『何か書かせたい星人』に負ける私の日常
ー 東京都内、某所、数十年前 ー
とある本の著者、兼、占い師の方が、異空間の自宅に招いて私に告げる。
その数年後、
ー 大阪府内、TV局近くの某カフェレストラン ー
ランチを食べながら、かつてのAD仲間、ひとまわり年下の姫が言う。
その翌年、
ー 大阪、高級ブランド集う某ファッションビル内、某ワインショップ ー
真昼間っからワインを飲みながら、東京から出張してきたという某月刊誌の編集者の方が言う。
そして、ほとぼり冷めた数年後、ライターの友人がSNSでコメントする。
ご覧の通り、数年おきに、私の前には「何か書かせたい星人」が出現する。
その都度、気が乗らないふりをしながらも、
その気になって、何かしらアクションを起こす私。
思えば、最初の「何か書かせたい星人 1号」は、小学校一年生の憎き担任。
某新聞社のコラムに、《みんなで詩を書いて応募してみましょう》という担任の思いつきに嵌められた、子供たち。
担任は、そう言って優しく笑った。
冷静に考えたら、なんで秘密にしていることを投稿するんだ。
今ならわかる当たり前のことが、いたいけな子供にはわからなかった。
人の詩を勝手に新聞社に投稿した担任は、教え子の入賞に喜び勇んで家族に電話してきた。
私は、打ちひしがれた。
人生初の、目の前真っ暗事件。
絶対にバレてはいけないことを、そこに書いていた。
いろんな意味で、打ちひしがれた。
一番上の賞ならまだ諦めもついたのだろうか?
家族は、爆笑しながら私を叱った。
『お前は何故それを、詩にするんだ』と、あの頃の自分に言ってやりたい。
子供心に、罪悪感から書いた文章だった。
何て素直な、綺麗な心の私。(どこに行った)
副賞の小さなメダルは母の宝となった。
自慢? そんなわけあるかいな。(興奮すると出る関西弁)
それから私は、二度と詩など書くまいと心に誓った。
その時、私は筆を折ったのだ。
読む専門になった。
それから「何か書かせたい星人2号」に出会うまで数十年。
そこからまた何年かしたら、こんな楽しい飛び道具が現れた。
「何か書かせたい星人」よ。
これで満足か?
私は満足だ。