20211007 自分のIdentity

みなさんお久しぶりです。五月です。

最近、少しづつですが周りのおかげもありこちらに日記を残すことに慣れてきました。ちょっと悲しくて記憶にあまり残っていないのですが、少し自分のIdentity(アイデンティティ)の話をさせてください。

私自身、生まれてから日本に飛ぶまでの期間を除いて、アメリカにきてから今年で6年目です。時間とあっという間で、日本とアメリカの行き来をするのが普通になっていて、日本に一年近くいた後にも関わらず、正直一時帰国の時と感覚そんなに変わらないと言う事実もあります。

現時点ではまだ日本滞在時間の方が長いのですが、卒業するタイミングでちょうど人生の半分日本、アメリカになります。(なんならアメリカの方が長い)日本のアメリカも経験して良かったと、心から思っています。ただ、その反面、自分は日本人なのか、アメリカ人なのか、わからななくなることがあります。そして今回はこのトピックです、

現在、仲良くさせてもらっている日本人留学生2名いて、よく一緒に勉強したり遊んだりしているのですが、その時に彼らに言われたことがすごくひっかかっていました。何かというと、

「日本語話している時と英語話している時の五月は別人みたい」

これを言われた時正直衝撃的でした。自分は自分で、言語が変わろうと考えや発する言葉は何一つ変えているつもりがなかったのです。どっちがいいとかってわけではないけど別人なんだよね、と言われてすごくもどかしい気持ちになりました。嬉しい、嬉しくないと言う世界線ではないし、嫌かと言われればそうでもないです。二重人格みたいな、なんかそう言う人として見られているのかとか、そっちで不安だったのかも知れません。

この悩みは実はずっと抱えていたのですが、考えても仕方ないと思ってあえて触れてこなかったので、今回、思い切って聞いて見ました。何が違うのか、と聞くと難しいと言われ。ただ、「日本語を話している私はアメリカ人っぽくて、英語を話している自分は日本人みたい」と言われて、どっち?って率直に思ったのを覚えています。

今までの21年という短い人生の中でも色々ありまして、今があるのですが、今の私は基本的に「自分のことは自分でやる、人に迷惑かけない」と言う強い気持ちがあります。それは多分、自分を出さずに人に尽くし、彼らが笑ってくれることに対して満足感を得ている、悪い言い方をすれば自分に酔っていると言う感じです。私は自分に価値がないので頼ってもらったり人に尽くして喜んでもらったり、自己満足かも知れませんがそこと調和して自分の存在価値を生み出しているつもりでした。

日本人の気使う感じも知ってるから英語で話してるとすごく丁寧に聞こえる、日本語の時は英語の文化が混ざってるからすごく強く聞こえると言われて、どっちなんだ?となりました。

どちらの言語でも自分がブレることもないし、言っていることも違わない数なのに、別人見たいって言われて、初めてすぎて、自分は何人なのかがわからなくなりました。

今でも自分はアメリカにも日本にもあってないなと思う瞬間がたくさんあります。確かにどちらにも合わない部分と合う部分あるしちょうど半分くらいで、無駄に真面目だしとか思ったこともありました。ただ、自分が誰なのか、自分が一番わかっていないと言うのが、こんなに辛いとは思っても見ませんでした。

正直自分が一番衝撃的で、今更感が半端ないです。

自分のことは自分が一番わかっていないし、他人に評価してもらうことによってわかること、発見できることたくさんあると思います。

ただ、他人が言っていることが理解できず、悩むと言う時間ほどモヤモヤすることはないなと思います。今回のケースに関してはその人たち自身も言語化するのが難しいと言われました。その人たちが感じているものがなんなのか、私はわからないままなのかと思ったら、知らないと言うのが怖く感じました。外国人は他国から来た人は、私は日本語話してる方が楽しそうとか言っていました。見る人によって私の存在が違う。自分は一人なのに色々な見方があって、それを聞くたびに惑わされてしまう。自分の芯がないとこう言う時に自分が誰なのかがわからなくなります。

自分は自分をどう説明するか、それができるようになったら少しは自分に自信がつくようになるのかなとか思ったりもしています。自分に自信がないから、と言う言い方ではなくて、そもそも自分をそんなに知らないから自信があるものを認識できていなくて自分の価値を下げているのかも、という発見もあったので、今回の経験は完全にネガティブではなかったのかなと思います。ただ、やっぱり自分をわかっていないと言うことを改めて感じたり認識してそれを受け入れるのは苦しいなと思いました。

また気が向いたら。

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