しょうばいにん(商売人)という人間関係

 昨日、とある方とお会いしてお話しをさせていただいた。きちんとお話しをさせていただくのは2回目。小さなまちの電器屋さんの女性。大阪のことばでいう「おかみさん」だ。「おかみさん」もなにやらいまは相撲の世界や居酒屋世界のことばのようだが、私の中では、商店にも「おかみさん」がいる。店を切りもりしている女性の方をイメージすることば。
 私は大阪の「しょうばいにん(商売人)」の家で育っている。商売人の家といっても、家の中で何か店をしていたわけではない。祖父や父が繊維問屋を営んでいただけである。それでも自分で「しょうばいにん」だと思う。
 「商売人」と漢字で書かずにここでは「しょうばいにん」と書いているのは調べてみると「商売人と商人」とか、90年くらいから私が意図する意味とは違う企業人世界のことばとして使われているのであえて「しょうばいにん」と書いている。そう今盛んに言われるような起業家とも企業人とも違う。あえていうなら「(小)商いをしている人の考え方」という意味に近い。「考え方」をさしている。
 ものごとを考えるときに、まず損得勘定で考える、儲かるかどうか。そろばんをおくともいう。でも、それだけでなく人情で考える。つまり、人をみる。人のつながり、包容力。相手からもらうことではなく、相手に返すことを考える。そして、裏と表を受け容れる。
 昨日お会いさせていただいて女性はまさに「しょうばいにん」。40年ほど地域の小さな電器屋を切盛りし、いまでは電気製品だけ出ないたくさんのものを「売っている」。ひとり暮らしのお客さんのところに手作りのお弁当を運び、マスクを手作りをしては届ける。若いときは遊びまくったというお話しは、ケラケラと笑いながらお話しをされるが、豪遊エピソードだった。そして、今後は「お返し」をしたいと言われる。自分も「儲けながら」。そう人と人とつながり、ものが飛び交い、お金が飛び交い、そして、気持ちが飛び交う。それを日々行っていこうとする考え方が「しょうばいにん」の考え方。サバサバとした関係性、相手に求めるよりも、自分が動き、それに返してくれるかどうかで動く。「しょうばいにん」。
 そんな「おしょうばいにん」と出会うことも少なくなった今節。うれしい出会いに感謝。
 とともに、切り取った地域活性化論や起業論、地域論、市場至上主義に何が欠けているのかに改めて考えを馳せる。

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