人でも霊でも悪い奴は怖い
『人形』は怖くない
私は子供の頃から人形作家の方達と交流があったこともあり、人形に慣れ親しんでいるため『人形が怖い』という感覚がわからない。それは玩具の人形にしてもアート作品(それこそ恐ろしい見た目のものでも)にしてもそうだ。(ちなみに家族全員そう)
人形が怖いという人の多くは、例えば『動き出したら怖い』とか『こっちを見ているようで怖い』とか、そういった『生きている(魂を持っている)んじゃないか』という杞憂から恐怖心を覚えているのだと思う。
だが、私のような人形好きからすると、もし人形に魂が宿って動き出したら『嬉しい』としか思わない(なんなら基本的には魂が宿っている前提で向き合ってる)。それがアート作品であれば、作家さんへ『良かったですね!』と伝えたいくらいだ。
『他人』は怖い
そんな私だけれど、別に『人形が怖い』という人の気持ちがわからないわけではない。
よく、考えてほしい。
魂が宿った人形。その魂とは『誰』なのか。
人形自体が自我を持ち、魂という一種の生命を得たのだとしても。何処かからやってきた霊魂が宿ったのだとしても。それは多くの場合において『他人』である。ロケーションは関係なく、意思の疎通が取れない(あるいは取れていると確信できない)他人と相対した時、ひとはそれなりに警戒し、場合によっては恐怖を感じるものだ。そう、だからつまり、人形全般を怖いと思っている人は、それが他人だから怖いのだと思う。広義の人見知りとも言えるかも知れない。
だからたぶん、人形が怖いと言っている人でも『自分の母親が大切にしていた人形に母親の霊が』『自分の息子・娘が宝物にしていた人形にその子の霊が』人形に取り憑いたというケースでは、少なくとも手放しで怖がることはないのではなかろうか。
悪い奴は怖い
では、慣れ親しんだ人形に魂はが宿った場合はどうか。人形が怖いという人でも、ぬいぐるみやフィギュアのひとつくらいは、自宅や実家にあるのではなかろうか。
例えば人形が自我を持った例として『ドラえもん』を挙げてみる。もちろん人工知能の組み込まれたロボットなのでニュアンスはだいぶ異なるが、一旦気にしないでほしい。人形に霊が取り憑いた例として『チャイルド・プレイ』のチャッキーを挙げてみる。これは納得していただけるだろう。この場合、チャッキーを怖いと思う人は多いだろうが、ドラえもんを怖いと思う人はほぼいないだろう。
では逆に、ドラえもんが実は誰かの霊がロボットに取り憑いていて、チャッキーは自我を持ったグッドガイ人形だとしよう。さて、この場合において、ドラえもんを怖いと思ってチャッキーを怖くないと思う人はいるだろうか。いないとは言い切れないが、だからといって世間における既存の評価がひっくり返ることはないだろう。
そう、人であれ霊であれ、悪い奴は怖いのだ。
要するに、無差別に『人形が怖い』と思っている人は、『よく知らない人だし、怖い人かも知れないし』と思っているのだけで、実は『人形だから怖い』というわけではないのだと私は考える。
おわりに
何が言いたかったかというと、私は人形が好きなので、人形が怖いと思う人が減ってくれたら良いなと思っている。だから人形が怖いと思っている人にはわかって欲しい。それは人見知りみたいなもので、霊だろうが人だろうが、よく知らない、しかも悪い奴かも知れない奴は誰だって怖いよね。ということだ。
ほとんどの人形には、残念ながら、おそらくは、魂は宿っていないと思う。だから安心して接してほしい。少なくとも99.99%の人形は動かないし襲ってこない。人間よりずっと安全だ。そうして触れ合ううちに、もしその人形が自我を持ったとしても、それはもう『知らない奴』ではないのだから、怖がる必要はない。
──まあ、気が合わない可能性はあるけれど。