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とっちゃんの生まれた村

 北海道はとても広い。北から南までを車で走る600km、青森から東京くらいまで行ってしまう。
 だから、一口に北海道と言っても、場所によって気候も違うし、風習なども変わる。
 とっちゃんの生まれた村は、北海道の南の方、苫小牧から襟裳岬へ向かう、日高線の沿線にあった。
 海からすぐに山がある地形で、川の流れも比較的速い。
 大きな山と大きな川。

 ちょっと海から見てみよう。
 深い海からぐうんと立ち上がり。しばらくは遠浅の海。
 浜があって上陸したらば、ちょっと崖になってその上は一段平らな地所。そして続きの丘、10数メートルの高さか、たいてい柏の森が丘を覆っている。その後ろには平らな場所、これは川が作った平地だ。そうして、ずっとさきには、だんだんと坂道が続いて、ここからは青く見える遠い切り立った峰に続いていく。海側から見たらそんな風な切れ込みが何カ所もあって、広いところもあれば狭い、小さな村1つあるかないかのとこもあるけれど、それぞれに人が住んでいた。
 とっちゃんの村も、その一つ。

 とっちゃんちからは海は見えない。
 穏やかな温かい村だった。

 とっちゃんの村も、山ん中。扇状地の真ん中あたりか、要の終わりあたり。山がちょうど風よけ雪よけになっていた。
 太い川が流れ、両脇に田んぼがあった。村の人はちょっとばかし、というが、牧草地に比べての話で、川に沿ってはるか向こうまで田んぼが広がり、食べる分は十分に賄っていて。生業は馬、牛、戦時中は羊やウサギ、山をちょっとばかし切り崩して牧舎を立て、牧草地は山頂にむかって広げていた。放牧用の土地は平らじゃなくても大丈夫だが、機械を入れるなら、平らに整地したほうが良い。丘の上はちょうど平らになっていて、お金に余裕ができたなら、そこを畑にしてデントコーンを植える。
 木を全部切ったらどうしても土が逃げるから、そこはバランス。

 田んぼと畑は自分の家の食べる分、だから、とっても大事にした。
 車で10分も行くと河口があって、その南100メートル先に港があった。そこは漁師町で山にへばり付くように家が並び、その前に道路があった。道路の向こう側は太平洋の大波をもろにかぶったから、とっちゃんのお父さんの時代には何もなかった。戦争前に電車が通り、大きな道路が走って、家はどんどん山側にへばり付いた。もっとも、街の中心街は浜辺だったところで、広い地所が広がっていたから大きな家もあった。港町のお寺の立派なこと!
 だが、それをとっちゃんが発見するのはもっとずっと先だ。

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