20211025 First-Person vs Thrid-Person Perspective

お久しぶりです、五月です。本日も殴り書きスタイルでいきます。笑

私は下書きにたくさん日記を書いて残していて、この一年と少しの忙しくて大変になると思った一年の経験をお届けできればと思い投稿を始めました。今回のトピックは自分に秘めておくべきか、自分を出すべきか迷ったけどステップアップのつもりで投稿を決めました。文章をいつも通りまとまっていないですし、気持ちも頭もまだ整理がついておらずごちゃごちゃしていると思うのですが、気が向いたら読んでいただけますと幸いです。

このノートには毎度毎度書いているように感じますが、自分を好きになれないままここにきて、それでもそういう自分を認めてなんとか頑張ろうと思った結果が、人に認めてもらうことで自分の価値を見出すことしか小学生の私は考え付かなくて、そのままの価値観で生活を送っていました。

それを明確に考えて自分の頭に刷り込んでから、ちょうど10年経ってました(この間考えて気づいて時の速さに驚きを感じました)。この10年、自分の中ではすごくたくさんのことがあったなと思います。小学校を無事卒業し、中学生になって一気に棘が生えて何にでもなににでも反抗していた時期もあれば、同性の友達と仲良くなれず異性とばっかりつるみすぎて性格が変わったのも中学生だったり、アメリカに行くことを決めたのも中学生でした。アメリカに来てたくさんの刺激を受けて、今があるなと思います。英語の壁にぶつかり、親元を離れて自立・自律どっちも今の自分には必要だと自覚し、15歳なりに大人になろうと努力し、責任感が余計に芽生え、英語も人も成長したら人として期待されるようになり、「これだ」と思ったのをすごく鮮明に思えています。小学生の時に感じていた自分の価値を見出す方法はこれだと感じて、そこからは「人に求められる存在になること」で自分が生きる理由だ!と思って周りのために頑張ってきました。

この間、私が10年間「正しい」と思っていたことが「違う」と言われました。ここ最近、抱えているものが多くてしんどかった時期があります。その時は自覚していなかったのですが、今思うとなんなら限界超えていたdんじゃないかなと思う瞬間も何個か思いつきます。その時は自覚がなかったので、寝ずに勉強したり言われるがままに仕事をして、いくらしんどくても周りには「大丈夫」と言い通し一人でなんとかしようとしていました。ある日、一番近くで仲良くしてくれている人たちに「みてて辛い」と言われました。

正直、言葉を失うという状況にあまりあったことないのですが、この時はまさにこの状況でした。自分は正しいと思ってやっていて、なんならそれが人のためだと思って、周りのためだと思って、やってきていた。だからこそ、これが「辛い」と言われて、自分が周りのためだと思ってやっていたことで周りを苦しめて辛い思いをさせていたなんて。と思った途端に本当に悲しくなりました。どっちをとっても人を傷つけていて、苦しめてしまった。その事実に愕然として、「ごめん」しか言えなかったのを思えています。正直に打ち明けてくれたその彼は、その後の二日間くらい心をとざいしているというか、無理して、私と関わってくれているように見えて、本当に心が痛くなりました。こうやって人って離れていくのかなって思うと苦しくてたまらなくて、自分も一人の時に死ぬほど泣きました。笑 大事な人たちを自分の行動のせいで苦しめてしまったり悩ませたり、絶対にしてはいけないしそれをしないためにやっていた行動で結果苦しめてしまっていてびっくりという言葉以外思いつかなかったです。

タイトルのFirst Perspective, Third Perspective というのは、私目線か第三者目線という意味です。私は今の今まで自分のことしか考えれてなくて、第三者から言われてやっと気づけたこと、という意味を込めてこのタイトルにしました。この一件で、自分をもう一度見つめ直すきっかけになったかなと思います。これから社会人のなるにつれて、今の自分に必要なものをしっかり考えて、すぐには無理だけど自分の周りに対する行動、自分自身の行動を帰られるようになれば良いなと思います。

この一件、正直すごくしんどかったけど、起きてよかったと思います、周りにはすごい迷惑をかけてしまったけれど、感謝でしかないです。

多分本人たちはみていないけど記録として。。

本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。迷惑かけるかもしれないし、また同じ失敗をしてしまうかもしれないけど、私なりに頑張るから見守っててくれると嬉しいです。


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