とってぃー

1995年11月02日に1324gでこの世に生を受けました。 自由に生きることが人生の目的です。

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  • 自分にあう仕事ってなんだ!?モヤモヤ悩む日常物語

    社会人になってまだ1年経ってない今。 院試に落ち、その後に行った終活は無事終了。 研究開発という仕事を漠然とやりたいと思っていたら、希望は叶えられた。 だが、なんだこの違和感は… 自分の選択は自分に優しい選択だったのか… モヤモヤ悩む日々の一人言を聞いてください。

最近の記事

私の攻略法 ダラダラ脱出偏

今朝は8時くらいに起きた 昼過ぎからジムに行き、それまではアマゾンプライムで映画でも見ようとしていた けど、集中力が続かない Twitterをチラチラ、インスタをチラチラ 映画を停めては色んなアプリを行ったり来たり しまいには、布団の上でゴロゴロしだすしまい そこでふと、本当になんとなく、Google Mapを開き、バスの時間を確認する あと18分後に次のバスが出る…だと! 元々昼過ぎのバスに乗るつもりだったが、その時はまだ10時 予定より大分早い このダラダラした状態をど

    • 成長を求めていた時期が懐かしい

      私は学生時代は俗に言う意識高い系だった 大量のビジネス書籍を買って、読んで それで満足したり、そこに書いてあることを実践してみたり 常に新しいことにチャレンジしてみたり、色んな立場、経験を積んでみたりしていた 今思うと、とても濃い10代後半~20代前半を過ごしていた その結果今思うこと、もう疲れた これだけ意識高く色んなことをしていた私はとても輝いていたと思う 弟からもスゴいと思われていたようだ この原動力はどこから来ていたのだろうか 他者との関係が一番大きいかと思う けど

      • エンジェルバンクの大砲の撃ち方を人生で実践してみた結果

        私の最初のキャリアは大手家電メーカーの開発だった そこに勤めて1年3ヶ月で退職した 元々希望していた部署とは全く違った職種への配属だったし、この業界や業務内容を数十年続けていった先にある自分の将来を先輩に重ねたけど、違和感しかなかった そこに自分の姿は映らなかった 正直言って、多少キツくてもその会社にしがみついていたら将来は間違いなく安定だった けど、辞めた 色々と理由はあるけれど、一番思ったことは、この仕事は俺以外の人の方が向いているから俺の仕事じゃないなっていう気持ちだっ

        • 仕事は全部慣れ、向いているか否かは慣れるまでの時間で分かる

          仕事が出来る人ってどんな人だろう 同じ人でも職種によっては仕事が出来ない人という烙印を押されることもある なんでこんなことが起こるのだろう そう思って考えてみた そして、1つの結論にたどり着いた 仕事が出来ると言われている人も最初から今みたいに仕事が出来る人だったというわけではないことがある 仕事が出来ないながらも続けて、今みたいにできるようになったのであれば、仕事が出来るとは、単にその仕事に慣れただけなのではないかと考えられる 『左利きのエレン』にもこんな台詞がある 「お

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        • 自分にあう仕事ってなんだ!?モヤモヤ悩む日常物語
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        記事

          本当に大切にすべき人とはどういう人か

          理想と現実ってのは乖離しているもので、それは楽しい妄想に耽っているときこそダメージが大きい 特に新たな環境に身を置いたときに襲ってくる孤独感や不安感はそのダメージに拍車をかける 私自身も初めて社会人になったときや木工に挑戦してみたときにそういった孤独感を感じたことがあった けどそれはまだ、日本国内での出来事だったため幾分かダメージはまだましだったのではないかと、ふと考えた 危なかった これまでと同じテンションで海外での新たな挑戦を捉えていたらきっと受けるダメージはより大きいも

          本当に大切にすべき人とはどういう人か

          辞めろと言われても続けたいと思うことだけで良いじゃない

          木工修行をしていてつくづく思う これは俺の仕事じゃないなって 前職で家庭用エアコンの開発をしていたときもそう思った これは俺の仕事じゃないなって この言葉は誰にでもできる仕事だから俺がやるべきことじゃないと言っているのではない むしろ逆で、自分よりも他の人がやった方が良いと思っているから言っている言葉である こう思う条件はただ1つ それは、好奇心が刺激され続けないゆえに、辞めろと言われても続けたいと思えないことだ 気が乗らないそれにつきる 気が乗らないことは続けていてもしょ

          辞めろと言われても続けたいと思うことだけで良いじゃない

          合う人ってのはこういう人かもしれない

          友だちでも恋人でも結婚相手でも、相性が良い人に必要不可欠なものって「笑いのセンス」が合うかと「一緒にいると心が凪になる」かどうかだと思う ここで言う相性が良いとは、性格や思考の方向性が似ていたり、共感できることが多かったりする関係のことを指している 「心が凪になる」ってのは、怒りを抱いていてもその人と一緒に居ると波が収まったり冷静になって話をすることができたりすることを指している コミュニケーションを取っているときに表には出さないけれど何か引っかかるものを自分が感じていると

          合う人ってのはこういう人かもしれない

          長々と怒られている時に思うこと

          「めんどくせ」 この一言に尽きる そりゃミスをしたら反省はする、そして怒られた時は落ち込む けど、そんなの一瞬だ それを何のつもりが知らないし、どういう思考でそうしているか分からないけど、何かこちらに質問してきて回答を待っている時間を作り出してくる人が居る 何この時間? なんて答えて欲しいの? はーめんどくせ 何か言わせたいことがあるのなら、こういってくれたら満足するから言って欲しいと言ってくれ 分からん その思考回路がマジで分からん そのくせ、早くしろとか急かしてくる人が居

          長々と怒られている時に思うこと

          卑屈な考えばかりが前に出る

          俺の気付きってなんだかとてもねじれている 素直じゃないというか、ニュートラルな考えよりは曲がっている感じ 要は、気にしすぎなんだよな 色々と もっと気楽に生きていこう しんどいわ ダメだなって思う度に、変わらなきゃと焦り、勝手に追い込み、無理をするけど変われない もう変わろうとしなくて良い 無理に、急激に変わろうとしなくて良い 進化はもっとゆっくりと自然に最適化されていくものだ 今のこの俺の性格もきっと、一種の最適化された結果なんだと思う 俺には俺の立場がある 俺には俺の役

          卑屈な考えばかりが前に出る

          せかせかした世の中から離脱したい

          何かをやるとき、大抵の仕事はスピードを求められる そんな世界とはおさらばしたい 心底そう思う せかせかと急かされるのは、疲れる てか、もう疲れている 齢27才にして こう思う気持ちの根源には、意識高い系は疲れるという考えがベースにありそうだ 僕は大学生年代~社会人1年目の頃、意識高い系だった 数多くのビジネス書籍を買いあさり、読みふけり、NewsPicksの月額5000円のプランにも加入したりしていた それに、ボーイスカウトでの活動(主に会議や運営)も積極的に行っていたため

          せかせかした世の中から離脱したい

          年齢を重ねるに連れて自由を得ていくのが人間だと思う

          昨日こんなことを聞いた それは、僕以外の同期プラス同期の1人のお嫁さんになる人の計3人で、同期が就職するオーストラリアに行くというもの 僕はこの話を聞いた記憶は無かったが、先日僕の聖誕祭で飲んでいるときに僕の前で言っていたらしい どうやら僕は記憶を無くしていたようだ そのため、後輩達の前この話をした同期はあたかも僕が知っているかのように話していたので、僕が聞いていないと言うと頭の上にハテナが浮かんでいた まぁ、一瞬の出来事だったが、多分僕のリアクションが思っていたものと違って

          年齢を重ねるに連れて自由を得ていくのが人間だと思う

          興味の移り変わりで知る自分の変化

          以前に良い!って感じてたものをそう感じなくなっている なんとなく感じるその違和感 見慣れたのかもしれないけどなんか違う 飽きたのかもしれないけどなんか違う 嫌いになったのかもしれないけどなんか違う なんなんだろう 最近なにかキッカケはあったかな? なんて思う今日このごろ 多分明確なキッカケや原因なんてなくて、日々の積み重ねで興味がなくなっただけ あの時まで興味を持っていられたことに興味をなくした事実がここにあるだけ そのとき心の内側で何かが変化している それはきっと表層的な何

          興味の移り変わりで知る自分の変化

          「申し訳無さすぎる」と言われると悪いことをしたかのように思ってしまう

          人から何かしてもらうときに、申し訳ないんで大丈夫ですよ と言う人がいる 僕はどちらかと言うと人に何かしてあげたい性分のため、この言葉は使ったことが無い そのため、言っている本人の気持ちはそれほど理解していないかもしれないが、ある程度の予測はつく 本当に申し訳ないと思っているとき 本当はやってほしくないからしてもらわないように言っているとき 大方このどちらかのときに言う言葉だと思う そしてこの言葉を言われた僕の気持ちは複雑だ 本当は嫌だけど断れずに言っているのか、はたまた本当に

          「申し訳無さすぎる」と言われると悪いことをしたかのように思ってしまう

          ぶりっ子おばさんが苦手

          僕は高校生から大学生の年齢まで高専に通っていたため、周りにはあまり女子はいなかった ボーイスカウトにも属していたからそこにはある一定数の女子はいたが、周りにはぶりっ子女子はいなかった だから耐性の問題なのかもしれないけれど、大学生年代になってから始めたアルバイト先で初めて「良い年なのにも関わらずぶりっ子」という属性と遭遇し嫌悪感をいただいた 今のアルバイト先にも数人のいい年したぶりっ子おばさんが居る 自分のことをカワイイとでも思っているのだろうか? 恐らく、昔からぶりっ子だっ

          ぶりっ子おばさんが苦手

          100万円あったら何がほしい?

          今日、先輩に不意に投げかけられたこの質問 その人が何を好きなのか、どういったことに興味あるのか それらを判断するにはもってこいの質問だった ちなみに僕は漫画を好きなだけ買って、あとは美味しいものを食べるという回答だった

          100万円あったら何がほしい?

          自分の自信を伸ばすことこそやるべきこと

          隣の芝生は青く見えるもので、時には劣等感を感じることもある そんなとき、僕は落ち込む 何もせずに落ち込む 努力をせずに落ち込む だが、それは意味のないこと 何もしなかったら何も実現しない 至極当たり前のこと 勉強していないのにテストの点が高くなるわけがない 練習していないのに本番で最高のパフォーマンスを発揮できるわけがない 暗い表情でいるのに気分が明るくなるわけがない 何もしなければ何も成せない では何をすれば良いのか 隣の芝生が青かったから、同じことをやってみよう きっかけ

          自分の自信を伸ばすことこそやるべきこと