田原藤太

古式馬術研究

田原藤太

古式馬術研究

最近の記事

笠懸犬追物流鏑馬の類は馬を鹿子足に乗りて射るなり

貞丈雑記(1763年-1784年)によれば、馬の乗入れ様として、今(江戸時代中期)の馬の足なみは「地道。乗り。かけの三品より他はなし」という。乗入れとは馬を乗り慣らすこと、調教することである。地道、乗り、かけはそれぞれ現代馬術の常歩、速歩、駈歩があてはまるだろう。さらに、昔の足なみとして、「けみち(地道)、はしり(乗り)、はやばしり(かけ)、だくだく(だく足)、かのこあし」をあげている。おなじく貞丈雑記に「笠懸犬追物流鏑馬の類は馬を鹿子足(カノコアシ)に乗りて射るなり」とあり

    • 障泥を打つ

      古式馬術(伝統馬術、和式馬術)において、馬を速く走らせる(推進する)には鐙と鞭が大きな役割を担っていることを鞭鐙を合わすの記事で述べた。鐙は基本的に承鐙肉(馬の脇腹の部分、鐙摺)に位置するように踏んでおき、馬を走らせるときには角を入れる(かくをいれる)といって鐙で馬に合図をするのである。貞丈雑記(1763年-1784年)によれば、鐙のふちの四角なる所で馬の胴を打つとある。 ところで、鞭鐙を合わすと同じように馬を走らせるための表現として「障泥を打つ(あおりをうつ)」というもの

      • 鞭鐙を合わす

        斉藤直芳氏(1901-1970)は著書 弓術物語 ー弓馬と名将ー(1970)の中で、(古式馬術において)馬を推進するのは腰と脚と鐙と鞭であると述べている。 古くには、鞭鐙を合わす(むちあぶみをあわす)という言葉があり、平家物語(「鞭鐙むちあぶみを合はせて馳せ来たり」)や保元物語(「むちあぶみをあはせて逃げければ」)などに書かれている。 鞭鐙を合わすとは「馬に乗って速く走らせるとき、鞭をあてるのに合わせて鐙をあおる(大辞林 第三版)」ことであり、馬を推進するためには鞭と鐙が大

        • 承鐙肉、しょうとうのしし/しょうどうのしし

          承鐙肉(鐙承肉と書くことも)とは馬の脇腹の、鐙が当たる部分である。東洋文庫によれば「しようどうのしし」射御拾遺抄には「そうたうのしゝ」とある。鐙を承ける肉、つまり馬体の鐙が当たる部分のことである。 水干鞍など伝統的な鞍は腹帯(はるび)とほぼ同じ場所、少しだけ後ろに鐙をさげる力革があるため、承鐙肉は腹帯の帯道よりやや後ろ側に位置する。 吉川弘文館編集部 編 歴史手帳2019年版 和名類聚抄には承鐙肉は俗に「阿布美須利」というとある。 承鐙肉 李緒相馬経云承鐙肉欲垂[承鐙肉

        笠懸犬追物流鏑馬の類は馬を鹿子足に乗りて射るなり

          高忠聞書 笠懸射拝幷射手の出立之事

          高忠聞書または就弓馬儀大概聞書は多賀高忠による。多賀 高忠(たが たかただ、1425年-1486年)は、室町時代後期から戦国時代前期の武将。射御拾遺抄を著した小笠原持長に弓馬故実を学んだという。奥書によれば寛正五年(1464年)とあるので笠懸聞書より早い。 一いやうの事。あふきかたへうち入中ほどにひかへ。矢を指はげて手綱を二重にかいくり。馬のかくうちに手綱を一重に手の内にかけ。同矢かまへをかたより少し高く。いかにもひぢをたて。鐙をぶつつけ。馬を二足三足うち出してくるりと返し

          高忠聞書 笠懸射拝幷射手の出立之事

          笠懸聞書 鞍たち打入の事

          小笠原 元長 (おがさわら もとなが、1433-1503)による。射御拾遺抄を記した京都小笠原氏の備前守小笠原持長の次男、兵部少輔、播磨守。笠懸聞書は文明16年(1484)に成立か。小倉実房による笠掛記には「小笠原備州は……同播州は……」と引用している部分があり、小笠原持長、小笠原元長の文書を参照しているとおもわれる。特にこの笠懸聞書からの影響が強く見られる。笠掛記が書かれたのは1512年ごろ。 一鞍たち打入の事。先馬を馬場本の扇形の中程に馬をひかへ。少扇形のかとのすみへん

          笠懸聞書 鞍たち打入の事

          弓馬問答 笠懸の事 笠懸乗様

          「小笠原信濃守入道清順の御方江子息兵庫助長秀弓矢井馬の事尋被申不審之條々」とあり、また「右一巻者。従源朝臣貞宗之時信濃守相傳流仕候書也。」とも。小笠原 貞宗(おがさわら さだむね、1292-1347)によって伝えられた弓馬術を、小笠原 長秀(おがさわら ながひで、1366-1424)が記した書であろうか。 一笠懸の事。……笠懸乗様馬場本へ打よせて。馬の頭を立なをさせて。蟇目尻をうちたれて。くるりとかへして立すかして前輪にかゝりて。蟇目尻を耳の二ツの間へ少しひらをさくり入て。

          弓馬問答 笠懸の事 笠懸乗様

          射御拾遺抄 笠懸を射る時

          笠掛記 躰拝の事で解説した笠懸の体配と同じような記述があるので紹介。 射御拾遺抄は小笠原持長(1384年-1458年)によるもの。室町時代中期の有職故実家。民部少輔、備前守。笠掛記に「小笠原備州は……」という記述があるので、この射御拾遺抄を参照していると思われる。 たいはいの事。馬をかへしてかき入所にて。馬手のミゝにこすこさずにうち入て。三かきはかりかゝせてひらき出し。こうでをつかひで矢さすへし。矢さしハかたより水はしり也。手綱をむねのとをりにゆるゆると持て。矢さすとる所に

          射御拾遺抄 笠懸を射る時

          笠掛記 躰拝の事

          笠掛記 躰拝の事(群書類従 塙保己一 編) 群書類従(塙保己一 編)に収められている笠掛記の体拝の部分をおおまかに翻訳する。塙 保己一(はなわ ほきいち、延享3年(1746年) - 文政4年(1821年))は、江戸時代の人物。笠掛記は小倉 実房(おぐら さねふさ、諱は実澄(さねずみ)、生年不詳 - 永禄13年(1570年))による。永正9年(1512年)に成立。笠掛(笠懸)とは笠を的にして疾走する馬上から弓で射る競技。 躰拝の事。 体拝について 体配について 凡そ扇か

          笠掛記 躰拝の事

          [資料]承鐙肉、鐙摺、あぶみずり、しょうとうのしし

          大坪本流馬道秘書 母麻之巻 大坪本流馬道秘書 十字録 乗鐙、鐙端 大坪本流馬道秘書 無名大馬之巻 デジタル大辞泉 鐙摺 あぶみ‐ずり【×鐙×摺】 1 馬の脇腹の、鐙が当たる部分。また、鐙が当たってできたたこ。 2 鎧(よろい)の脛当(すねあ)ての内側下部。かこずり。 3 播磨革(はりまがわ)などで作った簡単な障泥(あおり)。 4 馬の鐙がすれるほど、道幅の狭い箇所。あぶずり。 大辞林 第三版 あぶみずり【鐙摺】 ① 播磨はりま革などで作った、簡単な障泥あおり。 ②

          [資料]承鐙肉、鐙摺、あぶみずり、しょうとうのしし