都市という「文化」

 いわゆるバブル世代(まぁ適当に1965年から1970年生まれくらいと思ってもらったら。ちなみにバブル景気の時期は、1986年11月から1991年2月らしい)に位置する私は、同世代のあまり社会的には著名な人たちがいないことを肌で感じることはあっても言葉にできないでいる。
 バブル後の氷河期そしてロスジェネ世代の社会の方が過ごし生きてきた実感として強いのでそれはそのためかもしれない。大学を地方の小都市で過ごし、その後大学院に進み、NPO活動に入った人生は常に「社会」を傍においてきた。
 大阪で生まれて育ったといっても、一人で行動し一人で感じた都会は大学時代に頻繁に通った東京だ。しかし、ちょうどバブル期の東京はその後の語りを絶すような空気があった。いみじくもそのことをわからせてくれたのは昭和最後の日。私は東京の神田に居た。
 神田の古本街をいつものように巡る。巡ることができるのは、神田の古本街だけだ。実は東京の街は沈黙していた。ネオンは消え、店は閉まり、パチンコ屋から、音が消えた。バブル期の華やかすぎるほど華やかな東京という都市の「陽の側面」は、その日まさに沈黙していたのだ。その後、氷河期が訪れるにつれ、関西に戻ってきた自分は東京から足が遠のいていったが、氷に沈んでいく東京を先見させられたまさに歴史の1日の空気を感じていた。古本屋をめぐると店主の座る番台からラジオが時代の変化を演じさせるような断片的な声が耳に入る。そうして、自分が都市のアングラなサブカルの世界にいることを実感した。
 当時、都市はそうしたアンダーグランドな文化を包摂していた。そして、そのアンダーグランドなものから創造をしていた。その後、サブカルチャーが商業コンテンツとして、表舞台にでていったときに、多くの人がいうように、都市の創造性は失われていった。東京発世界が消えていった。単なる消費サイクルの1つに組み入れられていく。
 若林恵氏はインタビューの中で、こういった東京の転換期を「地下鉄サリン事件」が契機だったという。規格化された社会のフレームからはみ出しうるエネルギーが「文化」である。つまりそこには「正」のエネルギーではなく、「生/死」のエネルギーがある。そして、消費される存在ではないエネルギーが。
 21世紀になって、いまや「社会を変える」ということも消費財になった。そのことを新自由主義という人たちもいるが、新自由主義そのものが消費財だ。ソフトな意味での都市は失われ、同じ意味で田舎もなくなった。不便は相対で語られ、地域社会学や地域経済学者ですら、数字化によってスケールを作る。インターネット空間は時空をバーチャルに越えているが、ココロの距離を離す。デジタルでもアナログでもないものを生み出す「都市空間」はいったいどこにあるのだろうか。

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