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『動くためにとまる』第4回

西川勝(臨床哲学プレイヤー・看護師)



 誰でもできることを、誰もできないほどにする人を「変人」という。ぼくは変人が好きだ。ソクラテスという古代ギリシャの哲学者もりっぱな変人であった。

 ふつうの暮らしをしていても、ちょっと立ち止まって考えることはある。ところがソクラテスの場合、誰かの家に行く途中であろうと、ふと立ち止まってしまうと、そのままじっと立ち尽くして、夜を迎え朝日が昇るまでそうしていたという伝説がある。

 何かを考え込んでいたとも、「とまれ」という彼にしか聞こえないダイモンの声に従っていたとも言われる。プラトンの『饗宴』にもよく似た話が出てくる。中学生の頃だったと思うが、ぼくはこの話を知って、哲学って素敵だなあと思った。ぼくもダイモンが欲しい、そう願い続けている。

 効率やスピードが重視される今日の社会において、ストップすることは何か悪いことのように思われている。電車にしたって、各駅停車よりは特急のほうが車両もりっぱだし料金も高い。なんといっても、速いほうが人気がある。

 以前、青春18切符(※1)で東北まで出かけたことがあるが、それは風変わりな旅を楽しむためのものだった。近頃、ぼくが各駅停車の電車を選ぶのは別の理由からだ。ぼくは呼吸器系に弱点をもっている。俗に言うエヘン虫が急に暴れ出して激しく咳き込む癖があるのだ。だれもがマスク姿でビクビクしながら満員電車に乗っているこの頃、エヘン虫を飼っている身のぼくとしては、途中で降りることがかなわないのは恐怖の閉鎖空間になる。

 それで、少なくとも路線上の次の駅では停車して扉の開く電車に乗るようになった。不便と言えば不便で時間もかかる。しかし、少しの安心と自由がある。思いつけば、どの駅でも降りることができるのだから。

 いまのぼくには便利さよりも、この自由がありがたい。自分の足で歩いて行くほうが自由だし、もっといえばソクラテスのように立ち止まってしまえるほうが自由だろう。ハイスピードよりスローが、スローよりもストップに心惹かれるようになっている。そういえば、砂連尾さんのダンスにわくわくする場面も、まるで止まっているかのように見える超スローな動きであったり、シーンとする不動の姿勢だったりする。

 何かに駆り立てられて、何かを追い求めて生きているあくせくした自分を、立ち止まって振り返って、考えてみる。よく言われることだけど、欲求と欲望は別物で、食欲という欲求は満腹すれば消え去る。しかし美味を追いかける欲望には際限がない。

 欲求だけを満たせば良いというわけにはいかないのが人のややこしいところで、欲望との付きあい方を学ばないといつも不平不足に苦しめられる。「足るを知る」だとか「過ぎたるは及ばざるがごとし」なんていう教えもあるけど、ぼくにはほど遠い。「いいかげん」というのは難しいのだ。

 が、知らず知らずのうちに「いいかげん」を身につけていることもある。たとえば息をすること。息をせずには生きられない、それくらい大事なことだけど、息を吸いすぎてしまうことも、息を吐きすぎてしまうこともないのが普通だ。ときにパニックになることもあるが、普通の呼吸を身につけるのに人は苦労していない。

 心臓も血液を送るのに縮んだり膨らんだりを繰り返す。呼吸にしろ心拍にしろ、動きが反転する間際に止まっているだろう。リズムというのは間合いから生まれる。間合いには動きがない。うーむ、よく分からんようになってきました。今回はこれぐらいで小休止いたします。


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追伸:
【欲望との付きあい方】

 あからさまな剥き出しの欲望は、みっともない。どうしたらいいだろう。少し気取ってみようか。空を自由に飛びたい。そう焦がれて崖から飛び降りてても結果は無残だ。鳥にはなれない。失墜するイカロスにも美はあるかもしれないが。

 「あこがれ」という衣装を欲望に着せてみればどうだろう。決して欲望の対象を手に入れるわけではないのだけれど、相手をおとしめようとする「うらやむ」のではない「あこがれ」に身を置いてみると、みっともない姿がきれいな姿に変わらないだろうか。


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脚注(豊平)
※1:「青春18きっぷ」とは、全国のJR線の普通列車を1回あたり2,410円で1日乗り放題できるきっぷ。1人で5回分または5人までのグループ利用ができるるそうです。豊平も昔はよくお世話になりました。今もちゃんとあります。

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