夢の中で今日も、ごはん │ ショートショート
目が覚めると、野原の真ん中にいた。
屋外の筈なのに、何の音もしない。
ぐるりと辺りを見回すと、店が一軒。彼は迷わず歩き出した。
ここは、彼の夢の中なのだ。
彼は、いつも同じ夢を見る。
夢の中で、彼はまず野原にやってくる。
そして、この店に入るのだ。
暖簾の出た戸口の横の表札には、大きくこう書かれている。
『定食屋ササミ』。
この定食屋は、現実も夢も含めて、彼の唯一の行きつけの店であった。
「いらっしゃいませ。」
ササミさんは彼を見ると、にっこりした。
カウンターには既に一人、客が来ていた。
ここは彼の夢の中であるが、彼の他にも客は来る。客は、常連もいれば新顔もいたし、誰もいない時もあった。
今日の客は、男であった。
年配の、おでこと頭頂部と後頭部が繋がったタイプに禿げた、"オジサン"であった。
「おねえさん、メニューくれる?」
顔から想像するよりも高い声で、オジサンが言うと、水とおしぼりを出しながら、申し訳なさそうにササミさんは答える。
「すみません、うちはメニュー、なくて。」
「あ、そうなの?」
「”本日のおすすめ定食”だけなんです。それでも良いですか?」
「ああ、そうなのね。うん。じゃあそれを、お願いします。」
はい、とササミさんは言った。
今度は彼のところに来て、水とおしぼりをコトンと置く。
「今日も、おすすめ定食で良いですか?」
頷く彼に、はい、と返事をして、ササミさんは奥に下がった。
かたん、かちゃん。
目の前で定食の準備が始まった。
「いやあ、楽しみだなあ。本日のおすすめかあ。」
卵をかしゃかしゃと混ぜていたササミさんから、ふふふ、と声が漏れる。
オジサンは、おしぼりで顔を拭き、そのまま禿げた頭をぐるりと拭いた。
そこで目が合って、彼は少したじろいだ。
「ハゲって、顔も頭も一遍に拭けるのが、良い所なのよ。」
そう言って、オジサンは笑った。
じゃーーーー。
音と共に、香ばしい匂いがしてきた。
昔どこかで読んだ料理本で、揚げ物には”きつね色”という表現がよく使われていた。しかし彼は、狐がどんな色をしているのか、真に知ってはいなかった。けれども、まさに今、カウンターの向こう側には、きつね色の食べ物が作られようとしているに違いなかった。
程なくして、目の前にお皿が置かれた。
お皿の上には、想像した通りの、いやそれ以上のきつね色。
半月型のフライが6枚。こんもりした千切りキャベツを背もたれに、堂々そこに並んでいる。
くし切り檸檬、トマト、それから浅漬けの茄子も一緒である。
「こりゃあ、美味そうだあ、いただきます。」
オジサンは上背の無いミルクピッチャーから「ほ、ほ、ほ、ほ。」とソースを垂らすと、ハムカツに大きくかぶりついた。
サックゥ、ジウゥ。
「ううん、うん。うま。」
「うん。うん。うま。」
次から次へ食べていく。
「ああ、うまい。うまいなあ。」
オジサンは何度も言った。
「いやあ、美味しかったです。ねえ、お兄さん。」
おしぼりで口を拭きながらオジサンは、彼を見た。
彼のお皿も、いつの間にか、綺麗に空だ。
「そうでした、食後にスイカがあるんですよ。」
ササミさんは、二人の前に小さく切ったスイカを出した。
「スイカ、お好きですか。」
「大好物です。種まで、食べるくらいです。」
オジサンが、にかっと白い歯を見せる。
「それはそれは。」口元を抑えて綻ばせるササミさん。
「でも折角ですからね、今日はちゃんと、種を取って食べましょうかね。」オジサンは言った。「やっぱり、種は取って食べた方が、美味しいですからね。」
ササミさんは堪らず、口を開けて笑った。
橋を渡った先へ行くんです、と言ってオジサンは店を出て行った。
彼とササミさんが店の前で手を振ると、オジサンも大きく手を振って、そのあとはもう振り返らず、真っ直ぐに歩いて行った。
「あの人、人の上に立つようなお仕事をなさっているのかもしれないわねえ。」
ササミさんは、ほう、と感嘆のため息をつく。
「ああいう上司が欲しい、とか思わない?」
彼が頷くと、ササミさんは、そうよねえ、とまた感嘆のため息をついて、暖簾を降ろした。
「今日は店仕舞です。気をつけて、帰ってくださいね。」
そしてこうも付け加えた。
「たまには、うちの店以外でも、しっかり食べてくださいね。」
彼は黙って、ヒラヒラ、と手を振る。
そこで、夢は終わった。
目が覚めると、白い天井だった。
彼の住む1DKの部屋である。
カーテンの隙間から差し込む朝の光で、部屋は、ほんのりと明るかった。
彼はテーブルの上に積まれた栄養補助食品を一つ手に取って、窓を開ける。
「食べてますよ、ササミさん。」
ぽそ、と齧ると、その食べ物は舌の上でほろほろと溶けた。