射御拾遺抄 笠懸を射る時
笠掛記 躰拝の事で解説した笠懸の体配と同じような記述があるので紹介。
射御拾遺抄は小笠原持長(1384年-1458年)によるもの。室町時代中期の有職故実家。民部少輔、備前守。笠掛記に「小笠原備州は……」という記述があるので、この射御拾遺抄を参照していると思われる。
たいはいの事。馬をかへしてかき入所にて。馬手のミゝにこすこさずにうち入て。三かきはかりかゝせてひらき出し。こうでをつかひで矢さすへし。矢さしハかたより水はしり也。手綱をむねのとをりにゆるゆると持て。矢さすとる所にて。すてゝひたゝれの袖をうちいたすやうにまハして。かミ中にてをし合て。うち上て三ふせハかりひきのこして。したにひねちて。的のうしろのかとにてはなすへし。かねにてはなすもわるし。向てあらんはいふにおよはす。くら立ハこしをすへて。鐙をそうたうのしゝにふんつけて。ひざくちをゑまて尻を鞍のしつわへすこし乗出して。くらより上ハすぐなるへし。是ハ大かたの儀也。あまたの口傳可在之。
体配について。馬を返して走り入り、馬手の耳を越さないようにうち入れ、三歩ほど走らせて開き出し、腕先を使って矢番えをする。矢番えは肩より少し下がった所で、手綱を胸の前でやわらかく持って、矢番えが終わったら捨てて直垂(ひたたれ)の袖を打ち出すように回して、たてがみのあたりで拳をそろえ、打ち起こして三伏せぐらい引き残して、下にひねって、的の後ろの角をねらって放す。真横で放すのはよくない。向かいながらは言うに及ばない。鞍立は腰を据えて、鐙を承鐙肉(そうとうのしし)に踏んで、膝口をえまして尻を鞍の後輪(しずわ)に少し乗り出して、鞍より上は真っ直ぐになるように。これは大方の作法である。たくさんの口伝がある。
おおまかに訳すと、「馬場本で馬をさぐり(走路)に向け走り始め、矢を番える。手綱を離し、矢筈を取って弓を持ち上げる。ひきおろしながら弓を引いて的の後ろの角をねらって矢を放つ。的の真横で矢を放ってはいけない。的に向かいながら放つのもよくない。鞍立は腰を据えて、鐙は馬の脇腹に踏み、膝をえます。尻を鞍の後輪(しずわ)に少し乗り出すようにし、体を真っ直ぐに起こす。」となる。
直垂の袖を打ち出すように回して、というのは弓を引く時に袖が邪魔になってしまうのを避けるために袖に風を入るため。
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