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20221020ワークショップ③石田

開催日時:2022年10月22日 13:00~14:30
場所:グレイスヴィルまいづる-東京(Zoomオンライン)
内容:
2人の参加者とそれぞれ砂連尾さんが1対1でワーク。対話、動き。
1.KTさんと1対1で20分程度
2.Aさんと1対1で20分程度


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石田智哉(映画監督)

 砂連尾さんのある言葉が心に留まっている。

Aさんは自分の“記憶”を歌で手繰り寄せているような、言葉を交わすとは違うやりとり

 とつとつダンスWSを見学していると、参加者の「その人の身体の奥に眠っていた記憶」が掘り起こされ、突然周りを包み込むような瞬間に立ち会うことがあってハッとする(私はオンラインでのとつとつWSしか参加したことがないが、このWSに対面で立ち会った時どんな感覚になるのだろうと気になる)。

 今回の参加者、AさんとKTさんとのWSだった。いずれのWSも「身体の奥の記憶」が立ち上がっていた。さらに、そのWSに立ち会っていると自分の身体の奥にある普段は忘れていた記憶が沸き立つのだから何とも不思議な心地である。ここでは、KTさんと砂連尾さんによるWSを見ていて、自分に到来したことを綴りたい。

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 KTさんとのWSでは「お金」という言葉から彼女の「暮らし」についての語りが展開した。砂連尾さんの言葉を浦岡さんがホワイトボードに書き、ワークが進んでいくが、これまで3度見学したKTさんのワークショップの中でも、今回は一言一言の声のトーンがどこか強い印象だった。

 砂連尾さんが途中で蛙のかぶり物をしたときにも「帰る場所は…!」「親が細々とお百姓を…」といった具合に暮らしに関する告白が溢れ出ていた。

 そして、砂連尾さんが「じゃんけんをしましょう」と3度声かけたとき、一瞬笑みを浮かべたものの表情には力が入っているようだった。じゃんけんという行為が引き出すもの、空気を変えることも興味深かった。最後には「ありがとうございました」と手を合わせ、深々と頭を下げているKTさんだった。

 そうした場を見ていて、自分の中に思い浮かんだのは祖母の振る舞いに関するエピソードだった。Kさんの「お金」という言葉は自分にとって「お金を包む紙」となり、その「紙」は柔らかな肌触りの「ティッシュ」へと膨らんでいった。

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 小学生のときのこと。母は買い物に出かけ、家には祖母と自分の2人ということが時々あった。祖母は隣に座っていて時代劇を見ていた。その隣で自分は仮面ライダーの指人形を置き動かしながら遊んだり、あるいは宿題の漢字や計算プリントを行ったりと、その時折で違うことをしていた。

 自分の集中力が途切れテレビに目を向けた。夕方のニュースでは今日の特集○○と紹介され、料理特集で調理場面がちらっと映るとワクワクした。テーブルの奥にあるクッキーを祖母がとった。クッキーの切り口を開ける。自分ではその日の指の動き具合で開けられたり開けられなかったりする袋を一発で開けるその指先にちょっと憧れた。

 クッキーをテーブルに置き、ポケットから何かを取り出す。折り畳まれたティッシュだった。祖母はいつもティッシュをエプロンのポケットに携帯していた。目の前にあるティッシュ箱のティッシュと祖母のポケットに入っているそれは同じものだけど何かが違った。身につけているティッシュには箱ティッシュの佇まいとは違う触り心地を越えた何か温かなまといを感じた。

 私はクッキーを食べ、そのティッシュで口周りや指先を拭く。そのティッシュは祖母の手に渡って反対側のポケットへと向かう。時代劇は終わり、帰ってきた母の声がする。祖母は立ち上がり、どこかへ向かっていった。

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 お金、蛙のかぶり物、KTさんの手を合わせる姿。ゆったりと時間が流れるWSから連想したこと。

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