ダブルダイヤモンド
私は会議が好きではない。好きではないというのは適切なことばではないかもしれない。はっきりいえば、キライである。人と会ってお話することがで好きでないとか、キライだと言っているのではない。「会議」がキライなのである。
私のようなスタイルで仕事をしていると実はそんなに「会議」があるわけではない。大きな会社組織で働いている人たちとは比べものにならないくらい少ないだろう。最近は、なんとなく、みんなが「会議」と「ミーティング」を使い分けるようになったなとおもう。その意味では「ミーティング」はきらいではない。発想を拡げるようなみんなが主体的に参加する「ミーティング」はキライではない。まぁ、ミーティングといっている時点で枠づけられるものもだんだん増えてきてるような気もしなくはない。そういう意味でミーティングの会議化も進んでいるんだろう。オンラインのたとえばプロジェクトのためのチャットシステムも実はあまり得意でない。スピード感と達成目標がショートゴールで決まっていればそれも悪くはないと思うが、プロセスのみえる化のツールとして割り切っている。ようは使い道なのだが。
会議がなぜ好きでないというか?だが、簡単な話だ。そのほとんどが、「会議」のための「会議」だからだ。目的も目標の設定が脆弱ではっきりせず、集まることが重要視される。行政の仕組み自体がどうしてもそうなってしまったままなので、行政の会議にいまだ多く存在する。もちろん、行政だけではない。実は民主的といわれるプロセスの中でも数多く存在する。まちづくりやなんや言っていてもその実は会議のための会議であることも少なくない。
会議のための会議にしない方法はいくつもあるが、最近の流行のことばをつかえば、デザインできているのかが大きなポイントの一つだと思っている。最近は会議やミーティングを進行するプロ的な人たちも多く、彼らのファシリテーションに因るところが多い会議も少なくないとも聞く。正直、それもどうなんだろう、と。
ダブルダイヤモンドというデザインプロセスの方法論がある。拡散と集積、問題発見と解決発見。
ロジカルな思考で会議をデザインすることは基本の基だと思う。
勘違いしないでほしいがなにも集まることを否定しているわけではない。集まって話をすることには大きな意味がある。が、会議となると話は別だ。まぁ、拡散と集積というと、なんでもかんでも模造紙とポストイットを持ち出すのもパターナリズムですよ。やった感満載なんでしょうけど。