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たまには真面目に仕事の話:その13-通訳案内士ってどうよ-知識より、語学力より、大切なもの-

帰省中のとある日、大好きな公園で、プレーリードッグに出会った。
全然知らない人とも話ができる関西人同士、話が弾む。

飼えるのね……。
これって、アニメの「ハイジ」に出ていたやつよね。
山の上で集団で立ち上がって、お腹を太陽にオープンしている子よね。

得体のしれない生き物の黒い爪の長さに若干怯えている時の心の声

立ちあがってお腹を太陽に当てるどころか、暑すぎて日陰を探して股の間に収まる可愛いやつ。

犬じゃないよ

帰省の目的は、奄美大島の宣伝のためラジオ局への訪問、体調管理を兼ねた検査、そして押し寄せるインバウンド観光客への対応、だったのだけれど。

なぜひとり、公園を歩くことになったのか。……それは、数日前に遡る。

春から激増したインバウンド観光客に、その後の修学旅行の波。
G7サミットのせいで、広島観光が全くできなかったと嘆くお客様が多かった一週間。

そもそも、日程が分かっているのに行程変更しなかったランドオペレーターの責任では?

納得いかないながらお客様に詫びている時の心の声

「返金請求してやる!」とお怒りのお客様をなだめながら、「必ずまたお越しください、また会いましょう」と別れた途端、とうとう寝込んだ愚か者。

このツアーを担当することを許可し、お休みをくれた奄美大島の人たちに申し訳が立たぬではないか。

通訳案内士、いえ観光ガイドにとって、体調管理は必須の課題。
どんな仕事でも実はそれが第一番に大切なのだけれど、人間って、やらかすまで理解しない生き物。何度経験しても変わらぬ私は、どうやら学習能力というものが無いらしい。

地元の診療所は、土日がお休みで行けない。(言い訳)
耳鼻科の常駐のドクターがいない島。(事実)

耳鼻科の先生方、今、奄美大島で開業すれば、独り勝ちです

かなり悪化していることが分かりながら放置した半年。奄美の澄んだ空気で何とか治ると信じていた。(そんな訳ない)

外科のない奄美ゆえ、鹿児島まで行かねばならない状態だったのに「まだ、大丈夫よね」と言い聞かせていた愚か者。

移住推進するなら、病院があること、外科があることって必須だよなぁ。
歳を取ったら(通院増加年齢になったら)都会が一番と言われるわけね。

へき地医療の難しさを身をもって体験した時の心の声

介護に、仕事に、事務所の整理にと、帰省してもなかなか病院に行く間がないまま、とうとう身体がSOSの悲鳴をあげた。

そこまで悪化している事にも気づかずにいた愚か者。
病気ってそういうものよね。忘れた頃にやって来る。

「時間は作るもの」(自分でなんとかできる)だけど、「恋は落ちるもの」(自分でどうにもできない)、そして「災は忘れた頃にやって来るもの」(自分でどうにかできたかもしれないけれども避けられない)、そう誰かが言っていたことを思い出す。

幾つか小さな病院を回り、紹介状を持って大病院へ行く羽目に。
半年前から予約くださっていたお客様の予約をキャンセルすることになった5月。
せっかく休みをもらっても関西にも奄美にも貢献できない残念過ぎる状況。

去年奄美に移住してすぐキャンセルすべきだったなと反省する愚か者。
そう、ガイドの予約は1年以上前から埋まり始める。
その数もひと月で1件、2件ではないのだから「ああ、これで代理店さんとのご縁も終了か……」とへこむ。信用復活できる日はいつになることか。

知人ガイドに片っ端から交代可能か当たるも、爆増したインバウンド対応に誰もが手いっぱいの状況。

コロナ前に完全に戻っている。2024年の予約も入り始めたこの頃。
どうか別のガイドが見つかりますようにと祈りながら過ごした数日。

いくつもの検査後、「やはり手術以外に方法はありません」というドクターの回答にうなだれた帰り道、ひとりたそがれ公園を歩くことになった。
という訳。

かつて万博が開かれた広い公園。芝生の上にピクニックシートを広げている幸せそうな家族連れを見ながら、「なにやってるんだか」と自分に呆れる。

「花ずきんちゃん」だよ!覚えてる?
草ボーボーで隠れてるよ。

どうやら、ゆっくりできる日は遠い。そう思っていただけに、こんな風に、また公園をゆっくり歩く時間ができるとは想像していなかった。

神様から「休め」のメッセージだな……。

久しぶりにしおらしく反省している時の心の声

やろうと思えばできたことを、どうしてやってこなかったのか。
そんなことを考えながら、うなだれて歩いた久しぶりの公園。

そこにいた笑顔(?)のプレーリードッグ。

珍しいものを見て、知らない人と会話をする。
それだけで、ひとりで沈んでいた心がふわりと軽くなる。

未知の経験、その不安を取り除き笑顔につなげること。
通訳案内士の仕事ってそういう事かもと思った。

旅に出ようとする人の心は千差万別。
楽しむために来る人もいれば、何かから逃れるために来る人もいる。

事実、今春出会った人たちの中には、この3年間日本への旅を待っている間に家族を、ご主人や奥様を亡くされていた方が数名いた。

「妻と一緒に来たかったんです」、「母も来たかっただろうな」
そう言うお客様と共に訪れる寺院は、いつも以上に深く心に残った。

未知の場所なら尚更のこと。
ふとした拍子に偶然起こる出来事に弾む心。

シングルトラベラー専門のガイド会社を作りたいね。ガイドになりたての頃、同じくソロ活好きの友人と話していたことを思い出した。

ただその場所を巡るだけでなく、そこにいる人と触れ合って欲しい。
ネットに載っていることをひたすら辿る旅だけでは、「そこに行ったという事実」以外、きっといつか記憶から消えてしまう。

お久しぶりの大阪

久しぶりの大阪で、少しばかりあげたテンションで、ラジオ収録はなんとか現場の方々のおかげで無事に終えられたものの、体調はすぐれず、薬漬けの日々。

別のガイドはなんとか見つかったものの、本当にやりたかったことができないまま、滅多に落ち込まない心が引き続きへこみがち。

無事に大阪へ来られたものの、心は奄美大島に置き去りになっている。

そんな絶不調の中で、向った京都。
実家から30分ほどの距離の京都は、幼いころから行き慣れた場所。

小学生の遠足と言えば京都か奈良。デートと言えば京都。
新たなランドマークがどんなに増えようと、変わらずそこにあるものが多い街。結局歴史や伝統のないものは、一瞬流行って消える街。
ここは100年以上の歴史が無ければ歴史があるとは言われない。

ご存知かとは思うけれど、通訳案内士証があれば、日本全国の多くの観光地で入館料が無料。もちろん、お客様をご案内するための「下見」として。

大好きなお寺では、ひとり何時間も座っていられる。
しょっちゅう訪れるので、また来たの?という顔をされることも。

そんな京都で、いつも日本のビジネスホテル泊の私が、友人に連れられ、分不相応な新しく立派な外資系ホテルへ。

京都も変わって来たなと思いながら、ロビーで友人と待ち合せ。
四半世紀もの間、繋がっている友人のひとり。
滅多に会うことはないけれど、会えば時代が逆行する。

メンバー会員の彼女のおかげで、チェックアウトが16時という24時間の滞在が可能なホテル。ゆったりと過ごしたい宿泊客にとっては最高のご褒美。

ロビーのシンプルでさりげない花 京都らしい建物の雰囲気にぴったり

落ち着いた印象のホテル、ロビーに日本人は一人もいない。
漂う心地よい香りを嗅ぎ、ほんの少し心と身体が癒されたのも束の間、仕事モードスイッチがオンになる。

このホテルに泊っている人たちは、どんな人たちか。
日本人が全くいないけれど、実際の比率はどれくらいか。
今日は満室らしいが、稼働率はどれくらいなんだろうか。
そもそもこのホテルをツアーで利用している気配がない。
個人で予約するホテルなのか。
現地ランオペと提携していなくても人が入るホテルということか。
新しいからまだ知られていないのか。
駅からの導線はいい。
車いすでの公共交通機関からの移動は若干不安がある。
……名刺を置いていくべきか。

客人であることをすっかり忘れかけている時の心の声

近くにコンビニやスーパーは無い代わりに海外のような洒落た雰囲気の店が並ぶエリア。大型バスが停まれるような雰囲気は皆無。

付近にベジタリアン向けメニューのある店舗はあるのだろうか。
タバコの煙の香りが一切しないホテルは好感度が高い。
ロビーにあるトイレの広さは十分か。
Wifiアクセスはどうか。
共用スペースの使い勝手はどうか。
無料のバーは何時まで使用できるのか。
観光施設までのアクセスはどうか。
ホテル前に車寄せが無い。タクシーはどこに停められるのか。

ロビーを見回しながら止まらず働く頭

始めて訪れたホテルでは、絶対やってしまう確認事項の数々、所謂職業病。

奄美では心配しなくていい事を、京都では考えなければいけない。
逆もしかりで、京都では心配しなくていい事も奄美では確認必須の検討条件だったりする。

穏やかな表情の海外旅行客で埋まる静かで落ち着いたロビー。
フリードリンクのバーカウンターには人が集っていた。海外のような景色。
笑顔でフレンドリーな受け答えをするスタッフ。

室内は機能的、必要なものは全てあって、不要なものは削ってある。
シンプルモダンな客室。このクラスのホテルには珍しく、ランドリーがスパに備え付けられ、湯上り用の冷たいビネガードリンクが2種類もスタンバイされている。
深夜にはサラダバーや、お蕎麦の提供、おつまみなどもある無料のバー。

中心部から少し離れるものの、不便さを一切感じさせない。
そこに暮らす人をさりげなく感じることの出来るエリア。
付近には古い建物を改装した個人経営のショップが幾つもある。
この付近だけでゆっくりしたい。そう思わせるホテル。

海外にいるような雰囲気

春の京都の宿泊費は通常の3倍~5倍にも跳ね上がる。
そろそろ落ち着いてきたとはいえ、付近のホテルよりは高めの価格設定。
けれどトータルで考えれば、お値段以上のお値打ちホテル。
かといって至近距離にある同じ系列の超高級ホテルほどの価格ではない。
こういうホテルが増えればいいな、そう思えるホテルだった。

このホテルが、この付近のショップが、この2年を生き延びて、どう戦ってきたかは分からないけれど、これからもここを使いたいと思わずにはいられない。

流石に仕事以外ではビジネスホテルに泊るのが辛いお年頃。
「ビジネスの少し上のホテル」だと彼女は言うけれど、旅先で優雅に味わうというコンセプトが日本の画一的なビジネスホテルとは違い過ぎていた。

安宿をバックパッカーとして旅するなら、1年でも若い方が良い。
ガイドとしてロングツアーに出れば、ビジネスホテルをゲストと共に周遊することになる。
10代の人たちが集うツアーではカプセルホテルに泊まることも。

通訳ガイドとして片足を突っ込んだら、ホテルとその周辺を知り尽くさねばならなくなってくる。これに民泊や町屋まで加わり、ネタ帳はパンパン。
しかもすぐに情報は古くなる。

ハイエンドが宿泊するホテルに泊れるガイドになりたいと思っていたけれど、どうもそういうホテルのスタッフとの相性が良くない私。
多分、「庶民」という事なのだと思う。

手の込んだ一皿を提供するお総菜屋さん

「二度目に来るときに、お勧めのホテルはありますか?」
そんな質問もお客様からよく受けるけれど、ここは是非お勧めしたいホテルだった。
もちろん一緒にいる人が誰なのかに大きく関わって来るのだけれども。

観光客爆増で絶え間なくガイドの依頼が来ていた今春。
休みが取れず、全くインバウンド観光客が訪れる気配のない奄美で過ごした日々が、とてつもなく勿体なかったと感じてしまったのは事実。

多くの店がなくなり、代わって新しくできた店舗を確認したかった。
スルーツアーで訪れていた場所が今どうなっているのか、日本全国確認したかった。

本当にやりたかった仕事が、何一つできなかった三年間。
奄美に移ったところで、それは同じだった。
却って全国での活動が見えなくなってしまったかもしれない。

せめて、受け入れ準備だけでもできればと思ってやってきた事柄も、誰とも共有できず、関西圏の友人と作ることになった。
何をしに奄美大島まで来たのだろう。その後悔の念が溢れてしまう。

殆ど記憶にとどめることができなかったほど目まぐるしく過ぎて行った日々。「一期一会」の大切さを、ふと見失ってしまう毎日だった。

コンビニも大型スーパーも映画館もあちこちに当たり前にある街中。
島でひと月分の生活費が、関西では2日で消える。
止まらない煩悩。購買欲。
痛む身体。

ああ、自分って変わらない人間だなぁと、沈みかけていた時、「良かったら一緒に泊まらない?」と誘ってくれた友人。

いつもの二拠点移動が、進まない日常が、ホテルひとつで「心を癒す旅」に変わった。

僅か数か月前、その友人は大切なご主人を亡くしていた。
突然のことだった。私の比ではないくらい辛かったはず。
その悲しみの深さは、私には決してわからない。

どんな言葉も慰めにはならない。かける言葉か見つからないという体験を、初めて経験した。
そのご主人には数回しか会ったことはないけれど、あたたかい優しい印象の方だった。
ご夫婦とも努力家で、ご主人は日本が大好きで、日本の妖怪が大好きで、奥様が大好きで、共に奄美の妖怪に今年くらい会いに行くかもと聞いていた。

ただ友人の傍らで、他愛もない昔話をする事しかできない自分。

最近食事がとれないと言う彼女と共にお茶を飲み、お菓子を食べ、ホテルで夜食を取って、客室で世間話やゴシップに触れ、翌日も夕方までゆっくりと話をして家に戻った。

「久しぶりにしっかり食べて眠れた」という彼女の言葉に胸が詰まる。

こういうのを現実逃避というのかもしれないけれど。
ふたりの旅人が、一瞬だけでも違う場所に逃避できていた気がする。

友人を見送り、今自分がいる場所、いられる場所を思うようになった。
この仕事をしていれば、どこにでも暮らせるけれど、何かが起こる度、震災や台風やどの災害に見舞われる度、職を失う。

逃避していた現実を突きつけられる実家に戻り、変わらない現実を受け止め、これからの活動についてようやく正面から向き合いはじめた。

やはり奄美でできることはないのではないか。
これが地域おこしの現実か。

共に何かをするというよりは、勝手に誰かが何かを魔法のようにやってくれることを期待する人々と、どうやったらプランを前進させられるのか。
出た答えは、国費を使わず、自分の力で仕事をするべきだ。だった。

こんなことなら自力で移住するんだった。

後悔先に立たずの心の声

けれど、公的機関に関わっていることで、地域の人たちが信用して話をしてくれるのは事実。
地域おこしが来ることで、人口が一人増え、村が潤い、たとえその費用を自分が使えなくても、流用されても、それでもいいのではないか。そもそも、地域おこしを望む場所の人々はそれが目的ではないか。
そう思い始めていた。

友人と別れた後、どうしようもない心のもやもやをなんとかしたくて、突然深夜に家を出た。

暗くなったら出かけられない奄美。
対照的に夜通し明るい夜の大阪は、ふたつめの現実逃避の場所。

映画館のない奄美大島。
生まれてからあたりまえにあったものがない。
あたりまえにあった全てのことに感謝しながら観た映画は邦画のアニメ。

半年以上も上映していたことで気になっていた映画。
ネットで映画が見られる時代、少し待てばいいだけの話。
普段ならスルーする。

現実逃避しようと見た映画は、震災と日本神話をベースにしたような不思議な世界だった。震災を体験した身には辛い内容。
現実逃避どころか、今度は過去と向き合う羽目になった。

変わらない毎日が、たとえそれが退屈な毎日でも、繰り返す日常が、普通が一番だと映画は教えていた。

冒頭、寝起きの主人公の周りを飛ぶ蝶々を見て「ああ、家族が来ている」と思った人はどれくらいいるのだろうか。

奄美では、蝶は「死者の使い」、もしくは「ご先祖様」と言われる。

山に入るとよく蝶の大群に囲まれることがある。
「ただいま戻りました。お出迎え有難うございます」
そう言うと、蝶たちは天高く舞い上がる。
そんなアニメのようなことが、普通に起こる島。

「いってきます」、「行ってらっしゃい」、そう言って別れた人たちが、
「ただいま」、「おかえり」、ともう一度言えることは当たり前ではない。

行ってきますと離れた実家で、もう一度母におかえりなさいと言ってもらえる日は来ない。自宅で倒れたまま、二度と戻って来られないこと、災害に見舞われること、そんな現実は誰の周りにも当たり前に転がっている。
それを失うまで気づかないのは、健康を失ってからその大切さに気づくことも同じ。

小さな罪悪感。

「どうしてこうなる前に病院に行けなかったのか」

同じ言葉を、ホテルの部屋で、レストランで、友人は何度も吐いていた。瞳に涙を溜め堪えながら。

「おかえり」と言えない日が来るとあの時分かっていたら。
そんな後悔を抱える人たちはきっとこの世界に無数にいる。

誰のせいでもない。誰にもわからなかったこと。
友人にかけたその言葉は、自分を納得させる言葉のように思えた。

大切な四半世紀以上の友人。
私の憧れだったご夫婦。

どんなに幸せな人だって、その幸せな日々が、ずっと続くことは無いのかもしれないけれど。
同じように、辛い日々もずっと続かないと信じたい。

何度も自分に投げかけられたメッセージ。
見るもの全てに意味がある。早く気づきなさい!と投げかけられている。
そう思うようになれたのは、きっと奄美に暮らせたおかげ。

翌朝から自身を戒めるように通院を重ね仮治療を終え、いよいよ奄美に戻ることになった日。
空港は、楽しそうに言葉を交わす家族連れや友達同士で賑わい、去年は10人も乗客がいなかったガラ空きの客席は全て埋まっていた。
あの景色はもうどこにもない。

何でも徒歩5分で手に入り、深夜まで遊べる日々から、台風がくると1週間は船が停まって食料が手に入らなくなる日々へ。

それなのに奄美空港のロビーを出るや否や、台風間近で湿度いっぱいの空気に一瞬で心が満たされる。

自宅の窓を開けるだけで聞こえてくる静かに繰り返す波の音。
夜に響く梟の穏やかな声。
朝夕に鳴く、その時期にしかいない渡り鳥の澄んだ声。
早朝、出勤時には色とりどりの蝶が車の前をゆっくりひらひらと横切る。
早くも飛び始めたトンボたち。

さて、あと1年半ほどの任期。
何をしようか。

そんな思いでいたら、
「久しぶりだねぇ。身体大丈夫かね? これ持っていきなさい」と会うなり何やら沢山持たせてくれるひとたちと出会う。
「これしたいんだけどね。この前の話覚えてる?」
「今度こういうツアー作ってくれないかね」
「帰って来ないのかと思って心配してたよ」
「これするのに、どんな届け出がいるの? どこに行けばいい?」

沢山の質問の嵐の中で、この一年半どれほど多くの人と繋がって来ていたかに気付く愚か者。

本当は共にやりたかったけれど。縦割り行政の中で動くのは難しい。
ここを離れなければ一緒にできない。そう思っていた。

病気をしなければ、気づかなかったかもしれなかった事実。
本当に頼れる人と、そうでない人がはっきりわかるのは、こういう時なのかもしれない。

人間万事塞翁が馬。

本当にやりたかったことをやろう。
やってはいけないことなら、きっと神様が止めるだろう。
きっとまた何らかのメッセージで教えてくれる。

そのために、はやく治療を終えねばね。

もう少しここにいてもいいのだと思えた。
何もできなくても。

いや、ここにしかないツアーは必ず作り出そう。
その為に戻って来たのだから。

人に雇われるだけの通訳案内士から卒業しよう。

きっと、生きてるだけでまるもうけ。

京都で好きなお寺のひとつ。建仁寺さんのお庭。悩みが溢れるとぼおっとしに訪れる場所。
最近ここも人(インバウンド観光客)だらけになって来た。


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