高嶺の花
高嶺の花。
それは、遠くに見えてはいるのに決して手が届かないものー。
『拝啓
山茶花の花びらが往く道を彩るこの頃、如何お過ごしでしょうか。
貴方と偶然お会いしたのはまだ蝉が鳴く暑い季節でしたのに、あの日のことは今も昨日のことのように思い出します。』
…そこまでを書いたところで、彼女は手を止めた。
そろそろ本当のことを言うべきなのかもしれない。
彼と出会ったのは偶然だった。
母の使いで荷物を抱えて山道を登っていた夏の日。
通りかかった彼が、運ぶのを手伝ってくれたのだ。
それからというもの、山道のお地蔵様の横に手紙を置きあって文通している。
しかしー。
「本当は、同じ学校なのよね」
彼女はピン、と便箋を細い指で弾きながら呟いた。
彼の返事を見る限り、どうやら彼は彼女をどこぞのご令嬢とでも思っているかのような扱いだ。
まさか隣のクラスにいる平凡な女だとは思っていないだろう。
書き終えた手紙持って、山道を登る。
お地蔵様に手紙を添えようとすると、そこには一輪の花が添えられていた。
山野草だ。
”高嶺の花”。
彼女はそんな言葉を頭に浮かべる。
隣のクラスの中心的存在で、いつも友人たちに囲まれて明るく話す彼を、本当はこっそり見ていた。
教室から見下ろした昼休みのグラウンド。読んでいる本の隙間から、ちょんっと頭を出して。
彼女にとって、彼は高嶺の花であった。
お地蔵様に添えられた花にそうっと触れる。
お地蔵様は、そんな彼女を黙って見守るのだった。
冬の真昼の太陽が、彼女を柔らかく照らしている。
さわさわとそよぐ風の音が、彼女の心を明るくした。
彼女がいなくなった後、また一人お地蔵様の元にやってきた。
彼は、お地蔵様の横に添えられた手紙を読むと、ふっと呟く。
「偶然ではないんだけどね」
彼女の帰っていったであろう山道を愛おしそうに振り返る。
放課後、友人達と騒ぎながら通った廊下。
ふと、隣のクラスにまだ誰か残っていることに気がついた。
何の気なしに覗いてみると、少女が一人、本を読んでいた。
広い教室に少女が一人。本をめくる音すら聞こえない、静かな空間。
少女の白い頬が夕陽でほんのり赤く染まっていた。
彼は息を呑んだ。
それが、彼女だったのだ。
彼は、お地蔵様に添えられた山野草にそうっと触れる。
"高嶺の花"。
そんな言葉が頭をよぎる。
「どんなに高い山に生えている花でも、僕はきっと会いに行く」
夕陽が彼の背中を照らす。
お地蔵様は黙って優しく彼を見守っていた。