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名前/第3話

男はシュンと名乗った。
偽名かと思ったが
「ニンベンに、ムって書いて…」
とわざわざ漢字まで教えてきたので本名なんだろう。

俊は冷蔵庫から水の入ったペットボトルを放り彼女に投げる。
わっ、と声を漏らしつつなんとかキャッチすると
「ナイス」
と俊は顔をくしゃっとさせて笑った。

硬そうな黒い髪。長身で体格も良かったが大柄でもない。
案外、歳も近そうだ。


俊は彼女がアンドロイドと分かってからも、すぐに警戒を解いた訳ではなかった。
彼女を床に組み敷いたまま、質問する。
「なんでここにいるんだ」
彼女がこれまでのいきさつを話すと、ふーん、と言って、そこでやっと彼女から離れた。
「嘘はついてないみたいだな」

俊がパチン、と部屋の電気をつける。
部屋は急に明るく煩雑になり、彼女はそこで自分がほぼ服を着てないことに気がついた。
バサッと音がしてタオルが頭に被さる。
「とりあえず、汚くて臭いから風呂入れば」
俊は風呂場を指差した。
「襲おうとしたくせに」
彼女が悪態をつくと
「見知らぬ奴が家に侵入してたら、とりあえず身ぐるみ剥がして問い詰めんのは常識だろ」
と意にも介さない。
なんか変な奴だ。


「お前、名前は?」
「分からない。自分の名前も覚えてないの」
互いにペットボトルの水を飲みながら、部屋の床に座って話す。
風呂上がりの身体は、温まって内側から熱を帯びていた。
今まで着ていた真っ白な囚人のような服ではなくて、俊が貸してくれたよく分からない英語の書かれたTシャツとズボン。
タンスの匂いなのだろうか。お線香のような香りがする。
久しぶりに人らしい暮らし。
彼女は嬉しかった。
しかしそう思った途端、少し違和感を感じた。
自分は人ではないのだった。


シャワーを浴びた時に自分の体を見てみると、なるほど所々蓋があって、開けるとコードや電子部品が詰まっていた。
アンドロイドだと知っても、あまり実感がない。
鏡に映った自分の顔をみる。

こんな顔をしてたんだ。

彼女は鏡に触れてみる。
記憶喪失になって、自分の顔まで忘れていたらしい。
それでも鏡に映る顔は、どこか懐かしかった。



「お前が探している情報は」
俊の声で彼女はハッと我に変える。
「ここにあるよ」
俊は拳で壁をトン、と叩いた。
「このサイバー・C・プロジェクトを俺は個人的に調査してるんだ」


「この街で、5年前にある実験が行われた。それは、腕時計で住民の生活全てを賄おうというものだ。電話、インターネット、役所の手続き、買い物、銀行、病院。あらゆるものがこの腕時計に詰まってる。こいつにリクエストすれば、欲しいものはすぐに自分の目の前にやってくる」
俊は腕についた時計を彼女にみせた。
サイバーウォッチ。
街で皆が付けている時計だ。

「実験は成功した。サイバーウォッチは住民の生活に馴染み、必需品となった」

「それなら、何も問題ないんじゃない?」
彼女が首をかしげる。
俊は待ってましたとばかりにふふんと笑った。「問題は次だ。プロジェクトは第2段階に移った」


「サイバーウォッチに命令するには、いちいち声に出さないといけない。だから案外人目を憚られる。ほら、恥ずかしい買い物とか出来ないだろ。だから、今度は時計を付けている人間が頭で命令すると、時計の電子頭脳が感知するようにしたいと考えたんだ。それで、サイバーウォッチの電子頭脳に人間の脳を連動させる実験が始まった。」

電子頭脳に人間の脳を連動。
あまりいい想像は出来なかった。

「お前が言ってたC電子っていうのは、サイバーウォッチの電子頭脳の端末のことだよ。大元になる電子頭脳は、街の外にある研究所にあって、そこから出される命令を受けられるようにするために、サイバーウォッチに追加される予定だったものなんだ。」

トントン、と時計を叩きながら俊は言う。

「実験はかなり大規模に行われたんだが、2年経っても成果が出なくて中止になった。」

そこで一息ついて、俊はペットボトルの水をごくごくと飲んだ。
俊の喉仏がごくごく動く。
ぷはっと水を飲み切ると俊は服の袖で口を拭った。

「噂では、人体実験も行われていたらしい」

彼女はぎょっとする。
「まさか。たかが暮らしを便利にするためだけにそこまでする?」
俊の眼がきらりと光る。
首をゆっくりと横に振ると、声を低くして呟いた。

「このプロジェクトはあれだけ大規模だったのに今ではほとんど情報が残っていないんだ。そして何故か住民達も俺を含めて当時のことが鮮明に思い出せない。おかしいと思わないか?恐らく、何か裏がある」

俊は壁に貼られた研究員達の写真をピリッと剥がした。
裏から一枚の写真を取り出し、彼女の顔の前に差し出す。

「泥だらけの時は分かんなかったけど」

写真には少女が写っていた。
右下に"ケース7"と走り書きがある。

「当時行方不明になった少女だ。名前は菜々子」

それはさっき鏡でみた顔だった。
懐かしさを感じた、私の、顔。

「お前がこの菜々子なんじゃないか?」


菜々ちゃん。菜々ちゃん。
頭の中で声がした。
そうだ、私は確かにそう呼ばれていた。



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