俳句の"読み"方②口語体/文語体&新かな/旧かな
俳句を読んでいると、いろんな表記や文体があることに気づきます。
この記事では、(あまり俳句を読み慣れていない)読み手としての目線から俳句の文体と、表記(かな使い)について、簡単に説明してみようと思います。なお文法などの難しい話は全く出てこないのでご安心ください。
いろいろな俳句の文体/表記
例として、手持ちの句集や雑誌に掲載されていた句などから、さまざまな表記・文体の句を並べてみました。
すっと読める句と、一読では少し難しい句が混じっています。
特に、旧かなの俳句は普段は見慣れない文字が入っているので、学生時代に古典が苦手だった方など(私ですが)、少し身構えてしまう感じがあるかもしれません。大丈夫です。ゆっくり見ていきましょう。
文体の違い【口語体/文語体】
【口語体】
こちらは口語体の句です。
口語体は喋り言葉のような文体を指します。辞書の説明を引いてくると、以下のような感じです。
上で例句にあげた口語体の句は、誰かが囁いているような、ぽつりと独白するような、やわらかい空気感をまとっています。それが内容をより引き立てている感じがあるかなと思います。また、個人的には口語体の方が、作中主体(句の主人公)の人となりが伝わりやすいと感じています。
蝶の句は多分中学生くらいの女の子か男の子かな、とか、火事の句は暗闇からぽつりと女の人の声で聞こえてきそう、とか。そうした読みの想像(妄想)を広げやすいです。
【文語体】
こちらは文語体の句です。「誤りぬ」「借りて来し」などの書き方が、文語となる部分です。
辞書の説明を引用すると、以下のようになります。
要は古語の表現が含まれるものというくらいの認識でいいかなと思います。
文語体の特徴としては、まず、カッコイイ!と言うことがあるかと思います。格式高い雰囲気を出すことができるし、口語より感情表現がしにくい分、客観的な印象を与えます。また字数(音数)を少なくできるのも大きな特徴です。これは17音の短い器で表現する俳句には大事なことです。
蝶々の句の後半を「誤りぬ」ではなく「間違えた」にしたら、ちょっとかなり雰囲気が変わってしまいます。「誤りぬ」とすると大人が嬉しさを噛み締めているような印象を受けますが、「間違えた」にすると子供が照れながら飛び跳ねているような感じがします。ピアスの句も「借りてきた」に変えると、ただの報告のような感じになってしまうかも。どちらも文語体だからこその醸し出されるニュアンスが、あると思いませんか?
なお文体の使い分け方は人それぞれです。文語体・口語体両方作る方もいますし、どちらかに統一している方もいます。
表記の違い【新かな/旧かな】
文体の違いの次は、表記の違いです。
これは【新仮名遣い(現代的仮名遣い)】と【旧仮名遣い(歴史的仮名遣い)】の二つです。以下、新かな・旧かなと表記します。
以上、文体の例であげた句はどれも新かなの句です。
一方で、こちらは旧かな表記の句になります。
旧かなを新かなに直すとこんな感じ。
「あぢさゐ」=「あじさい」
「いふ」=「いう」
「やはらかき」=「やわらかき」
「見てゐたの」=「見ていたの」
「ゐる」=「いる」
「やうな」=「ような」
見慣れないと読みにくさを感じるかもしれません。でもこの、旧かなの字面だからこそ醸し出すことができる、クラシカルでゆったりとした空気はあると思います。そして、新かなに直してしまうと、少しあっさりしすぎてしまう気もします。句の霊力が消えてしまうと言うか。
あ、もちろん、あっさりがダメだということではもちろんありません。そう言うものに寄らずに硬質な表現をしたい、とか、むしろ平坦さを表現したい、とか、いやいや格調高さを強調したい、とか、シンプルなことをできるだけ大袈裟に表現したい、とか。色んな試行錯誤の中で、作り手が選択する要素としての「文体・表記」があると言うことです。
なので、読み手としても、そこを感じながら味わうのが良いと思います。
なお、一句の中で新かなと旧かなは基本混ぜないとされます。また、どちらかに統一して作品を作っている方が多いです。
(補足:旧かなで作っている方でも、句の内容によっては新かなと変わらない表現になる場合はたくさんあります。新かなの例句であげた西川火尖さんは、旧かな表記で作句する俳人さんです)
4つの組み合わせパターン
組み合わせとしては以下の4つのパターンになります。
1.口語体×新かな
すらすらと読みやすい。
ふわっとやわらかい空気感がある。
作中主体の人物像が見えてきそうな感じがする。
いわゆる俳句っぽさがあまりない。
2.口語体×旧かな
読みやすいけど、表記の部分で少し引っ掛かりがある。
平易な文体と難しい表現のずれが不思議な雰囲気を醸し出している。
(1と同じく)作中主体の人物像が見えてきそうな感じがする。
あじさいを「あぢさゐ」と書くことで、いつものあじさいとは違う、なにか特別なもののようにも感じられます。
海市の句は、声に出して読むと普通の会話のようですが、旧かな字であることで相手との距離や硬さを感じて、少々怖さも覚えます。なお、海市とは蜃気楼のことで春の季語です。かっこいい!!
3.文語体×新かな
読みやすい。
言い回しがピシッと決まっていてかっこいい。
俳句っぽい。
4.文語体×旧かな
ぱっと読めないので、ゆっくり読む感じになる。
とっても俳句っぽい。
表記が句の雰囲気をさらに強調している。
白鳥の句はほんとうに柔らかそうだし、「水羊羹のやうな闇」という表記自体が、闇のねっとり感を強調していると思います。
何故、俳句には文体・表記の違いがあるのか?
一言で言うと、作者の好みです。
その人が、どういう表現がしたいか、と言うことに尽きると思います。
明治、大正、昭和世代の人は【文語体・旧かな】で、最近の若い俳人は皆【口語体・新かな】という傾向はありません。
若い俳人の方でも、文語体・旧かなで作句される方は多いと感じています。現代的な題材と文語体・旧かなの組み合わせが、ものすごく面白かったりします。
読み手側としても、もちろん好みで選べばいいと思います。
上の4つのパターンで示した通り、【読みやすい/読みにくい】という軸を超えて、文体や表記でかなり句の印象が変わってきますので、そう言うところを感じながら選ぶと面白いと思います。
とはいえ、もちろん読みやすさ、とっつきやすさという意味で、初めは口語体が多め・新かな表記の俳人の句を読んでみるのもいいと思います。そして少し慣れたら文語体・旧かなの句にも挑戦してみるのも、素敵ではないでしょうか。
文語体や、旧かなの俳句は最初はとっつきにくい、読みにくいと思われる方もいるかもしれません。読みつつ意味を調べたり、色々と思い出しながら、少し勉強も必要になってくるかもしれません。
ただ、文語体・旧かなを身近で味わえるのは、俳句や短歌などの短詩ならではだと思います。文語体・旧かなで書かれた小説があったとしても、味わう前に挫折しちゃう。なお書く方も挫折しちゃう。でも俳句の短さであれば、作り手側も読み手側も、文語体・旧かなを存分に満喫できるわけです。
と言うわけで、私としましては、全てのパターンがおすすめです。
違いを楽しむと言う意味でも、全部読んでみてほしいです。
私のnoteでは句集紹介(もう少し増えたらインデックスを作ります)のところで、新かな・旧かな、口語体・文語体などの表記をつけますので、探す際の参考にしてみてくださいね!