コンブ漁
とっちゃんの親戚が襟裳岬へ行く途中の町にいた。コンブ漁をやっていた。夏になると、かあさんに声がかかる。
「今年も飯炊きをやってくれないか」
かあさんは料理上手で通っていたから、地元の漁師からも声がかかる。30人前くらいは朝飯前だ。味付けも上手だったが、隣のおばさんの薫陶もあって、手際が良かった。
このころは結婚式も葬式も自宅でやったから、村の人総出で手伝いに行く。料理は文化だから、そうした場所で成熟する。小さな村でも老人子ども合わせて100人くらいの宴会を差配する。買い物(畑の野菜の収穫)、什器の手配、台所(大鍋等は共同の物が用意されていた)、竈の火起こし(竈が足りなければ隣家の台所も戦場になる)、飯炊き、料理、酒の燗(タイミングが大事)、洗い物。ごみの処理も大事だ。
だから、だれがどんな腕を持っているか、周知の間柄となる。餅をつかせたらあいつの右に出るやつはいない、とか、草餅はやっぱり〇〇さんだなぁとか、やらない男衆の方が評論する。そんなときに酒が足りないとか、料理をあっちにとか気が回る人がいて、酒の席は苦手なかあさんは裏方は任せてと胸をたたく。かあさんには娘時代からの3人組の友達がいて、智鶴ちゃんと一番仲がいい。智鶴ちゃんはお茶やらお花やら踊りやらを習っていて愛嬌もよかったから、ちょっと内気なかあさんには頼りがいのある友達で、何か寄り合いがあると、もうひとりの仲間、絹ちゃんもいっしょに働いた。
まぁ、そんなわけで、夏は泊まり込みで手伝いに行く。ちんまい頃のとっちゃんもつれていかれた。
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