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希少がん闘病記を書くにあたり 〜終わりのはじまり〜

私は2017年秋に「悪性軟部腫瘍(粘液型脂肪肉腫)」のステージ3を発症し、2018年春に治療を終えた29歳女子。
本来、化学療法(抗がん剤治療)に併せて、手術を第一とするこの病気で、「陽子線(粒子線)治療」を選択し、5年後の完治・根治を目指して今も経過観察中だ。

闘病記は闘病している時からずっと、書こう、書こうと思い、何度もパソコンに向かうのだけど、どうしても書けないでいた。それは、思い出す作業は、あまりにも辛くて書いていると、ポロポロと涙が溢れ出すからだ。そしてどっと疲れが襲ってくる。過ぎ去る時間は、本当にいろいろなことを忘れさせてくれるけども、本当にそれで良いのか、とふと思い、パソコンに向かうことを決意した。

今の私に会って、「あ、がんだったんですね」とか、「がんでしたか?」のような、見た目で分かるような”症状”はほとんどないと言ってもいいだろう。でも私の中では、完全ではない。
化学療法(抗がん剤治療)で抜けた髪の毛は生えてきたとはいえ、中途半端。陽子線治療をした左太もも(膝裏)は、日に日に固くなり足の屈伸ができなくなり、足先の微量のしびれは消えることはなく、皮膚は薄黒くなっている。

見た目が元気であれば、元気とみなされるんだな、と最近よく思う。
そして闘病の頃の話をすると「強いですね」と言われるが、あんまりそういう意識はない。辛くて治療をやめれば、足を切断しないといけなかったわけで、そうとなれば、やるしかない、それだけだったと思う。

私が選んだ陽子線治療は、即効性がない。そして私の悪性軟部腫瘍については前例のケースが極めて少なく、治療が終わったとはいえ、今でも左足に腫瘍を抱えていることの不安は拭えないところだ。

治療が終わった、とはいえ、終わりがまた、次の未知なる副作用や、腫瘍が小さくなるのだろうか、という不安へのはじまりだったんだろうな、と、一年が過ぎようとして思うところだ。

終わりのはじまり。闘病記は今この時点も現在進行形なのかもしれない。
希少がん、特に軟部腫瘍で、先の見えないトンネルの渦中にいる方へ、この記事を送りたい。一緒に、じっくり向き合っていけたら、と。

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塔子 |  がんと義足と、ともに生きる
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