなど気にもしない。
ざわざわという騒音の中、菜々子は頭が真っ白になっていった。
突然ぽんと肩を叩かれて、振り向くと青い髪の少女が立っていた。
「ここはアンドロイドは立ち入り禁止だよ。知らなかった?」
手が置かれた肩から、少しずつ全身の重さが引いていく。
数分間、菜々子と少女はそのままの姿勢で見つめ合っていた。
やがて少女が再度口を開いた。
「そろそろ歩ける?下まで一緒に行こう」
少女が肩に置いた手を開くと、その中には磁石のような金属の塊が置かれていた。
「特殊な磁性体なんだ。電波を弾くんだよ、これ」
菜々子はその塊が置かれた手に自分の手を重ねた。
つないだ手は冷たい。
二人は手をつないで、電波塔を降りた。
電波塔下の広場にある看板を指差して、少女は言う。
「ここに、アンドロイドは上層部以上は立ち入り禁止って書いてあるでしょ。電波が強すぎるから動けなくなっちゃうんだよ」
何年アンドロイドやってるの?と少女は笑った。
そんな聞き方をされるのは初めてで、菜々子も思わず笑った。
「助けてくれてありがとう。私は菜々子」
「ひよりだよ。ピヨでいいよ」
「ピヨ」
「そう、ピヨ」
ピヨはすっと菜々子に身を寄せると上着をめくると、腹を出して見せた。
「私も、アンドロイドだよ」
その腹には、確かに菜々子と同じように蓋がついていた。
「私以外に、アンドロイドって初めて見た」
「まぁ、多くはいないからね」
ピヨは広場のガードレールに腰掛けながら言う。
「私たちみたいな、人間にそっくりなアンドロイドは特にここ数年出来たみたいだし」
「他にもいるの?」
「何人かは会ったことあるよ」
菜々子は嬉しくなった。
「あの…」
腕輪のことを聞こうとして、そこで菜々子は景色が夕方に変わっていっていることに気がついた。
「あ!買い物して帰らなきゃ!」
それを聞いてピヨは笑い転げた。
「菜々子、主婦みたい」
菜々子は迷った。
明日もピヨに会えるかはわからない。このまま帰りが遅くなってでも今日、話を聞くべきかも知れない。
立ったまま帰ろうとしない菜々子に気づき、ピヨは笑いすぎて涙で滲んだ目をこすりながら言った。
「私は大抵ここにいるから。また今度話そうよ」
そして、菜々子の手にあの金属の塊を握らせた。
「友達の印にあげるよ。またね」
菜々子は大急ぎで家に帰った。
途中で商店街によって、おじさんたちに「今日は遅いねぇ」「菜々子ちゃん、これ持って行きな」と沢山声をかけられ、全てに生返事を返しながらなんとか買い物を済ませ、息を切らせて家に着くと、俊はまだ帰ってはいなかった。
いつものように、俊が作った夕御飯を食べながら今日起きたことを報告する。
「電波塔に行ったよ」
そう言うと俊は、えっと驚き、少し鋭い目をして「どうだった?」と聞いた。
菜々子は話した。上層部まで行ったこと、途中で動けなくなったこと。
でもピヨのことだけは黙っていた。
「なんとか下に行くエレベータに乗って、広場に戻ったら動けるようになったの」
「アンドロイドは電波が強すぎるから、上層部以上は立ち入り禁止だよ」
俊はピヨと看板と同じことを言う。
「菜々子みたいに人間そっくりなアンドロイドはいないから、警備員も気付かなかったんだな」
俊はおでこに手を当ててため息をついた。
だとしたら、ピヨに会えたことは本当に幸運だった。
菜々子はポケットに入れた金属の塊を触る。
真っ赤に燃える夕焼けの中の、ピヨの青い髪と笑顔を思い出していた。