「人に迷惑をかけるな」という呪文
今朝のSNSチェックで目についたのはこの記事
記事のタイトルの最後は、流行の「呪い」だが、「人に迷惑をかけるな」は呪いというより呪文だと思う。記事の内容は、今度の首相の例の「自助、共助、公助、絆」についての批判的な内容なので「呪い」なのでしょう。助けて欲しいと声をあげた人に対しての話なので。
「人に迷惑をかけるな」
私たちはこどものころからおそらく何万回とこのことばをいろいろな大人から聞かされ続けて育ってきました。自分の行動が、どんな思いで、どんな意味があり、または、どんな行動で、どこが良くて(正しくて)どこが悪かったのか(間違っていたのか)という具体的な話は全くなく、ただ聞かされることばのシャワー
「人に迷惑をかけるな」
そんな人は少なくないように思います。
だから、「呪文」だと思います。もちろん、呪いをかけるために呪文を唱えるわけですから、呪いでもいいちゃいいのですが、どちらかといえば、個人にかかっているというより、日本の「社会」に呪いがかかっているように思います。
人に迷惑をかけない行動を「シコウ」すると
なにごとも自分だけでやろうとする(解決しよう)とするようになる
なにごとも自分で考えて人には批判されないようなことだけを人に相談しようとする
なにごとも自分で考えて人よりも優位になることだけで人と付き合おうとする
それができないのであれば人とつきあうのをやめる
なにごとも自分の価値感のみで考えるようになり、できなければ自分を守るために人に対して批判的になる
なにごとも自分の価値感のみで考え、自分の考えが否定的な評価をうければそれを迷惑をかけていると受け取り、「もういい」と人との交流をたつ。
自分で解決できない問題にぶちあたったときにはどうしようもないすべてを絶ってしまう
こんなひどい呪文があるだろうか。
本来、社会を円滑にし、お互いが気持ちよく過ごせるための「気づかい」がこの「健康的で清潔で道徳的な秩序ある社会」(熊代亨)の中では、悪魔の呪文として君臨する。
そして、社会政策もがそうなってしまって、セイフティネットがあるのに「自主的に使えない」社会が構築される。そんな社会に私たちは生きているように思う。