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『時空の支配者(ルーディ・ラッカー/黒丸尚・・・・・・訳/ハヤカワ文庫SF)』、読了。

 こんな本を読みました、破死竜です。
 原題は、『The Master of Space and Time 』
つまり、邦題は、ほぼ直訳ってことになりますな。

 あらすじ:

 時空支配装置を発明した悪友ハリイと共に、”ぼく”こと、フレッチ(フレッチャー)が起こす、大騒ぎ。
 わかりやすい例:第四章のサブタイトルは、『ゴジラ対蛙男』、です。

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 どんな雰囲気の作品なの?:

 物語の主人公(たち)ってのは、普通、何事かに無知だったり、何事かをなす能力が無かったり、欠陥や不満を抱えているものです。
 そうでなければ、読者から、「共感できない」だの、「作者が話を動かしたり、結末へ導くための部品に過ぎない」、「個性や、人間味が感じられない」といった批判を受けてしまいます。
 ところが、本作品の二人は、異なります。片方は、時空の支配者なので万能、もう片方は、未来から来たその友人によって、これから何事が起こるかを、全部知らされているわけです。
 おまけに、SF作品にも詳しく、例えば、小人になって、自分の車に友人たち(!)が現れたときも、冷静に、目撃者がいないかをあたりを確認した後、恐れる様子もなく、そのまま車に乗り込み、一言、
「どうしてこんなに複製がいるんだい、ハリイ」
と訊ねるのでありました。

 メタSFコメディ、としての面白さ:

 そんなわけなので、残念ながら、”SF小説を読むのは、産まれて初めてなんです”、といった方には、向かない作品です。
 しかし、他のSF作品(※小説でなくとも、構いません)に、多く触れてこられた人ならば、楽しく読むことができると思います。

 例:ものわかりの良すぎる主人公
 >「わかったぞ。今のすべてが昨日より小さいんなら、時間を跳び越えて昨日へ行けば、むこうの人間よりずっと小さいってわけだ」

 例:ゴジラ映画に一家言ある主人公
 >「ゴジラ映画って観たことあるかい、フレッチ。大きなトカゲが出てくる奴」
 ぼくはハリイにちょっと眼を向けた。穏やかな顔で、表情が読めない。ぼくは口を聞きかけたが、言わずにおく。ここで興奮したら、ハリイの思う壺だろう。

 例:もてあそばれる科学用語:
 >「スープにクォークを入れましょうかね、坊やたち」
 「クォーク・・・・・・」とぼくは訊き返した。
 「クォークだよ」ハリイはくすくす笑いながら」うなずいて、「でも素粒子じゃない。”クォーク”ついのは、一種のヨーグルトを表すドイツ語なんだ。わが家では、いつも”サワー・クリーム”のことをそう呼んでた」

 まとめ:

 大真面目に、障害を乗り越えて、主人公(たち)が変化する物語も、王道で大変よろしいのですが、たまには、どうなるのかも、どうしたらいいのかも、それが出来ないという不安すらない、そんな主人公たちが、SFヨタ話をしつつ、繰り広げる、そんな笑えるSF小説も、お読みになってはいかがでしょうか?

 終わり。

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