「どうも、神奈川の人です」という気軽さ
皆さん、こんにちは。
毎週火曜日は焼き鳥の日。上岡です。
自分の生まれ持った性格って、なかなか変わらないなーと感じるこの頃。
自分をどのように紹介するのか、他の人が私を説明するときになんていうか。
そんなちょっとしたニュアンスに一喜一憂しモヤモヤしている上岡です。
「主婦の人」と言われる違和感
最初にそれを感じたのが、「主婦の人なんですよね。」と言われた時のこと。私の中で「主婦」とは家事をして育児をして、家庭を守っているイメージ。つまり今の私とは真逆な人物像でした。
主婦の人=結婚されてるんですよね
くらいのニュアンスだと思うのですが、自分にとって主婦というワードがものすごく違和感と罪悪感がありました。
何か家庭を置き去りにし、自由気ままに旅に出ているような。(まあそうなんですけど)
結局それって、自分でどこか罪悪感を1%でも抱えているからこその思い込みなんでしょうけどね。
それとは別の話ですが、福岡県は焼き鳥が有名なようです。焼き鳥屋さんの多い県。御花も一番ご近所の飲み屋さんが焼き鳥屋さんで、毎週火曜日に仲良しのおじいさまがくるので焼き鳥の日と決めています。
そこで出会ったおじいさまに「名前覚えられんけん、神奈川の人でよかばい」と言われたので、神奈川の人と名乗るようにしています。
「神奈川の人」という呼ばれ方には、何の役割もなくて心地よい。責任もないし、誰でもない。
その肩書きが背負っているイメージってあるんだな。
なんて呼ばれたいか、呼ばれたくないか。私はなになのか。この問いは面白い。
旅に出るときに「まっさらな自分に帰る」とか「ありのままの自分を取り戻す」みたいな言い方をされるけど、それってもしかして「誰かから見た私の肩書き」を手放すってことなのかなと思った。