「落ち武者の霊」と「兵隊さんの霊」
当時の"ありがちな設定"
「私が子供の頃〜」と書くと年齢がバレるけれど、三十年くらい前までは、ホラー(ここでは敢えて「怪談」ではなく「ホラー」と書く)の中で「落ち武者の霊」と「兵隊さんの霊」はまだまだ現役だった。
普通に現代の部屋の中に落ち武者の霊が出てくる話なんかは、今思えばなかなかシュールな気もするが、当時は「ありがちなホラー」としてまだ受け入れていた。
兵隊さんの霊、あるいは「旧日本軍の〇〇(の霊)」といった話も多く、廃墟はもちろん学校や病院で出る幽霊なんかはこのパターンがかなりあった気がする。
兵隊さんの霊
三十年前、という時代を考えてみる。それは1990年代初頭、戦後五十年くらいか。まだまだ戦争を知っている世代も多く、戦後生まれの団塊世代にとっても戦争は昔話ではなかったはずだ。すると、その下の世代もリアルな戦争の話を聞いて育っているわけで、人口におけるかなりの割合で「戦争」は身近なものだったと言えるのかも知れない。実際、私の祖父母も戦争体験者であるし、戦時中の話は「リアルなもの」として聞いている。
建物にしても戦時中の建物(廃墟を含めて)がまだまだ残っていたはずだ。少なくとも「戦時中、軍の施設として使われていた」という"設定"は、子供だった私にもすんなりと受け入れられていた。
恐らく、ホラーの中から「兵隊さんの霊」がいなくなり始めたのは、戦争体験者が亡くなり、古い建物が新しい建物に置き換わり、日本社会から戦争の影が消えていった為だと思われる。2000年代になる頃には、戦争をバックボーンとする幽霊はほとんど鳴りを潜めてしまったように感じる。
落ち武者の霊
では落ち武者の霊はどうか。三十年前だって戦国時代に生まれた人間は当然いなかったし、リアルに話を聞いていた世代だっていない。(とはいえ明治時代が1868年からなので、私の祖父母世代はその祖父母から江戸時代くらいの話であれば普通に聞いていただろうが)
しかし落ち武者の霊が出てくる話は、当時まだ現役で語られていた。と、いうかまだまだ"新作"が生まれ続けていたくらいだ。具体的な作品名は避けるが"某霊能力教師"を主人公としたマンガにも、いくつか侍の霊が出てくる話や、侍がいた時代を背景とした話があった。そういえば"某高校生探偵"を主人公としたマンガにも鎧武者をテーマとしたエピソードがあった。
数年前に「日本の幽霊の寿命は約400年」なんてツイートがバズったことがあった。なるほど、その説が確かならば、現代(2000年代以降)を舞台とした落ち武者の霊が出てくる話が無いのは理解出来る。
しかしそれだと「ホラーは全て実体験を元としている」という暴論にも繋がり兼ねないので、ここでは「寿命」を「賞味期限」と置き換えて考えた方が良いかも知れない。そうでないと「実体験」からだけでなく「フィクション」からも落ち武者の霊がいなくなったことは説明出来ないからだ。
何故、落ち武者の霊が出てくる「新作ホラー」は(知る限り)無くなってしまったのだろうか。
怖い話と笑い話
ホラーの設定に賞味期限があるというのは確かだろう。ホラーにおける「賞味期限切れ」とはつまり、それが「怖い話」としてリアルに感じられるか否か、ということだ。現代のCG技術で作られた落ち武者の霊を想像すると……怖いかもしれないが、正直なところ笑ってしまうかもという気持ちが強い。
ひとつには時代劇や時代小説の衰退があるかも知れない。「若者の〇〇離れ〜」なんて言い回しは好きではないが、とっくに若者でなくなった私ですら時代劇は見ない。戦国時代をテーマにした映画などはまだまだ作られ続けているし、大河ドラマも健在だが、それらはわざわざ自分から触れようとしないと観ることがないものであり、私が子供の頃のように「何となくテレビで時代劇がついていた」といった日常の中に当たり前にあるものではない。現代では日常の中で目に触れるとしてもコメディ要素の強いもの(広告やCMなど)が多いように思う。そうなると、フィクションの中で落ち武者やちょんまげ頭の幽霊を見たところで、恐怖を感じろという方が難しいのかも知れない。(そりゃ実際に見たら怖いだろうが)
「戦国時代の死そのもの」が笑い話になったとは言わない。しかし、笑い話として扱える程度にはなったのかも知れないな、と思う。
怖い話は飽和状態
では「兵隊さんの霊」についてはどうだろう。これは「落ち武者の霊」とは事情が違うように思う。未だに世界から戦争はなくならないし、戦時中を舞台にした話はまだまだ身近に溢れている。では何故「兵隊さんの霊」はホラーの世界から消えていったのか。
70年代、90年代ときて、現代もまたオカルトブームがきている。その中で「怖い話」は星の数ほど生まれては消えていっている。「兵隊さんの霊」については単純に、その飽和状態の怖い話の中でマイナージャンルになっただけなのではないかと思う。その理由は前述の通り、リアルな語り部がいなくなり、戦前から残るような建物が町から姿を消したからだろう。
戦争で亡くなった方の霊は、未だに現代のホラーの中から完全に消え去ったわけではないし、もちろん笑い話になったわけでもない。リアルなホラーとして新作を作れる人間が減少してしまっただけなのだと考える。それを「日本が平和な証拠」と言ったら、笑われるだろうか。
「呪物ブーム」が落ち武者の霊を呼び覚ます?
最後にひとつ気になることとして、昨今の呪物ブームだ。呪いの人形や、人体の一部を材料としたものなど様々だが、その中に仏像や刀、鎧兜といったものも散見される。となるとその曰くとして、呪物を「リアル」との媒介に、落ち武者の霊が再び日の目を見る可能性もあるのではないだろうか。
おわりに
ホラーで重要なのは「どれだけリアルに感じられるか」だと思う。もちろんそんなことはどんなジャンルでも同じなのだが、ことホラーにおいては、どれだけ精緻に作られた物語でもリアルに感じられなければ「面白く」ても「怖く」はない。ホラーは怖くてはならない。それは当然のことであり、難題でもある。
私が子供の頃に見聞きした「落ち武者の霊」や「兵隊さんの霊」が出てくる話は、リアルに怖いものだった。それらは現代のホラーの中では(少なくともメジャーシーンにおいては)すっかり姿を見なくなってしまったが、根強い妖怪人気や呪物ブームを足掛かりに、いつかまたジャンルとして復活するのではないかと、私は期待する。