大学の学費
ゆうべは「ソーシャルワークアカデミー」第2回テーマは貧困だった。話の中で、いま大学生はバイトで学費や生活費を稼ぎ、奨学金を返すのもたいへんで、という話になった。
その後、私たちが大学時代には大学の学費ってこんなに高かっただろうか?という話になった。しらべてみると文部科学省のサイトにきちんと資料があった。
これは数字の羅列なので見にくいなと思っていたら、グラフ化してくださっているサイトもあった。
私が大学に行っていた1980年代後半に比べると。。。
これに、国公立と私立の違い、大学での違い、そして学部による違いなどが加味されるわけで。一概に平均の数字ですべてを語ることが難しい。
地方の公立大学(都留文科大学)にかよっていた当時の記憶からするとそんなにかわらないし、自分たちの少し上の世代から学費がすごく値上がりしたときいた記憶があるので数字ときちんと合っているなと感じる。なにしろ、サークルの先輩で留年している先輩は年間の学費が6万円とか言っていたので。それは「えー」ってくらいの衝撃的な印象として残っている。
それでも、学費は値上がったなぁという印象を受ける。たとえば車の値段を考えると当時といまはそんなにかわらない。物価の上昇をそれほど大きく感じないのにこうしてみる学費の値上がりはびっくりする感じだ。
もちろん、その背景は?ときちんと見ていけば、それなりの理由があることはわかっている。が、ここで言いたいのはそこではない。
私たちは1つの時代をリアルに生きている。そこで得られるリアルに見聞きすることを自分の「スケール(尺度)」として日々暮らしている。インターネットが発展して、ある種の「時空を越える感」を持つことが出来るように錯覚するが、実際はそれほどではない。そこで得る情報や経験もまた、リアルな時代の生活感なのだと思っている。
そう、ともすれば自分を形作っているその時代感を私たちは忘れそうになる。その「スケール(尺度)」を他人のものにあてはめようとするのだ。
ソーシャルワーカーの専門性を語るときに「自己覚知」が必要だと言われる。この「自己覚知」実はかなりトレーニングをすることが必要だ。
そうこの知らず知らずに自分にくっついている時代感や価値観を「自己覚知」することが必要なのだろう。大学の学費の時代趨勢を見ながらそんなことを思う。