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カメラマンを辞めた


4年カメラマンをしてOLになった女の話。




そもそも、私の新卒就活について

リーマンショック後の就職氷河期の終わりの話。
なんとなしに過ごす大学生活が半分終わる頃、就きたい職業は無かった。
夢も取り柄もない私は、同世代とせーので走り出して企業に選ばれる自信も無かった。

そんななか「趣味、写真」というだけで、カメラマンとして職探しを始めてあっさり内定ゲット。
半端な気持ちで専門職に就くなんて、運が良かったのか悪かったのか。


カメラマン、どうだった?

一言で言うと忙しかった。
残業や休日出勤は当たり前、22時に退勤できた日は「今から何でもできるじゃん!」と喜んだ。アシスタントのうちは「明日休んで良いよ」と上司に言われるまで、いつが休みかわからなかった。
薄給で、2年目からボーナスも無くなってた。

社内は人との距離感が近くプライベートは透け透け、パワハラモラハラもあったけど、他の会社を知らない私は疑問も無かった。

そんなことより、デザイナーやスタイリスト、モデルなど、その道のプロフェッショナルとの出会いや、先輩の撮影技術を目の当たりにすると熱い気持ちになれた。

写真撮影を生業にする職場の人間の趣味は、当然写真撮影だったので、プライベートで撮った作品を会社で見せ合ったり、社員で撮影旅行に行ったり、趣味と仕事の境界線がファジーなのも面白さのひとつ。

自分で仕事を受けるようになるとより一層楽しくなった。
クライアントと対等に仕事をしている実感が心地よかった。若さや見た目で舐められても、撮った写真で説得できれば対等になれる(時もある)。

撮った写真が雑誌やWEBに掲載され、名前が載ると誇らしかった。
そんな充実感いっぱいのカメラマン人生。


やりがいを感じながら辞めたわけ

今でも「なんで辞めたか」に、コレって言う理由は見つからなくて、内的外的、色々な要因が絡んでそうなったんだとしか答えられず。

考えられる理由を下にちらほら挙げてみようかな…。

・周りが全員辞職、会社からの要求が増えた
同世代が全員辞職してしまい(鬱や寿、辞職の理由色々)、これまで分散されていた上司からのヘイトや期待、様々な感情が向けられたようだった。

試されるように、実力に見合わない仕事をどんどん振られ、プレッシャーにあっさり負け、焦りからか日常的にこなしていた仕事も出来なくなった。少しストレスを感じると人前でも簡単に涙が出ていた。

ナヨナヨ弱くなっていくかと思いきや反発心も元気に育ち、気に入らないことがあると上司に言い返したり、生意気な態度を取ることも少なくなかった。

態度が悪いにも関わらず、会社が求める像から程遠い私に上司はイラ立ち、それに萎縮してみたり反抗してみたり、社内の空気はとても悪くなっていた。


・「仕事第一」が当たり前だった
休日出勤、残業という概念は無く、休日に予定を立てて突然の依頼を断ることや病欠はありえなかった。

仕事中に指のごく一部を切り落としたことがあって、当然出血が止まらなかったが、不注意と呆れられると思い、なるべく傷口を隠して「病院に行かせてください」とも自分から言い出せなかった。今思えば異様。(結局病院に行かされて即縫った)

親族が亡くなったときは早退させてもらったが、忌引きで蹴った仕事に対して、「大変な仕事だったから休めて良かったね、持ってるね」と嫌味をもらった。「ハァ、まぁ」と愛想笑いしながら視界がぐにゃっと歪んだ。

のちに次の職場の面接で、申し訳なさそうに「仕事以外の時間も大切にしたいんです」と言うと、「そりゃ、誰だってそうだよ」と言われて、本当に驚いた。


・上司が良からぬ異性関係を持っていた
それを本人から赤裸々に話されて、そんな人間から教育+モラハラを受けることが苦痛になった。不法行為イクナイ。

新卒で入社して上司が絶対的な存在でいたので、心の整理がつかなかった。

今そんな相談を後輩から受けたら「人間そんなもんよ」と軽く流すが、か細く支え合っていた同世代は全員辞職しており、共有できる人間がいなかったことも当時は辛かったのかもしれない。
皆が退職する前、仕事終わりに深夜のラーメン屋で酒も飲まず数時間、「とめちゃんなら大丈夫だよ」と愚痴を受け止めてくれた先輩が懐かしかった。


・妙な固定概念が自分を傷つけていた
変に人にも自分にも厳しいところがあったようで、「転職するときは『やりたい事が見つかったとき』か『転職して活かせるスキルが身についたとき』以外ありえない。ネガティブな理由だけで仕事を辞めるなんて甘え」とも思って、バタバタ仕事を辞める同級生達は浅いなぁと思っていた。

そのガッチガチな根性論石頭のせいで、「やりたいことが無い」「転職して活かせるスキルは無い」「今何かを身につけないと」「自分が頑張れば良いだけなのに」と常に自分を責めていた。の割に向上心ややる気はどんどん失われていた。「頑張れば上司に認められるのにやる気が起きない」「やりたい事はこれだと思って入社したのに頑張れないなんて」どんどん自分を責めた。


「なんでこんな人間にこんな扱い受けないといけないんだ」という反抗心と、それでも尊敬する上司の期待に応えられない自分への失望感が溜まりに溜まって、ある日小さな憤りを感じた時、心が折れてしまった。

文字にしたら、私本人すら「こんなことで?」と思ってしまう。

小さな小さな積み重ねで、最後の一撃すら覚えてないくらい小さなことで、「あ、もうダメだ」と思ったその日に上司に退職の旨を伝えていた。


辛かったことは何年も経った今も夢にまで出てくるが、
会社側も日に日に雑魚になる私へのストレスは計り知れなかったことだろう。ごめんなさい。


その後

地方でカメラマンをしていた私は、気づいたら東京のOLになっていた。

今となっては 誰も憎んでないし、何も無駄になってない
いや狭い視野で見ると恨んでるよ!
こんな人間に投資させられた前職の会社には恨まれてるとも思う!(笑)

でも、大学卒業までぼんやり過ごしていた私にとってはありがたい経験だった。
20代前半で仕事のやりがいをこんなにも体現できたのは、未経験の私をどんどん現場に出してくれた会社のおかげ。
見放さず、根気強く叱ってくれる人にはもう出会えないと思う。
人柄や写真を気に入って声をかけてくれる人も今後現れないだろう。




「今辞めるなら、どこに行っても同じ結果になるよ」と、去る背中刺されながら退職したが、当時形成された社会人としての基礎が今の職場で評価されることになる。

「今の会社が世界の標準ではないこと」「環境が変わっても経験は活きること」「気が向けばすぐどこかに所属できること」こんなこと知ってたことだけど、その環境のナカに居るときとソトに居るときでは受け取り方が全然違うことも分かった。

あとは、仕事から離れて心の余裕が戻ったのは本当に大きい。

在職中はとにかくイラチで、他業種の友人には「21時に退勤して疲れたとかほざくな」とイライラ。同業他社の友人には「私の方が現場出て稼いでるのに同じに思わないでほしい」とイライラ。家族や彼氏にも「どうせ話しても分からない、分かってほしくもない」と仕事の話はせず、ピリピリ接していた。常に人を見下し、上を見れば自分もゴミだと卑下して生きていた。

無職なんて偏見対象どストレートだった。けど、なってみると、いっときの肩書や、一個人が認知するたった一面で値踏みするなんてバカらしいことが分かった。

誰しもに当たり前に根付く教養を、身を削って体感しないと理解できない未熟者だということもよく分かった。

という感じで、当時は「4年しか働いてないのに、今辞めたら何も残らない」とハードスキルにしがみ付こうとしたけど、そんなことよりもソフトスキルの方が汎用性があって大切だと身に沁みて分かった。

なんか内容重いっ泣


この記事で、人様に伝えたい教訓とかメッセージとか無いけど、私の存在や経験を知って、あなたの仕事観や人生観をもっと知るキッカケなれば良いかな。


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