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その裏切りは、歴史の大きな転換点になり、

6月2日の記念日【裏切りの日】
1582年の6月2日、本能寺にて織田信長が明智光秀に裏切られ、襲撃され、自害した「本能寺の変」が起きました。それを由来にして言われるようになった記念日です。

日本史の中で、もっとも有名な事件と言っても過言ではないかもしれない、本能寺の変ですが、その一事をもって明智光秀は「裏切り」の象徴のように考えられてきました。しかし歴史の研究は曽積み重ねられ、その真相はさらに深い考察をされているようです。

裏切りというと、これは信長視点でこの事件を見ているように感じますが、明智光秀が本能寺の変を起こした動機は、主君への裏切りというよりも、世直し的な、革命の様な大義を自分自身にもっての行動だったのかなと想像すると、今日を「裏切りの日」と言い続けることは、あまり良くない事なのかもしれないと感じ始めました。

今日の記念日、裏切りという言葉に抵抗がある人は、事件そのものから「本能寺の変の日」などと呼ぶのも良いのかもしれませんね。

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