明日が来るということ
区切りの日をアニバーサリーとして、ことさらに取りあげることに私はどちらかといえば、否定的である。特に、いまのメディアの「その日」だけ、「その時」だけ、の取りあげ方には疑問がぎっしりつまる。
しかし、風化させないという当事者の思いには同感する。
1995.1.17 (地震)
2018.6.18 (地震)
2018.9.4 (台風)
自分自身が被災当事者になった。でも、生きている。
2011.3.11
大阪にいて、動けないなか、自分でなにができるか?
を考えて、東北にいた友人と各地の仲間と、小さいけれども動いた記録
インターネットの威力を感じた。
昨日で10年。ずっと残している。ひっそりと。
自分に明日がこなくなっても、みんなに明日が来るように。
語り合える材料として、まだ、残しておこうか