
音が鳴り続けるホノホシ海岸 - 奄美大島の海に魂が漂う -
「このままでは、来月には命が無いです」と医師から言われたら、あなたはどうしますか。
私は、「それでいいです」と答えました。
その私を、担当の内科医は、絶対に家に帰させてくれませんでした。
「生きていれば、きっと、必ず、いいことが、いっぱいありますからぁ。 僕が、保証しますからぁ! 医学は年々進歩しているんですからぁ!」
101回目のプロボーズ 武田鉄矢さん風(古っ)
奇しくも、武田鉄矢さんの病名と全く同じです。先天性のことが多い病です。私には二度目の手術は頭になく、「とりあえず家に帰ります」と、帰ろうとしましたが……。
いや、先生、熱かったです。絶対に命を諦めない。
結局、ほぼ無理やりその日のうちに入院に同意させられ、外科に回され、あれよあれよという間に、カテーテル検査、手術と予定を組まれ、術後にICUで目覚めた時には挿管されていて、身体中が管に繋がれ身動き取れず。
三歳の時、とある高名な医師に心臓手術をしていただいて偶然助けられた私。数十年経ってそのドクターがお亡くなりになっていても、私のカルテは奇跡的に守られていました。
そんな特別なカルテを持つ私は、なかなかの希少症例らしいようでした。最初の手術の時には、今のような医療機器が無かった時代です。別の個所の異常もその時からあったのかもしれませんが。それも運命。
幸い二度目も凄腕の男前ドクターに手術していただけたおかげで、わずか2時間程度の手術時間で済みました。なのにその誠実な外科のドクターは、かなり悔しそうで、「思った以上に癒着が激しかったせいで、二時間を切ることができませんでした」と言っておられました。
いや、早さより、正確さでお願いします。
ようやく管が外れ、ICUで母が私に面会できたのは、術後三日目頃だったかと記憶しています。
「普通」という言葉って使うの難しいのですが、例えば、テレビドラマで、家族が目を覚ますとかの感動的なシーン、普通はこうです。
「ああ、よかった。目が覚めたのね。誰か、わかる?」
(シナリオライターのセンス無くてすいません)
ところが私が目を覚ました時に言った、母の最初の言葉は、こうでした。
「ね、高校の同窓会のハガキ来てたけど、行く?」
それ、今聞く?
これ、私の心の声です。もちろん起き上がることはできないので、首を横に一度振るのが精いっぱい。で、そのまま再び眠りました。
母いわく、「あなたは、死なないと分かってたから心配していなかった」だそうで。
それが単なる嫌味なのか、事実なのかどうかはさておき、私を生還させようと奮闘してくださったドクター、看護師、検査技師、お部屋をいつも綺麗にしてくださった方、全ての医療関係者の皆様には感謝しかありません。
母の話に戻ります。母は私が結婚する日の朝、私の元旦那が他の女と腕を組んでいる《予知夢》を見たそうで、結婚はすぐに破綻すると思ったらしいのです。
結婚する前に言わんかい。
これが私の母で、嘘かまことか、奄美大島の不思議な血を受け継いだ人らしいです。いや、そんな非科学的なことって思いますが、女性にのみ受け継がれているとか。
自分もその血を引いていると気が付くまで、災いと病が続くらしいよと、笑う母が怖いです。
入院中、私はWish List(ウィッシュリスト)なるものを作りました。Bucket list(バケットリスト)は、もういよいよ人生終わりって感じで嫌だったので。
リストに書き記した半分は順調に叶えていきました。その夢のひとつが、通訳案内士の国家試験に合格して、海外の人々を連れて日本中を案内する、というものでした。
その夢のきっかけとなった出来事は、また別の機会に書くとして……。
退院しておよそ一年経った頃、ようやく飛行機に乗れるようになって選んだ旅行先は、母の故郷、奄美大島。従妹家族と共に大人数で、車二台で奄美を巡りました。
ご存じですか。奄美の集落では、お骨を海で洗う風習が残っているところがあります。そんな場所で、楽しそうに海に入っているのは、県外、島外から来た人たちだけですけれど。
見出し画像の写真は、ホノホシ海岸という場所で、砂浜ではなく、無数のこぶし大の石に覆われた海岸です。ビーチサンダルでは歩けない所です。
ここの石は決して持って帰ったりしてはいけないと言われています。
つい最近のテレビドラマでも有名になりましたよね。
広い何もない駐車場と草地を抜けた先に、海岸名の書かれた石碑があり、下からカラカラと音が聞こえてきます。
波打ち際のザアッというような音では無く、石と石がぶつかり合う音です。カラカラカラ……という音で、海の底から聞こえてくるご先祖様の合唱の声のように私には聞こえたのです。
波打ち際に立った時の第一印象は、「怖い」でした。
パワースポットと言われているそうですが、私たちにはとても神聖な場所に思え、すぐに引き返したことを覚えています。
境界線の世界のような重々しい雰囲気です。伝えるのは難しいのですが。
写真と共に、これを最初の投稿にして、通訳案内士の仕事の事、介護の事、世界放浪記や、病気の子供を持つお母さんたちへのエールや、そして時々タロットメッセージなんかを書いていこうと思います。ゆるく。
では。
このnoteへ偶然たどり着いたあなたへのメッセージ【CUP6‗reversed】
過去を振り返ってばかりいないで、前を向いて。
新しい出会いが待っているよ。