帰還 /第11話
「逃げて、逃げて」
頭の中の声はもう聞こえない。
あの時、頭の中の声に無条件に従って逃げてきたこの場所に、私は今、帰ってきた。
今度は、自分の意思で。
昨日の夜ー。
「二手に別れる」
俊はピヨが作った地図を指しながら言った。
「やるべきことは研究内容の消滅。中央の司令室にあるメインコンピュータがすべての元となってるはずだ。こいつを壊す。これは俺がやる」
「えっ!一人で出来る?」
ピヨが思わず声をあげると、俊は首を振った。
「先生が、ウーちゃんを貸してくれたから。ウーちゃんと俺でやる」
ウーちゃんは可愛く頷いた。
この可愛い顔の下に、恐ろしい凶器(もとい実験器具)が入ってるんだからアンドロイドって怖いな、と菜々子は感慨深く思う。
「それともう一つやるべきことは、記憶の復元。失われたサイバーシティの住民の記憶を取り戻す。で、こっちをどうやるか、については…」
俊は菜々子とピヨの方をみた。
「お前ら、二人で頼む」
菜々子とピヨは思わず顔を見合わせた。
「え!?私たちで!?」
菜々子は一気に手に汗が噴き出すのを感じる。
「か弱い女の子二人に、無茶ぶりはやめてくださいよー」
ピヨが悪態をつく。
「お前ら、アンドロイドなんだから、か弱くないだろ」
俊はくっくと苦笑する。
「冗談はやめてよ」
菜々子が言うと、俊は「冗談じゃないよ」と二人のそばに立つと体を屈めて声を潜めた。
「これは賭けなんだけど…」
「いやいやいや、無理でしょ!!」
「なんでだよ、その為に作られたんだろ?」
「零が従うとは思えないよー」
「そこは、お姉ちゃんが説得しなさい」
俊の計画はなかなかに大胆かつ可能性が低いものだった。
菜々子もピヨも、イヤイヤ、と首を振って俊に計画の立て直しを求めたが俊は一切聞く耳を持たない。
「どのみち、コンピュータだけを破壊したところで箸本と零の計画は止まらない。奴らの意思を挫くしか、手立てはないんだ」
俊はそう言うと、二人の肩をぽんぽんと叩いた。
「それじゃあ、行くぞ」
そして、ピヨと菜々子で二人、侵入した研究所は思った以上に静かで何もない。
「おそらく、侵入したことはばれてると思う」
ピヨが地図を見ながら言った。
「それでも何もしてこないのは、きっと何も出来やしないと思われてるんだ」
白い壁に白い天井。
たった数か月前にみた景色なのに、はるか昔の記憶のようだ。
「とにかく、零に会って話をしないと…」
その時、コツコツという足音が聞こえ、二人は思わず身を隠した。
足音は箸本だった。
「まずい、こっちに来る」
菜々子は自分のすぐ後ろにある扉が開いていることに気が付いた。
「とりあえず、この部屋に隠れよう」
二人はそっと中に入った。
暗い部屋の中、電気をつけるわけにもいかず、二人は懐中電灯の明かりを頼りに、中をウロウロとした。
「私とピヨは、会ったことあったんだね」
菜々子は言いながら、棚に並べられた本を見た。
「うーん。でも私が会ったことがあったのは当時の人間だった菜々子であって、今の菜々子ではないよ」
ピヨもごそごそと床に散らばった本を漁りながら答える。
「アンドロイドってそこら辺、妙に精密に出来てるみたいでさ。ちゃんと別人として認識しちゃうんだよね。だから”似ている人”くらいにしか思わないし…」
そこでピヨが言葉を切って押し黙った。
「どうしたの?」
菜々子がそばに行くと、ピヨの手には一冊のノートが握られていた。
「これ、日記じゃない?」
表紙には見覚えのある字。
二人はページをめくった。