身内感
ぱっ、と思いつきで使うことばの中でその実、きちんとしたことばではない言葉がある。この「身内感」という言葉もその1つのようだ。でも、私もよく使う。「身内感」
そして、この「身内感」がポジかネガか(ポジティブワードかネガティブワード)かといわれるとまた難しい。
検索すると
身内感という言葉の意味は、自分以外の他の人たちはほぼ知り合いで、なかなかその輪の中に入れずに疎外感を感じる時に生まれる感覚かと思います。
ふむふむ。「距離感」というキーワードもでてきました。
調べるとnoteに書いている人が多くてこれもまたこのことばのおもしろいところ。
この方は「常連」ということばと関連付けて
この方の書き方はネガですね。オープンなものをもとめているのに、常連さんが増えて、身内感が新しい人を排除する感をもっていることを分析されているようですね。
一方で、このテーマで触れようと思っていたコミュニティの話ではこんなポジな書き方をしている方もおられます
入りたくなる身内感。。。広い意味での「コミュニティ」の形成を考えたときに、コミュニティを形成するにはそもそも人の紐帯が必要なのだから、という感じでしょうか。
コミュニティというものをどう考えるのか?にもつながるがそれはここではあまり考えず。自分自身はずっとコミュニティづくりやいろいろなコミュニティ、地域コミュニティや会社、NPOなどにもかかわったり見たりしていて、なぜか、身内感のあるコミュニティ、地域コミュニティや会社、NPOと身内感のないコミュニティがあることに気づく。これは、地域共同体の閉鎖性とはまた違っていて、新しい人がどんどんと入っているまちづくり共同体でも、その身内感がでてくることがある。そして中にはネガなものもある。いつかなにかで読んだことがある形容だか、まわりの人間には気づかない「臭気」のようなものもある。残念ながら。そして、多くの場合、それを醸成するのは、後からその「コミュニティ」に入って、そのコミュニティに入ろうとして一生懸命な人から出されることが多いメッセージでもある。そして、それは気づかないもともとのコアな人たちがすでに身内感を出していることから起こる。同質化したコミュニティは劣化していく。それは人の流れがあっても。なまじ人の流れがあるから余計に見えにくいわけだが。
身内感のあるコミュニティが一定期間後に消滅して、また新たなコミュニティが一から形成されるのであればいいが、そうでない場合は難しい。そういう意味合いでは大きな目標や目的があるならば身内感を出さないような仕掛けが必要なのだろう。「身内感」ということばからいろいろと考えられることがある。
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