新しいことに興味を持つのがこわかった。
この記事は『つくるためにかんがえていること』のマガジンの文章です。
凝り性で、飽き性です。
でも正直なところ「凝り性ではあっても飽き性ではないぞ」というフリを頑張ってしてきました。
みんなに対してもそうだし、自分自身に対しても。
飽き性って、何だか我慢できない人のようでカッコわるいじゃないですか。
「この道一筋」で同じ技術や素材に向き合い続けている人の方が、カッコいい。
だから、ずっとずっと黙っていました。
「私はこの領域にトコトン、一生向き合います!」と宣言しながら、同時に自分にもそれを言い聞かせていた。
それでもどうしても色々なことに興味を持ってしまい、そんな自分のエネルギーをコントロールできないままに振り回されながら生きてきました。
中学の終わり頃から大学1年生くらいまではずっと音楽しかしていませんでした。閃光ライオットの予選に出たりしていたのも今はもう懐かしい記憶。(結果は2次審査で暴れ狂ったボーカルがドラムを壊して落ちてしまいました。)
大学になっても平日はスタジオとレコーディング、週末はライブという日々が続き、入学最初の4月からすでに授業にほとんど行けていませんでした。
大学に入って1年弱ほど続けていたところでバンドを脱退することになり、今度は人が代わったようにコンピュータにのめり込みました。
電気系から情報系学科に転学科し(線形代数以外は)勉強にも打ち込み、自分でもアプリをつくったりIT系の会社でWebやiOSアプリエンジニアのアルバイトをさせてもらったりしていました。そこから友人と会社を始め、Webサービスをつくり始めました。
そしてアフリカでコーヒーと出会ってからは、コーヒーに夢中になりました。何とかコンピュータにはしがみつきながらも、しばらくするとコーヒーだらけの仕事と生活になっていました。コーヒーについて学ばせてもらっていたLIGHT UP COFFEEから焙煎機を受け継ぎ、高円寺でお店を始めました。
高円寺のお店は閉じてしまいましたが、今度はコーヒーを使ったプロダクト作りに夢中になりました。
プロダクト作りをきっかけにデザインの面白さを知り、そこからはコーヒーの焙煎をメンバーに任せていきつつ、今度はデザインやものづくりのことばかり手を動かしていました。
...
何かに打ち込み時間の全てを捧げている。
それなのに知的好奇心の向きは目まぐるしく移り変わり、新しい方向に転換しなければ段々と体が鉛のように固くなって動かなくなってくる。
ギリギリのところまで踏みとどまり限界を超えたところで心が体に急ブレーキをかけたように突然動けなくなってしまう。
夢中になっていることが変わる直前には毎回、心がどん底まで沈んでいることが多い。「ちゃんと」「しっかり」「〜べき」などといった言葉で無理矢理に続けていると、あるところで急に体が言うことをきかなくなってしまいます。
「飽きる」ということがとても怖かった。
新しいことに興味を持ってしまうことを恐れていた。
だから、そのとき夢中になっていること以外の全てを捨てて、それ以外は目にさえ入らないように努力していました。
今取り組んでいることに「飽きて」しまえば、ここまで歩いてきた自分の存在の足跡が全て消え去ってしまうのではないかという恐怖が常にありました。
…
でもこのところ少しずつ、そんな自分の特性を受け入れてあげれるようになってきたような気がします。
前はこんなことを公言するのさえ怖かった。絶対に取り繕って、やらなかった。
でも、これからはもう少し自由に振る舞える気がする。我儘に自分の興味に耳を傾けてあげれるかもしれない。
そのひとつの表れが、今つくっているものを公開するnoteでした。
「何だそんなことなの」って思われるような気もしていますが、ぼくにとっては本当に思い切ったことでした。
何故なら、これで自分の「飽き性」のような特性がバレてしまうような気がしているから。
それでも、出せてよかった。
心がすっと軽くなった気がします。
表面的に見ればどんどんと飽きて、どんどんと興味を変遷させていっているのだけど、その根本には何か自分の大切だった1つのことを探し続けているような感覚があります。
というか、そう信じたい。
今は「デザイン」や「ものづくり」という大きな器に救われています。
この器に載ってさえいれば、何に興味を持ってつくってもいいという自由な気持ちになれるから。
このことは、友人のあかしゆかさんがnoteを書いてくれました。
何度も読み返している大切な文章。
自分のことって、自分自身が一番分かっていないんだよね。
だからこういう文章の存在自体に救われる。
...
「こうあるべき」「ちゃんとしなければ」という気持ちと、その言葉を引き起こしている自分の心の恐怖。それをそのまま受け入れて、許してあげたいと思う。
「これが自分の本性なんだからさ、しょうがないじゃん。」って。
心にとっていちばん心地いいと感じるぼくだけの生活の仕方を、これからもずっと探し続けたいなぁって思います。
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