「人を信頼していくこと」(「明蘭」原題:知否知否应是绿肥红瘦を見て)
ずっと好きでいたい、大切にしたいから無尽蔵に消費したくないという思いがある。けれどずっと作品の余韻に浸っていたいという思いも同時に存在し、2つの感情で板挟みになっている。そのような感情に慣れるほどの作品に出会うのは貴重だが、「明蘭」(原題:知否知否应是绿肥红瘦)はそんな作品の1つだ。だから作品から私が受け取った感情を言葉で記録しておきたいと思い文章を書くことにした。
この作品は73話という長い話数だ。物語のちょうど真ん中で主人公の結婚が入り、そこが核となって物語が進んでいく。構成からも当時の女性にとって「結婚」の影響力の大きさが表れている。中国版のポスターも婚礼衣装のカットだ。
あらすじ紹介
以下、結末にも触れるのでネタバレ厳禁の方は回れ右で!
<ドラマの核心=人を信頼する道筋>
今回「明蘭」を語る上で視点をどこに固定をするかというと、「人を信頼する道筋」だ。そして人を信頼をしているかについての基準を「自分の感情をどう表わすか」に置く。
あらすじにも書かれているが主人公明蘭は側室の子供(庶子)だ。作品の背景である北宋の時代では嫡庶の差が明確であった。側室な上に明蘭の生母は既に死別しており.、明蘭の立場は吹けば飛ぶような身の上だった。 庶子であり、生母もいない明蘭は母親が生前繰り返し彼女に言っていた「出しゃばってはだめだ」という言葉を守り自身の才覚を隠し”大人しく、聞き分けの良い”人として生きる様になった。それが彼女の唯一の生きる道だった。
彼女の立場で行動する上で特に重要なのが「感情を抑えること」だ。彼女の嫡母である王若弗は感情を抑えられず結果自分が不利益な結果につながる。受け取った感情をそのまま行動に移すと起こる災いをそのまま体現してくれる。賢い明蘭はその様子を見て感情のまま行動することは自身の弱みになりうることを理解し徹底的に感情をひた隠すようになった。 結果、周囲は彼女のことを「大人しく、聞き分けの良い子」として周囲は認識している。
このドラマには「封建社会」という装置がある。身分の上下が明確に分かれており、与えられた身分とは不相応の行動が罪に直結する世界だ。この装置内で女性であり、庶子である明蘭は「自己」のために生きることも、弱みにもなりかねないため感情を表現し生きていくことが許されなかった。彼女が感情を出すために必要な条件は、"信頼できる人の前であること"、そして"身分"の2つだ。信頼できる人はその人の前では自分の感情をストレートに表現できるし、出せる。しかし2人だけの空間、もしくはある程度閉鎖されている場所に限定される。一方で”身分”は彼女に発言権を与える。それだけに限らず家の差配人として能力が求められるため彼女の才覚を隠す必要がなくなる。もちろん身分が高いからといってそのまま感情を出していいかというとそうではない。が、許されているか、そうでないかは全く違う話だ。特に嫡母・王若弗、そして嫡子である如蘭は感情をそのまま表わし行動をするが「嫡母・嫡子」であるため不利益は被るものの、感情をそのまま表現することが「許されている」。けれど明蘭は「許されていない」。
彼女の信頼できる人として4名登場する。彼女を育てた祖母、友人の焉然、张桂芬、そしてのちに夫の顾廷烨の4名。信頼できる人の前では彼女は表情を抑えず情の熱い人になる。4名の内、夫である顾廷烨が彼女に身分を与えることができる。彼の家は世家候府という高い身分の嫡子であり、皇帝の重臣である。そして何より彼は明兰が賢いことを早くから見抜いていた。
(↓以下のシーンは最初に明蘭に思いを寄せる齐衡とのちに夫となる顾廷烨の会話だ。顾廷烨が明蘭の才覚を早くから見抜いていたことを示している。)
・封建社会の中で彼女に「感情を抑えずに生きれる」ように
自身の作品で核となる部分は(個人的に一番好きな部分が)明蘭が自分の感情を隠して生きざるえなかったことを顾廷烨は把握した上で、これからは自分の権力と身分で感情を抑えて生きなくても良い立場にしようと自覚していることだ。その点が一番現れるのが39話の求婚の言葉だ。
もちろん彼にもまた複雑な家庭の事情があったため、単純に明蘭に気軽に暮らして欲しいという思う良心だけで彼女を妻にしたいと思ったわけではない。
むしろ敵だらけの顾家を相手に一緒に戦えるだけの相棒が欲しかったという思惑もあった。ただ彼の思いというのは結婚した後も一貫して登場する。実際彼は彼女に対して「感情を抑えずに生きていけるよう」な環境を整えるのにとった行動について考察してみようと思う。
①身分
彼女は自身が目立たないように隠していけない理由が「庶子」であり、保護してくれる母がいないという点。いくら祖母(老太太)がいるといってもこの身分から逃れることができない。その身分を唯一変えられる機会が結婚であり彼女に身分を与えられる地位と力を持って顾廷烨は戻ってきてから彼女に結婚の申し込みをする。結婚後彼は彼女に対して爵位を与える点からも、彼は結婚を通じて明蘭の地位をあげようとしていたと考えられる。そして彼女に与えられた「身分」によって実家で彼女を誰もみくびることはなくなった。
侯爵家の「正室」という身分が与えられたことで彼女の能力が発揮される場所も与えられる。特に「正室」と「側室」の違いは大きい。側室は家の存続のために子供を産むこと「のみ」が要求されるが、正室はその家を管理する役割がある。財務管理、荘園の管理、使用人の管理、側室の管理等々...。宴会の準備なども全て正室の役割である。荘園の管理、使用人の管理、そして財務管理の件、そして子女の教育を担うところまでドラマでは細かく描かれており彼女の才気が遺憾無く発される場面である。
②感情をストレートに表現する。
顾廷烨は明蘭に対して自分が感じたことをそのまま表現してほしいとずっと願っている。あと先や自分の行動を常に律して「馬鹿なふり、おとなしいふり」をしなければならなかった状態から抜け出させてあげたいと思っていた。
それなのに明蘭は顾廷烨の叔母に側室を押し付けられても嫉妬をせずに粛々と準備をするわ、昔囲っていた女に情報を聞き出すため共寝をすることをすすめる。どちらも彼女自身の感情だけを考えるのならば気持ちいいものではないが夫のためならと考え行動する。このとき、彼女にとって顾廷烨は夫というより雇用主であり生きるための鎧をつけたままだ。それだけ当時の女性の置かれた場所は貧弱で夫に依拠したものであることを賢い明蘭はよくわかっていたからだ。
顾廷烨は彼女の賢さはよくわかっていながらも自分の前ではその鎧を外してほしい。故にすねたり側室を受け入れ準備を粛々と行う彼女に対して怒る。それはあくまで彼女が彼に対して全面的に信頼しておらず心を許していない部分があるという証拠だという。
そんな状態から明蘭が顾廷烨に対して雇用主という側面から本当に心から信頼する。それは顾廷烨が彼女が窮地に立ったときに彼が力を差し出したからだ。
母の位牌が収められている場所に、母を殺した林噙霜の位牌を移そうと墨蘭が提案したとき。 → 明蘭にとって母の存在は捨て身になれる存在であり、箸を投げ捨て父親に逆らう。父親が明蘭を叩こうとしたときに顾廷烨が現れ彼女の主張を通すのに一躍買う。
祖母が康夫人(嫡母の姉)の策略により毒殺されかけたが罪が問われずに有耶無耶になってしまいそうになったとき。→康夫人と嫡母·王若弗の母が明蘭の弱点をつき危機に陥ったときに顾廷烨が現れ、結局罪が有耶無耶になることはなかった。
どちらも彼女の守るべき人が害され捨て身になって行動したものの、公平に扱われずに真実が闇の中に埋没してしまいそうなとき、明蘭を顾廷烨は助けた。それに対して少しずつ信頼を寄せていく。
実際、64話で祖母の事件を解決した後から明蘭の顾廷烨に対する態度は以前と変わり始め彼と交流のある妓女・魏行首を気にするそぶりを見せ始める。そして最終的な窮地に彼女は顾廷烨のために捨て身になり行動をする。彼女にとって自分の体面をかなぐり捨ててもいい人=自分にとって大切な人である。そのため最終的に明蘭にとって顾廷烨は全面的な信頼をおく人という認識になった。
72話という恐るべき長さのドラマなのだが、終わって見れば人が人を信頼する瞬間を描ききるにはその長さこそが必要不可欠であったことを実感する。
明蘭の結婚するまでの盛家での境遇、庶子ゆえに公平に扱われない悔しさ、顾廷烨の複雑な家庭環境から始まり、結婚してハッピーエンドというわけではなくそこから夫となる人を本当に受け入れ信頼するかという過程をこの長さで描ききった。特に当時「夫」という存在はまさしく”雇用主”であり彼女の人生を左右することができる存在だ。そのため同じような立場の人と支え合う友人と信頼しあうとはまた異なった力関係が生まれてくる。その力関係の中で人との関係性の変化を丁寧に緻密に描き出した。その点がこのドラマに私が一番称賛を贈りたい部分だ。
特に捨て身になる覚悟を決めた明蘭の緊迫感は赵丽颖の演技、そして演出は圧巻だったと思う。この緊迫感により顾廷烨が現れたときの彼女が感じる安心感も視聴者にそのまま伝わり彼女が顾廷烨を信頼し最後彼のために捨て身になったという結末にも真実味をもたせることができた。
<まとめ>
以上のように明蘭というドラマが私にとって大切にしたい作品として印象深く残ったかについて要素を分解し整理をした。
72話という長さをかけて明蘭という主人公が人(ここでは顾廷烨)を信頼していくかという過程を描いた物語だったと思う。彼女の心情の変化を描くためにはしっかりした原作、綿密な脚本、演出、そして衣装、照明に至るまでの損のつけようのないきめ細かさが物語に”嘘らしさ”を感じることなく72話の間、私を飽きさせなかった。
特に生活の風習、風俗や価値観がドラマによく現れている点もよかった。”奴婢””良民”という戸籍に基づいた身分制度、正室・側室、そして嫡子・庶子の序列、当時の女性が置かれた環境に関しては私にとっては目新しく興味深かった部分だ。もちろん中国の歴史、生活風俗に関しては無知であるためどこまで真実かという判別をつけることができない。しかしその後見た『梦华录』『星汉灿烂』などを見ると『明蘭』の時代考証の方が丁寧であることは大体推察ができる。
ある程度知られた話だが夜のシーンの撮影で蝋燭のみで行われたとのこと。その結果映像が美しく雰囲気が出るだけでなく視聴者の没入感の増幅に一役買ったと思う。
・ドラマが私に与えた影響
さて、このドラマが私に与えた影響は大きく初めて見たのが5月15日で、そこから原作の小説16巻を全て完読し、何度も見返しついにはこの記事の完成まで導いたのだからかなりハマったと言っていい。
この作品が私にとって特別な理由は自分の行動や考え方に変化を与えたからだ。
私はどちらかというと思ったことがよく顔に現れ、思ったことをすぐ口にしてしまう王若弗タイプだと思っている。ゆえに自分の思うまま行動し顰蹙を買ったことも多くある。今は現代でもあり、私の家族に正室・側室、嫡子・庶子、といったカテゴライズもなかったので比較的許されてきたが古代ではきっとかなりの問題児であっただろう。そんな私にとって感情をそのまま出して行動した時の周りの視線、不利益といったものをそのまま実感し自分の行動を省みるきっかけになった。
それと対比されるように明蘭の長い視点を持ち感情に左右されない鮮やかな手腕に魅了された。「庶子」「女性」という厳格な身分制度と男性中心主義の社会、本分を逸脱すると後ろ指を刺されるという制限の中で彼女の聡明さで問題を解決していく手法を見て今までとは違う考え方で行動しようと思うようになった。
いうとするならば「この時明蘭ならどう行動したかな?」という視点を私に授けてくれたドラマだった。
そのためこのドラマは私にとって、いわゆるバイブル的な存在だ。
ドラマ鑑賞が趣味になってから人々を没入させるようなドラマを作ることの難しさ、凄さについて実感するようになった。どれだけの苦労と労力によってできているのか想像もつかない。それゆえにこの作品をこの世に生み出してくれたことにただただ感謝しかない。
・これから書きたいこと
まだまだ書きたいことはたくさんある。明蘭は封建社会に対する批判意識を持ったことも描かれている点、特に齐衡の妻申和珍との関係については特筆すべきだ。また原作との違いに対しても書きたい思いもある。ドラマと原作では結構な違いがある。大体こういうのは原作の方が良いなと思うことが多いが先にドラマを見たせいか、原作を第二言語である韓国語で読んだせいか、ドラマの方がより良いと思った。特に心情変化に対しての描写の説得力と敵に当たる人たちとの対比がドラマの方が明確で、かつわかりやすかったため感情移入しやすかったからだ。そして題名の「知否知否应是绿肥红瘦」は李清照の『如夢令』を引用したものだが、この李清照についても書きたかった。しかしこれらも書こうとしたらおそらく一年たっても完成しそうにない。また時間と気力ができたら書きたいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?