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善も悪も、素直もひねくれも、ひっくるめて人間

9月5日の記念日【国際チャリティーデー】
マザー・テレサの命日にちなんで、2012年の12月国連総会で制定された記念日。

世界中のより多くの人々に、ボランティア活動や慈善活動の大切さを啓発し参加を呼び掛けることや、チャリティー精神を広めたいという願いがこめられているそうです。

この記念日を知った時に、パッと頭の中に「胡散臭い」という思いがよぎってしまったのは、

自分がそれだけひねくれた人間になってしまった証拠なのかもしれない。

そう思うとちょっとだけ、寂しい気持ちにもなりました。

ボランティアやチャリティーというのを、喧伝するのは、

人間の『善意』に訴えかけた、ビジネスのように感じてしまい、

どうもそれを100%の肯定で、素晴らしい事だね。

と言えなくなってしまっている自分がいます。

書いていてなんだか自分で自分を嫌いになりそうですが、

決して、人の善意から出た行動を批判する気持ちではなく、

善意を求めて声をあげる気持ちや行動に、いつも疑問符が浮かんでしまいます。

当然その行動も「善」なのでしょう。しかし果たして、

今目の前で募金した500円は、そのまま500円しっかりと全部、

カンボジアで学校を作る資金になるんだろうか、

100円で8人ワクチンが打てるというなら40人分のワクチンになっているのだろうか、

そんなうがった考えになってしまうのが、

もうどうしようもなく自分自身が、ひねくれてしまっているなと思うのです。

それでも、街に出た時に、保護ねこの里親を探していますのボランティア活動の方をみると、

自分は一人暮らしで猫を飼ってやることはできないなとわかっているので、

せめてエサ代にと、財布の小銭を全部入れてしまいますし、

駅でホームが分からないで困っている人がいたら、「どちらまでですか?」

と、駅員でもないのに声をかけてしまったり、

そんな行動をしてしまう自分もいて、そうした自分を見つめ直して、

人間は善も悪も、素直もひねくれも、持ち合わせているんだよなぁと改めて思うと、

そうした中で、ふと善の気持ちが顔を出したときに、行動に移せること、

それもチャリティーでいいんじゃないかなと、そう思います。


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