虹の向こう
先生はちょっとおどおどしてて、眼鏡がずれてて、よく廊下で物を落としてた。
花壇の水やりをするのは決まって朝の7時半で、手から伸びるシャワーの先には、虹ができていた。
なんとも素朴なその光景は、毎朝僕の心をシャワシャワと洗ってくれた。
ある日のプールの後、あんまり眠いから屋上で寝ようとしたら、そこに先生がいた。
ずれてる眼鏡の下にある目が、潤んでるように見えたけど、先生は隠そうとはしなかった。
僕は少し離れた所で、予定通り昼寝をする。
少しして先生もさっきと同じ場所で、ぐしぐしとまた泣いているようだった。
そういえば、うちのクラスは少し荒れてる連中が多い。
赴任して来たばかりで、しんどいことも多いのかもしれない。
僕は塩素が少し混じった風の匂いの中、左半身でずっと先生の気配を感じていた。
そうしてそれから、僕らの不思議な屋上での日々が始まった。
先生が泣いたようにみえたのはあれが一度きりで、そのあとは普通にぼーっとしていることが多かった。
先生はよく鼻歌を歌っていて、それは有名な歌謡曲だった。
僕たちが話をすることはあまりなかったけれど、時々今日あった出来事や読んだ本の話をしていた。
いつのまにか、朝の水やりは共同作業になった。
「今日から、文化祭の準備があるから水やりは出来ないよ」
ある朝、僕が言うと先生はなんだか嬉しそうに虹を作りながら笑った。
「そういうの、意外とちゃんと参加するんだね」
先生は今日も僕の心をシャワシャワする。
もっとこの場にいたいのに、遠くからピアノの音と歌声が聴こえてきて僕を追い立てる。
僕は仕方なく教室へ向かった。
その日の朝は、いつもの通り先生が水やりにやってくるのをクラスの皆で出迎えた。
先生はびっくりして呆然としている。
「先生のために、練習したんだよ。」
クラス委員長がそう言って、みんなを並ばせると手を振った。
みんなであの歌を歌う。
先生が屋上で鼻歌で歌う歌だ。
ピアノはないからアカペラで、風に乗せて朝の光に乗せて、みんなで歌うのは思った以上に気持ちいい。
「いつもありがとう」
委員長が言うと、先生はやっぱり眼鏡がずれてて、その下で今度こそ絶対泣いていた。
次の日の朝、先生は僕に聞いた。
「あなたが企画したんでしょう?どうやって皆にお願いしたの?」
今日の先生は昨日よりも明るく見える。
「別に、皆先生のこと好きだし」
先生は納得がいかないようだったけど、まぁいっかと言って鼻歌を歌っていた。
ほんとは、先生のことを僕が好きだから協力してって頼んだんだけど。
僕は先生のご機嫌な背中をみながら、シャワシャワと虹を作って先生に重ねた。