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「先回り」という病は依存を生む

私は先回りが得意な人間だ。

常に相手の求めそうな物事を先回りし、言われなくても既にできている状態まで持っていく。

仕事ではこのスキルが買われるため、とても重宝しているように思う。

なぜなら世間一般では
「先回りできる人=仕事ができる」
という評価基準があるからだ。

しかしながら最近この「先回り」というスキルが、一種の病だと気が付いた。そして依存を生んでしまうということも。

先回りしなければ落ち着かない


なぜ先回りが一種の病だと思うようになったのかというと、常に先回りして行動していると、
「そうしなければ落ち着かない」
というような状態になるからだ。

そして冒頭でも触れたように、先回りというスキルは、仕事において高評価を受けることが多い。

したがって、基本的には「治す必要のないもの」だと認識されているはず。

しかしながら対象が家庭になると、話は別になる。

家庭においての先回りは「依存」を生む


先回りは、家庭において依存を生みやすい。
これだけを伝えても少しわかりにくいので、具体的な例を挙げてみよう。

あなたも先回りする人であれば、想像しやすいはず。

ある日市役所から、「手続きが必要」という旨の封書が届いたとする。

しかし配偶者は仕事で、平日の日中に時間を取るのは難しい。

なのであなたは、封書が届いたその日に市役所へ行き、手続きを行った。

手続き完了後、あなたは「手続きしといたよ」と配偶者に伝える。配偶者は「ありがとう」と感謝を述べる。

これを長期間繰り返すとどうなるか。

多くの場合あなたの配偶者は、「手続きのできない人間」になっていく。ひいては、「あなたがやるのが当たり前」という状況に陥る。

つまりあなたがいないと生きていけなくなっていくということ。

今回は市役所を例に出したが、掃除でも洗濯でも家計でも、全て同じことだ。

あなたは本来、良かれと思って先回りしてやったはず。だけどそれが依存を生んでいく種になる。

先回りする側、先回りされる側の言い分

先回りは依存を生むと伝えたが、もちろん双方に言い分はある。

よくありがちな例としてはこうだ。

先回りする側:「あなたが楽になるように」と思ってやっているのに、いつのまにかありがとうと言われなくなった…。当たり前じゃないのにな…。なんだか生活が辛くなってきた…。

先回りされる側:「してほしい」なんて一言もいってないのにしんどくなられても…。それだったら自分でやるのに…。

こんな感じで、本来は善意で取った行動が、家庭のトラブルになるケースもしばしば。

特に、「相手が気付かないレベルの先回り」は気をつけたほうが良い。

相手はやってくれたことさえも知らないわけで、それを察知して感謝してもらうのは不可能だ。

先回りしすぎるとこのような状態になりやすい。

家庭では先回りしすぎは良くない

私自身もそうなのだが、先回りする人は「自分でサクッとやったほうが楽」という心境になりやすい。

実際に先回りするとすぐにタスクは終わり、気持ちも楽になる。

しかしそれは一時的だ。

未来永劫あなたがやり続けることになったら、それこそ感謝されずに負担が増えるだけだ。

だからこそ、家庭で先回りしすぎは良くない。

少なくとも、「相手が問題を認識してからあなたに頼んだこと」をやるべきであって、それまではおとなしくしておいたほうがいい。

なぜなら相手も自分で解決する能力がつくし、あなたへ頼んだことも、より感謝できるようになる。

先回りはついつい「当たり前」になりがちだ。
だけど当たり前の裏には誰かの苦労があり、思いやりがある。

当たり前を依存にさせないよう、自分をコントロールすべきだ。

とっとこランサー(@tottokolancer )


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