fair(公平さ)とは
昨年からやたらに日本で注目されるようになった台湾のオードリー・タン氏。ここまで日本での露出が増える前にはけっこうインタビュー記事などを読んでいたが、ちょっと過剰露出になり辟易(日本のメディアに)なっていたが、ようやくブーム的なものが終わったなと思っていたところで、この記事が目についた。
ソーシャル・イノベーションということばが目につくが、彼/彼女たちのことばを読むたびに、いつも思うことは「open」と「fair」についてである。
「open」であることは「fair」である
「fair」であることは「open」である
つまり、彼/彼女たちがいう【○○】Innovation(イノベショーション=革新・革命)には、「open」と「fair」であることが必要なのだと私は思っている。そして、日本の社会においてSocial Innovationが難しいのは、「open」/「fair」が理解されていないことなのではないかと感じている。いや、理解の問題ではないのかもしれない。理解もされなければ、実践もされていないし、そもそも、理解しようともしていないようにも感じる。
この議論をすすめていこうと思うと相当に詳細に論をつめていくことが必要だと思う。つまりは公共(public)の概念(コンセプト)によるし、公私論にもなるだろうし、情報の価値性と市場性の議論にもなる。
特に、日本においてfairであることは理解されづらいと常々感じている。fairは平等とも違う。日本でよく議論になる【公平/不公平】の議論とも違うなと感じている。そうでないと「open」と「fair」は対になりづらい(ならないとは言い切れないがそれに近いとも思っている)。これを理屈っぽくならないように伝える術をもちたいと常に思う。そのために、オードリータン氏がいうこの構図はいいなと思う。
そして、自分がかかわる実践でも常にかんがえておきたいことだと思う。
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