軍曹のチーム
最悪だ。
僕は会社の壁に向かって立ち尽くす。
壁に貼られた一枚の人事通達。
僕は、社内で一番忙しいチームに配属された。
そこは「軍曹」と影で呼ばれる上司がいるチームだった。
カタカタ。
カチャカチャ。
タンタンタンタン。
ぐうぐう。
もう3日家に帰っていない。
オフィスには常にパソコンを打つ音が響いている。
最後のは同僚が仮眠を取ってる音だ。
煌々と光る白色電球が寂しい。
「おい、まだ出来ないのかよ」
こん、と椅子を後ろから軍曹が蹴ってきて、僕はぐるんと向き直る。
「何度も言うんですけど、いちいち蹴らないでください」
「蹴らないとお前こっち向かねえだろ。俺は顔を見て話したいんだ。コミュニケーションを大切してるんだよ」
「僕には必要ないです」
「俺には必要なんだ」
「そう思ってるのは先輩だけです」
「リーダーは俺だから、いいんだよ」
「そうですか。あ、バグ修正はまだ出来てません」
「うーん…そうか。あとどれくらいでいけそう?」
配属されて2年。
軍曹とのこんなやりとりも、すっかり日常茶飯事だ。
仕事人間で、口が悪くて、態度がでかくて威圧的。
彼が「軍曹」と呼ばれる所以だ。
しかし始めの頃はビクビクしていた僕も、最近では疲れと眠気により気を遣うのが面倒になり、いつのまにか気軽に話せるようになっていた。
「つーか梶原さん、最近来なくなってません?」
「あぁ、あいつ辞めた」
自分の席に戻った軍曹の顔に、表情はない。
チームの誰かが辞めていくことも、日常茶飯事だった。
僕は横目で軍曹を見る。
黒縁メガネにパリっとしたシャツとズボン。
家に帰っていないのは同じなのに、彼の身だしなみはいつだって綺麗だった。
クリーニングに出したシャツを、いくつかロッカーにストックしているらしい。
僕は辞めていった奴らの言葉を反芻する。
「自分が出来るからって、周りを同じように扱うのはやめてほしいよ」
「何考えてるんだか分かんねえもん、あの人」
「笑顔が怖い」
まぁ、一理あるなぁ。
顔もイケメンだし、30後半の年の割にスタイルも良くて、仕事が出来た。
そんなの、羨ましすぎて文句のつけようがない。
そんなことを思ってるうち、僕はウトウトしてきた。
「あ。分かったかも」
そこで軍曹が突然声を上げた。
キーボードをガチャガチャと打ちならす。
黒縁メガネがパソコンの画面に齧り付いて、口元は笑っている。
これはイケたな。
僕は軍曹のキーボードを打つ音を聞きながら、安心してそのまま眠りに落ちた。
「いやー、今回のは危なかったな」
「でも、無事リリースできて良かったですね」
数時間後、僕たちは報告書を提出して一息ついていた。
リリース前やバグが見つかった時はいつもこうだ。
怒涛のように忙しく、それ以外のことは何も出来なくなる。
食事も睡眠もままならない。
でも、終わった後は朝日を見たときのような清々しさだ。
軍曹がおごってくれたコーヒーを二人で飲む。
軍曹は缶コーヒーは飲まない。
いつも会社の近くのカフェまで買いに出かけている。
そういうところが、また周りの反感を買うのだろう。
「お前は辞めないねぇ」
軍曹が独り言のように言った。
僕は黙っている。
正直、辞めようかと思ったことは何度もある。
けれどなんだかんだで、毎日を乗り越えてきてここまで来てしまった。
「あー、終わったあとのコーヒーは上手い」
軍曹が窓を開けて外を眺めた。
冷たい風が、僕たちの間を吹き抜ける。
彼の綺麗に洗濯された白い背中をみつめながら、僕はコーヒーに口をつける。
「近いうちに、そこまで登ってみせますよ」
聞こえないようにそっと、僕は呟く。
腹の中が熱くなった。