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海に浮かぶ月

踏切の向こうに青い海が見える。
 そして水平線から伸びる入道雲。
 夏の暑さと共鳴しているかのように、カンカンカンとかん高い警報機が鳴り響いている。
 僕は遮断機ごしに海を見ながら電車を待っていた。
 太陽なほぼ真上から照りつけている。
 暑っ!
 僕は思わず口に出した。
夏はここ2,3日「最後のあがき」のように35度以上の高温を叩き出していた。
 
 バイトの帰りだった。
 春から始めた駅前のカフェでのバイトにもようやく慣れ、バイトの先輩から怒られることもなくなり最近よくやく楽しくなった頃だ。
 しかし、上がりが午後2時とかなのでこれが夏場は結構きつい。1日でも一番暑い時間帯で、冷房で冷やされた体も家に着く頃が汗だくだった。
 今日は一緒に上がる女の子たちが二人
「真柴―。久々にカラオケに行かない」と誘ってきたけど断った。 
 今はそれどころじゃない。

 家では今大変なことになっていたのだ。
 父と母が離婚する。
 仲のよい夫婦とはいえなかったが、まさか二人とも50も近くなって離婚するとは思わなかった。
 その理由にも全くびっくりさせられる。
 母は
「自分の人生をここであきらめたくないの」
 との理由で、離婚してイギリスへ留学すると言う。
 母は翻訳の仕事とたまに頼まれて通訳の仕事もしていた。若い頃のキャリアウーマンという雰囲気を保ち続けていて、いつもどこか不満気だった。
 父の方がもっとすごい。
「好きな女がいてそっちと暮らしたい」
 というもの。
 えーーーーー
 僕と妹は聞いたとき声に出して叫んだ。
 なんという!
 まさに青天の霹靂という言葉がぴったりの瞬間だった。
 TVドラマではよくある話かもしれないけど、まさか父親の口からそんな話しが出るなんて思っても見なかった。
 父親を一言で評すなら地味で真面目、プラス優しくて小心者、そんなとこだったのである。
「相手の女性は10年以上前から知っていて、付き合うようになったのはここ2,3年で、でも籍は入れなくていいと言っていて、あっおまえたちはずっと俺のせきだから、、、」
 なんてことを言っていた気がするけど僕たちは聞いちゃいなかった。
 ただ唖然と放心する僕と明日香だった。
 そりゃ、父親は仕事が忙しいと言って都内の事務所に泊まってくることも多かったし、母親だって僕たちが中学に入ってから本格的に仕事に復帰し、夕飯は半分以上作れないことがあった。
 でも僕と妹はそんな家庭がむしろ好都合だった。
「うち、うるさくなくていいよね」
 明日香がたまに言っていたものである。
しかし、離婚となると話が違う。
 事は決定済みで僕らは反対するとか意見を言う雰囲気ではなく、何か質問する気分になれずだまって聞いていた。
 ゆうべのことだ。
 
 やがて緑と黄いろのツートンカラーの車両が2両通り過ぎた。
 僕は自転車を押して踏切を渡ると海岸沿いに自転車を走らせた。
 左手には砂浜が広がっている。
 8月も終わろうとしているのに、結構な人出がそこにはあった。
 車の流れもまだノロノロとしたものだった。
 ふと妹の明日香が道路のすぐ下の砂浜を歩いているのが目に入った。
 きっと家にいるのが嫌になって出てきたのだろう。
 父と母は早々と自分たちの荷物をまとめ始めているに違いない。
 それにしたってこんな暑い時間に砂浜を歩かなくたって、、、
 陸上をしている中2の明日香は全体に筋肉がついてバランスよく、短パンからはひきしまってまっすぐな足が伸びていた。
 かなり日焼けはしているけど、可愛いの部類に入る子だということは遠目にもわかる。
 しかし、その歩き方はいかにも寂しげだった。
 可愛い女の子が寂しげに砂浜を歩いていたら「ナンパしてください」って言っているようなもの。
僕はあわてて叫んだ。
「おーい、明日香、何してんだ」
 明日香はすぐに気がついこちらを見上げる。
「あー、お兄ちゃんだ」
 大きく手を振りながら答える。
さっきまでの寂しい雰囲気は吹き飛んでいた。
「こんな季節にそんなとこ歩くなよー」
 僕は重ねて叫ぶ。
まわりにはチャラそうな都会からの男がウヨウヨしている。
「あー、そーねー」
 明日香は僕の心配を察したかのように素直に答えた。
「ちょっとマクドで休もうか。上がってこいよ」
「了解、今行く」
 明日香は近くの狭い階段を上がってきた。帽子もかぶらず汗だくだった。
 僕は自分がかぶっていたキャップを明日香にかぶらせた。

「ゆうべはびっくりしたよねー」
海の見えるファーストフード店。
店の中は砂浜同様ごった返しているけど、運よく海の窓際の席が取れた。外は夏の日差しが強烈に降り注いでいたけど、ガラス一枚隔てた店内は冷房でキンキンに冷えている。
 マンゴスムージーLサイズをストローで吸うと明日香はそう言った。わざと明るくしているのがみえみえだ。
「だよな」
「おまえたちは十分一人でやっていけると思うから、だってさ。確かにそうだけどねぇ」
「このまま家に住めるし、生活費もくれるっていうから何も問題ないはずなんだけどねぇ」
 そう、何も問題ないはず。
友達にも親が離婚したやつは何人かして今更珍しいことでもない。
就職や結婚に差しさわりがある時代でもない。
 しかし僕らは何か腑に落ちなかった。
「まぁ、今まで親としてやってくれることはやってくれたし、いいんじゃないの?」
「でも、決める前に私たちに相談してくれてもよかったのに」
「相談されてもこまっただろ」
「そうそう、お願いだから離婚しないで、なんていう歳でもないしね」
 父母が離婚しない方が自分たちにいいか?たぶん余計な説明をしなくていい分、その方が面倒なくていいんだろう。
でもそのくらいだ。どっちだって大して変わらない、とそのときは思った。
 
「母さんはやりそうな気がしたけど、あの父さんは意外だったね」
「ぜんぜん気が付かなかったもんな。地味だし髪だって薄くなっているし」
「ああいうのが好きな女の人だっているんだよ。弱いものにめっちゃ優しいとこあるだろ」
 父親は捨て猫を拾ってきては里親を捜す、なんてタイプの人間だった。母が猫アレルギーじゃなかったら自分で飼いたかったかもしれない。
「人はよかったよね。タイプじゃないけど」
 父はまだ家にいるのに明日香は過去の人、のような話し方をした。
「やっぱ、父さんに女の人がいたから母さんが怒って離婚てパターンかな」
「その線が強いけど、あの母さんだったら他の女の人に安らぎを求めるみたいな?」
 僕は小説から得た知識を総動員して答える。
「そっちの女の人と籍入れないんだったら離婚しなくていいのにねー」
「そこは母さんの意地かもな。」
 僕たちは父と母を前にして直接は聞けなかったことをあれこれ推理する。
 父と母からも僕たちに直接の詫びの言葉はなかった。
 家族ならではの恥ずかしさがそこにあったのだと思う。

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