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分福、茶釜|ショートショート

「私が死んだら、骨を、まるごと盗んでくれないかしら?」
ある日、義祖母から突拍子もない頼みごとをされる“僕”。
狸が化けた茶釜と交流する、不思議な力を持つ”清太”。
二つの時間軸で描いた、茶釜にまつわる物語です。

※本作品は、民話『分福茶釜』を元にしています。


以下、本編です。ーーーーーーーーーーーーーーーーー



初めて妻の実家を訪れた日、その人は会うなり、僕の両手を柔く握って言った。
「よく来たねえ。」
声は穏やかで丸くて、上手く言えないのだけれど、それだけで僕はすっかりその義祖母のファンになってしまった。

握られた手は、冷たかった。
冷たくて、優しかった。

あれから五年。僕は今、義祖母の家に住んでいる。
妻と、妻の両親も一緒だ。

「カズくん、もうおばあちゃんのお迎え行く?帰りに、裏の灯油運んでくれない?」
「今やっちゃいますよ、お義母さん。」
義祖母、即ちおばあちゃんは、毎週火曜と土曜にデイサービスに行く。
土曜の送り迎えは僕の担当だ。

もう何年も着ているダウンジャケットを羽織り、外に出る。
息が白い。
裏口にある灯油のたっぷり入ったポリタンクは、持ち上げると腰にきた。
なんだかんだ三十代。もう若くない。
「このまま迎えに行ってきますねー。」
玄関にポリタンクを置き、僕はバス停に向かった。

「カズくん、いつもありがとうねえ。」
バスから降りてくるおばあちゃんは、いつだって満面の笑みだ。
晴れている日は、寄り道するのが僕達の日課。
寄り道先は、おばあちゃんの夫、即ち義祖父の墓だ。

山の中にあるこの住宅地は、坂に沿って家々が並んでいて、その並びに墓地がある。
夕方五時で外はまだ明るいとはいえ、高い建物も周りになく、風が吹き抜ける墓地は寒い。何しろ冬だし。
「おじいちゃん、来ましたよ。」
墓前の前で手を合わせるおばあちゃん。後ろで、僕も一緒に手を合わせる。
合わせた手を寒さに任せ、そのままスリスリと擦っていると、向こうに掃除をする住職の姿が見えた。
「おっしょうちゃんだわあ。」
おばあちゃんは手を振った。
おばあちゃんと住職は、互いがまだ子どもの頃から一緒に遊んだ仲だという。
住職も、箒を片手に、手を振っていた。


***

「何度言ったら分かるんだ。その力を、無闇に使ってはいけない。」
住職はたしなめたが、生憎、清太は聞いちゃいない。
清太が見ているのは、住職の後ろに見え隠れする、茶釜だ。
「今度同じことをしたら、お前を柱に縛り付けてやるからな。わかったか?」
うん、と返事をすると、やっと住職は清太を解放した。

やれやれ。
一人になったその部屋で、清太はすかさず茶釜に話しかけた。
「おーい。起きてるか。」
茶釜は、左右に揺れて返事した。
「随分と怒られていたねえ。どうせ、いつものように客人に悪戯でもしたんでしょう。」
「当たりー。」

この茶釜は、喋る。
昔、寺の前で倒れていた狸を住職が助けたところ、お礼に、と狸が茶釜に化けた。しかしそれきり、元の姿に戻れなくなってしまったのだ。
一方、清太は不思議な力を持つ少年だった。
他人の身体に入り込み、自在にその人を操れるのである。
まだ幼い清太少年は、その力を使って悪戯し放題。
すっかり村中が手に負えなくなって、ある夜、清太がぐっすり寝ている間、この遠く離れた寺の前に捨てられたのだった。

「そんなことでは、この寺からまでも追い出されるよ。」
茶釜が呆れると、清太は茶釜をぺちんと叩いた。
「お前こそ、早く狸に戻って山へ帰れ。」
「帰れるものなら、とっくに帰っているよう。けれども、狸の姿に戻れんのだもん。」
ふーむ。
清太は、しばし考え込んで
「よっしゃ。俺がお前の中に入って、元の姿に戻ったる。」

言うが早いか、清太は力を使って茶釜に入り込み「戻れ、戻れ。」と念じた。
すると、なんと茶釜は人間の女の子になってしまった。

「あれ?人間になってしまったよう、清太。」
「すまん、"戻る"は俺にとっては人間だった。狸に戻らなきゃいけないんだよな。もう一回。」
慌てて清太はもう一度茶釜(今は女の子の姿だが)に入ろうとしたが、どうしたことか、ちっとも入れない。
「どうしよう。」
清太も茶釜も泣きそうになりながら、住職に事のあらましを伝えた。
「随分と入り組んだ力の使い方をしたもんで、清太の力がひん曲がってしまったのじゃないか。まあ暫くしたら力も元に戻ろう。それまで、茶釜や。すまんが、その姿で我慢しい。」
それから茶釜は、人間の女の子として、寺に住まうことになった。


***

「検査入院?おばあちゃんが?」
「そうなの。このところ咳が酷かったでしょう。一度検査して貰おうと思って。」
そんな会話を妻としたのが、数週間前。
それなのに。
「おばあちゃん、肺癌だって。長くないって。」
おばあちゃんは家にはもう、帰ってこなかった。

「カズくん、ありがとうねえ。」
「どういたしまして。お花はここに置きますね。」
僕は暇さえあれば、おばあちゃんのお見舞いに行っていた。
病院というのは、どんなに窓が大きくても、どこか薄暗くて物哀しい。

ついこの間までは、一緒にお墓参りをしたり、梅の花の咲くのを待ったりしていたはずなのに。
まるで遠い昔のことのようだ。
「お花、綺麗だねえ。」
おばあちゃんは嬉しそうに言う。
名前を忘れたその花は黄色で、店員さんが花言葉を『希望』だと言っていた。

「何かして欲しいこととかありますか?欲しいものとか。あれば家から、持ってきますよ。」
僕が言うと、おばあちゃんは少し考え、言った。
「カズくん。私が死んだら、骨を、まるごと盗んでくれないかしら?」

驚いて言葉が出ない僕を余所に、おばあちゃんは、ニコニコと僕を見ている。


***

「それじゃあいくぞ、せーのっ。」
掛け声に合わせて、茶釜と清太は互いに力を込めるが、茶釜の姿は変わらない。
相も変わらず、女の子の姿のままだ。
「清太、力はまだ戻らんのか。」
「戻んねえ。」
「茶釜はどうだ。」
「私にも、出来ないよう。」
あれきり清太は不思議な力を使えないままだった。
茶釜は茶釜で、やはり自分の力では、元の姿に戻れないらしい。

住職としては、清太についてはこれで良いと思っていた。力が消えた清太は悪戯をしなくなり、いつしか寺の者達とも上手くやれるようになっていた。
特に住職の一人息子である昌吉のことは、年の離れた弟のように可愛がり、寺仕事が終わるといつも茶釜と三人で遊んでいた。
しかし茶釜は、狸の姿が本来の姿。住職は毎日元に戻れないか試みさせたが、上手くはいかなかった。
寺の外へ駆け出していく三人のはしゃぐ姿に、住職は溜息をついた。

「よっ。」
流れる小川を、清太は安安と飛び越える。
茶釜もそれに続く。
しかしまだ幼い昌吉は、どうにも川を越えられず、遅れた左の足が脹脛まで浸かってしまう。
いつものことだ。
「しょうがないなぁ。」
笑って引き上げてくれる清太と茶釜の姿は、昌吉にはいつも眩しい。

「このままずっと、茶釜ちゃんが寺にいてくれたらいいのに。」
だから昌吉の呟いた言葉は、本心だった。
小川を超えた先にある、山の下の村が見下ろせる秘密の場所で、集めたメンコを見せ合っている時だった。
「馬鹿。元は狸なんだから、狸に戻れたほうがいいだろ。」
清太はそう言って茶釜に、なあ?と呼びかける。
けれども茶釜は、うーんと首をかしげた。
「私は十匹兄弟の末っ子として産まれたの。兄弟が多いから、いつもご飯は取り合いだった。だから、狸に戻っても家族に歓迎して貰えるか分からない。最初は狸に戻りたかったけど、今は戻るべきなのか、よく分からないなあ。」
陽は落ちてきていて、山は眩しく染まり始めていた。

「ようし、茶釜。名前をつけてやる。」
清太は言った。
「俺の力も戻らんし、お前も自分じゃ元に戻れないんだし。もう暫くここにいるなら、名前があった方がいいだろ。『茜』はどうだ?今日の夕陽の色だ。」
茶釜は嬉しそうに笑った。「良い名前だよう。」
昌吉も、うんうん、と頷いた。
この日から、茶釜の名前は『茜』になった。

数年後、清太と茜は結婚し、男児を授かった。
清太に赤紙が届いたのは、そのすぐ後だった。


***

「はい、おばあちゃん、お水ですよ。」
吸いのみを口元に持っていくと、おばあちゃんは少しだけ飲んで、もういい、と首を振る。

あの突拍子もない頼みごとの日から暫くして、おばあちゃんの容態は益々悪くなった。
鼻や胸にはチューブが常時貼り付き、皺皺の白い皮膚にそれは痛々しくて、僕は見る度、現実を思い知らされる。

『私は実は狸でね、おじいちゃんの力で人間になって、そのままなのだけれど、骨まで人間になっているか心配で。死んだ後、狸の骨がお棺から出てきたりなんかしたら、大騒ぎでしょう。だからまるごと盗んで、近くの山にでも捨ててちょうだい。』
あの日、おばあちゃんはそう言っていた。
『いつかはちゃんと、お山に帰るべきだって、あの人も言っていたしねえ。』
窓から見える空は、狭かった。
『おっしょうちゃんも、知ってるわあ。私が死んだら、火葬場はきっとおっしょうちゃんの家のよ。彼と相談してくれればいいから。』
いいから、って。
あんまりおばあちゃんが普通に話すから、僕もその時は、分かりました、とつい請け合ってしまった。あの時、もっと話をすれば良かった。
おばあちゃんはもう、真面に話が出来る状態ではない。

「これから住職さんに会ってきますね。」
声をかけると、おばあちゃんは少しだけ僕の手を握り返して口を動かしたが、そこに音は無かった。
多分、ありがとうねえ、と言ったのだと思う。


***

「もう、明日だねえ。」
清太と茜は、寺の隅にある小さな部屋の、小さな明かりの中にいた。
茜の腕には、産まれたばかりの小さな赤子。
二人は赤子の頬を撫で、目を合わせて微笑んだ。

「そうだ、見ろよ」
清太は、よいしょ、と古い茶釜を茜の前に差し出した。
あらあ、と茜は驚いた声を出す。
「似ているだろう、お前が化けていた茶釜と。露店で見つけたんだ。」
清太は懐かしそうに目を細め、茶釜に手に触れた。
「全部、この茶釜から始まったんだよな。お前が茶釜に化けて、それから俺がお前を人間にしちまって。」
「今も、貴方の力は戻っていないの?」
清太の手に、茜の手が重なった。
茜は言った。
「清太。貴方の力を使えば、戦争に行かないことも出来るはずよ。それでも、力は戻っていないの?」
襖に映る二人の影は、ゆらゆら、ゆらゆら、と揺れていた。

「戻ってないよ。」
清太は、しかしきっぱりとそう言った。


「人間の男って、馬鹿ねえ。」
茜は観念したように溜息をつく。

「俺だけが逃げる訳にも、行かないしな。」
二人は茶釜で湯を沸かし、向かい合ってその温かい白湯を呑んだ。

「必ず、帰ってきてねえ。」
茜の言葉に、清太は強く頷いた。



***

通されたのは、寺の中の隅に位置する小さな和室だった。
「この茶釜は、随分と昔に、私の友人から預かったものです。
友人は、戦争で亡くなりました。」
ぽつんと置かれた古い茶釜を挟んで、住職は話し始めた。

「友人は生前『自分にもしものことがあれば、この茶釜を妻に渡して欲しい』と私に頼みました。けれども妻である貴方の義祖母様に伝えましたら、受け取りを断られましてね。狸に戻ったら困る、と。茶釜に彼の念でも込められていると思ったのでしょう。
友人は幼い頃、不思議な力を持っていたそうです。もっとも、私が物心ついた頃には、もうその力は無くなっていたようですが。」
住職は寂しそうに笑った。

僕は茶釜に触れてみた。
冷たくて、ざらついて、指先から伝わる金属の匂い。
蓋を開けてみると、中身は空っぽだった。

その時、僕のスマートフォンがけたたましく鳴った。
嫌な予感がした。
「もしもし。」
嫌な予感は何で、いつだって当たるのだろう。



おばあちゃんが、死んだ。



火葬場の煙突から薄青い煙が上がって、その後。
僕と住職は、焼かれた柩の前にいた。
外では、親族たちが何も知らずに待っている。

とにかく、骨を盗まなくては。
おばあちゃんとの約束だ。

柩を開けると、一目で獣と分かる骨が、ちょんと、横たわっていた。

僕達は、茶釜に獣の骨を入れた。
「おばあちゃんは、幸せだったのかな。」
あっという間に骨は茶釜に収まった。
手に持つと思った以上に軽くて、僕は目頭が熱くなるのをぐっと堪えた。
「ええ。その証拠に貴方が今、ここにいますから…おお?」

と、住職が頓狂な声を出す。
目を見開いている。視線は茶釜の中だ。
僕も覗くと、なんとそこにあるのは人間の骨だった。


僕達は目を見合わせた。
「あれ?」
「ははあ、これは…清太さんの仕業か。」
そう言うと、住職は袖で口元を押さえ、くつくつと笑った。

「狸に戻すどころか、人間の骨にするなんて。清太さん、意地でも茜ちゃんと離れたくなかったんだなあ。」
住職は笑い続けた。「茜ちゃん、読みが外れたよ。」
僕も、笑った。

「これで同じお墓に入れるね。」
僕が語りかけると、茶釜から白い粉が、返事をするかのようにふわっと舞った。

ふわっと舞って、消えた。




(おしまい)

お読み頂きありがとうございます⸜(๑’ᵕ’๑)⸝ これからも楽しい話を描いていけるようにトロトロもちもち頑張ります。 サポートして頂いたお金は、執筆時のカフェインに利用させて頂きます(˙꒳​˙ᐢ )♡ し、しあわせ…!