夢の中で今日もまた、ごはん │ ショートショート
「実は今度、この店、たたむんです。」
食後の焙じ茶を出しながら、ササミさんが言った。
「だから、うちの店以外でも、ちゃんと食べられるようになってくださいね。」
ごくん、と彼の喉が鳴る。
店が無くなるなんて、彼には信じられなかった。
目を覚ますと、いつもの自分の部屋で、彼は、夢を見ていたことに気がついた。夢か、と実感して直ぐに、夢だったら良いのに、と願った。『定食屋ササミ』は彼の夢の中に出てくる店である。
夢の中にある、彼の唯一の行きつけの店。
時計を見ると、普段の起床時間を30分も過ぎていた。
彼はスマートフォンを手に取ると、慣れた手つきで定型文を書くと、再びベッドに転がった。
今度は夢は見なかった。
それから数時間後、彼は、やっとこ出勤した。
キーボードをカタカタさせていると「おーい。」と声をかけられる。見上げると、先輩Aだ。
Aは、とっくの昔に別の部署に異動している。それなのに、今でも事あるごとに、彼の元にやってくる。
「昼行かない?」
「行きません。」
いつも通りのやり取りである。
彼のデスクには、大量に栄養補助食品がストックしてあるのだ。
しかし、ふと、彼は昨夜のササミさんの言葉を思い出した。
「やっぱり行きます。」
Aは驚き、次に喜んで「今すぐ行こう。」と執務室を飛び出した。
彼は慌てて追いかけた。
Aが連れて来たのは、小綺麗な店だった。
紺色の暖簾に、木の引き戸。店内は混んでいて賑やかである。
「肉屋がやってる店なんだ。ここのハラミが、すっごい、美味いから。」
彼と自身のグラスに水を注ぎながら、Aは言った。
しばし雑談をしていると、やがてそれは運ばれてきた。
「食べて、食べて。」
彼は、肉を口に運ぶ。
「それで、結局また、駄目だったの?」
その日の夜、事の顛末を話すと、ササミさんは呆れたように言った。
「しょうがない人ですねえ。」
店内は珍しく、他に客はいなかった。
「さあて、どうしましょうか。」
カウンターの向かいの調理台には、ハラミが載せられている。Aが昼間の店で、店主に頼んで包んで貰った彼の食べ残しだ。
「美味しそう。」
ササミさんは言いながら、きゅ、とエプロンを整えた。
トントントン、と包丁がまな板を打つ音がする。と、すぐに肉を焼く匂いがしてきて、彼は鼻息を大きく吸った。炭の匂いがする。どうやら、あの店は、肉を炭火で焼いているようだ。
炭という物は、そのままでは到底食べられる物ではなかろうに、どうしてそれが、熱源として使うと、こんなにも魅惑的なのか。彼には知る由も無かった。
間も無くササミさんがカウンターに置いたのは、ドンブリ飯だった。
「ハラミごはん、です。」
青葱とシソと茗荷、それから小さく切られた肉の混ざったご飯。刻み海苔が載っている。
炭の味と香り。醤油、薬味。肉、肉、肉。
昼間倒れたとは思えぬほどに、彼の箸は、すいすい動く。あっという間にドンブリは空になった。
食後は、玄米茶だった。
「あなたは、一体いつから『そんな風』なの?」
ササミさんの言葉に、彼は黙って茶を啜る。
玄米茶は、玄米茶にしか出せない味がする。
「綺麗な星空。」
いつもの如く、最後は二人揃って外に出る。
目が合うと、ササミさんは、ふふ、と笑った。
「そんな目をしても、だめですよ。この店は閉店します。私、旅に出るんです。」
カタン、と暖簾を降ろして、明かりを消す。
そこで、夢は終わった。
白い天井が視界に見える。
朝だ。
彼は、付けっ放しの冷房に、モゾモゾと布団を引っ張り上げる。テーブルの上には、昨日の肉の包みが、そのままになっていて、Aからはメッセージが届いていた。
『昨日、大丈夫だった?あの後、ちゃんと食べられた?』
『はい、美味しかったです。』
彼は、そう返信して、再びベッドに転がった。
「先は長そうだよ、ササミさん。」
間も無く、いつもの起床時間だ。
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この物語は、以前投稿したショートショート『夢の中で今日も、ごはん』の続きのお話です。個別に読んでも、併せて読んでも大丈夫な内容になっています。(多分)
▷ 『夢の中で今日も、ごはん』
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