声のゆくさき
「海坊主って会ったことある?」
突然恋人に聞かれ、私は驚く。
「どうして?」
「いや、今読んでる漫画に”海坊主”って出てきたから」
海坊主は知らない。
でも海に住む人に、私は会ったことがある。
小さい頃、両親に連れられて行った海水浴。
初めての海は広くてしょっぱくて、夢中で私は遊んだ。
「遠くへ行っちゃダメよ」
母の言葉を聞き流し、浮き輪を相棒に沖まで泳いでみた矢先、突如として大きな波に飲まれた。
慌てて両手を上げたその時、浮き輪が外れる感覚があった。
苦しい、お母さん。
その後は苦しくて苦しくて、ただひたすらもがき続けていた。
気づくと、私はゴツゴツとした地面に寝ていた。
身体中が痛くて、まだ胸が苦しかった。
ゆっくりと息をする。
息ができることがあんなにも有難かったことは、後にも先にもあの時だけだ。
そのまま何度も深呼吸をすると、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
起き上がると、そこは洞窟のような場所だった。
周りは石の壁に囲まれて、頭上はぽっかりと穴が空いて光が差している。
中央には湖があった。
しかし出口は見当たらなかった。
途方にくれていると、湖のそばにどこからともなく男の人がやってきた。
手のひらにちょうど収まるくらいの貝を持って、貝に何かを話しかけている。
すると、にゅっと貝から肌色の頭が飛び出てきた。
頭を出した貝は、彼の言葉に呼応して踊るように動いている。
やがて彼の言葉が途切れると、貝の頭はぐねっと身体をよじるようにして殻の中へ戻っていった。
彼は貝を両手に包み、祈るようにおでこに当てて、ポチャンと湖に落とした。
次に彼は、湖の周りを歩き回り、せっせと地面を掘りはじめた。
そしてまた貝をみつけると、再び貝に語りかける。
時に歌い、時には童話のような物語を。
そうして落とす。ポチャン。
その、繰り返しだった。
「どうしたの?」
10個目の貝を落とし終わった時、彼は初めて私に気づいた。
そして私の泥々の身なりをみると「あぁ」と頷き、貝を一つ差し出した。
「この貝に、想いを伝えてごらん。祈りが、海を渡るから」
私は湖の底を覗いてみた。
そこには百、二百、いやそれ以上のたくさんの貝が湖の底でカタカタと揺れていた。
「これ全て、あなたの声なの?」
「うん。いつになるかは分からないけど、それでも必要な時に、必要な人のもとへ、ちゃんと向かうんだ」
彼は真っ直ぐな目をしていた。
私は貝に顔を寄せて息を吸う。
「お父さん、お母さん。私は元気です。今から帰ります。」
すると彼はにっこりと笑って、いい祈りだ、と私の頭を撫でてくれた。
そして今度は彼が言った。
「この子を、あるべき場所へ」
私と彼の声を聞いた貝は踊るように身を捩り、ポチャンと落ちた。
貝はそのまま湖の底に沈んで見えなくなった。
「それでどうなったの?」
私の話を聞いていた恋人は、前のめりになって聞いた。
「おしまい。気づいたら浜辺に打ち上げられて助かってた。」
「うわぁ。九死に一生」
恋人は身体を揺らした。
「でも、それ夢だったのかなぁ」
私はすかさず言う。
「だと思うでしょう」
立ち上がって机の引き出しを開けると、振り返って握りこぶしを恋人に差し出した。
「一緒にこれも打ち上げられてたの」
手のひらを開いてみせる。
そこには真珠が1粒。
つやつやと光っていた。
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