僕と双眼鏡
「何見てるの?」
突然視界に姉の顔が迫ってきて、僕は、わっと身体を仰け反った。
「ヤモリをみてたんだ」
そう言うと姉はなぜか満足そうに笑う。
双眼鏡のレンズの先には、華奢な四肢で軽やかに壁を伝う生き物が、潤んだ瞳でじっと僕をみつめている。
僕は四六時中、双眼鏡を持ち歩いている。
そうして何でもかんでも、双眼鏡越しに見るのが日常だ。
「遠近感がごちゃごちゃになって、面白いんだよ」
しかし今のところ、この言葉に共感してくれた人に会ったことはない。
姉も僕も動物が好きだったので、小さい頃はよく家族で動物園に行った。
象やキリンやゴリラなど、端から双眼鏡で見て回る。
近くから遠くから、時には双眼鏡を逆向きにしたりして。
僕は動物から好かれやすかったので、よく動物が寄ってきては
「わぁー近い近い」
と家族皆が喜んでいた。
捨て猫も捨て犬も、しょっ中拾う。
加えてお人好しなので、
しょっ中、人に騙される。
「正直者は、馬鹿を見るぞ」
ある時、父がそう言うので、僕が笑って
「じゃぁ父さんが偉くなって、正直者が生きやすい世の中にしてよ」
と言ったのだが、未だその約束は果たされていなかった。
月日が経つのは早いもので。
今日は、僕の22歳の誕生日。
「お誕生日おめでとう」
僕が勢いよくケーキのろうそくの火を消すと、姉が大きな箱を引きずって持ってきた。
「はい、プレゼントは天体望遠鏡です」
これには流石の僕も驚いた。
「嬉しいけど、なんで天体望遠鏡?」
すると姉は、僕の首から下がっている双眼鏡をすっと指さした。
「あなた、昔から今までずっと、それでモノを見てるでしょう。だから姉さん、もうそれがあなたの使命なんじゃないかと思って」
そしてぽんぽん、と天体望遠鏡の箱を叩く。
「これからはさらに視野を広げて、宇宙もみちゃってください」
父も母もニコニコしながら、
僕たち姉弟をみている。
全く、うちの姉も両親も、
たいがい皆どこか可笑しい。
僕は思わず声に出して笑った。
使命ねぇ。
僕は双眼鏡をひっくり返して、いとも小さくなった家族を眺めてみる。