大阪府北部地震から三年

6月18日は、大阪府北部地震が起きて3年になる。
大阪府北部地震が起きた2018年は、大阪にとってはその年の8月9月の大きな台風、特に2018年台風21号による被害が大きく、地震と台風に見舞われた災害の年になった。

災害が毎年のように起こるようになり、いろんな地域のいろんな災害が起こり続けていくようになってしまうと、他の地域はその災害がどこでいつ起きたのかと言うリアリティーがどんどんうすれてしまい、当事者は「風化」と言う言葉におそれるようになる。

コミュニティと言う言葉が、地理的な制約どんどん離れ、最近では、人の結びつきと言う意味合いのほうが強くなってきているが、日本の風土を考えたときに、災害だけは地理的な要素と密接に結びついたままのように思える。つまりは災害は、いや、被災体験は、かなりな部分を地理的コミュニティに依拠する。

大阪府北部地震から3年経った今も、震源地周辺で被害の大きかった、高槻茨木枚方寝屋川に、まだ屋根をブルーシートで覆われたままの家がのこったままになっていることを私たちは日常的に目にする。

おそらく、他の災害にあった地域でも、同じことが起こっているのだろう。しかしその地域にいなければその事は想像することすら難しい。

この3年、わたしたちの周りから家がなくなり更地になった土地が数多く存在する。
地震の時に、大活躍をしていただいた町の銭湯はほぼ消えた。最後の灯と言えばかっこいいが、その実、そんなかっこいいものではない。

やはり、災害は住民に等しく訪れるものでは無い。悲しいかなその現実を見せつけられる毎日である。
おそらく今日はたくさんの在阪メディアが、大阪府北部地震から3年と報道をするだろう。そしてそれは、他の地域の人たちの目にはほぼ触れることはなく。

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