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神様はいつも大変!(前編)

人間創造の証明


Ones upon a time in Hiroshima

昔の話、小学生低学年のころだったか?

家でひとりで留守番をしていると宗教の人が、訪ねてきたのである。

いや、めんどくさいの来たな。”と思ったのだが、
小学生ながら”無下に追い返すのも”と思い、一応玄関先で話を聞いた。

宗教の人が広げたのは聖書ならぬ、図鑑のような本。
カメラと人間の眼をくらべたイラストを見せられた。

本当はこういう描き方はレンズの機能を表してないのですけど

何コレ?”科学と学習"教

曰く、
『カメラって人が作ったもので、すごく複雑な構造ですよね。
でも人間の眼のほうがはるかに高度なんですよ。』
(知ってます。正確には眼球と脳。
明暗に対する対応範囲(ラティテュード)も広いし、
光源の色温度に関する自動補正もほぼ完ぺきである。)

『こんなにすごい体の構造が、自然に発生して
こんな複雑に進化するなんてこと有り得るでしょうか?』
から始まり、

『だから人間は、はじめからこの形で神様がおつくりになった
ということなのですよ。』
で一旦結ばれる。

そういう論理展開か。

(ではそんなに精緻な眼を持つ人間というものを、
いとも簡単におつくりになったという、
人間よりもはるかに高度な神様は、誰がおつくりになったのだろう?)

とも思うが、あえて口にはしない。
(宗教の人に挑発的に舌戦を挑むのは愚の骨頂である)

その代わり全然興味のない様子を見せ、
早々にお引き取りいただいたのだが、
その後も一考

神様は誰か他の存在に作られた”ということについては頑なに否定し、
『神様は最初からいた』ということならば、
もっと簡単な人間も最初からいても良いはずだし、
自然に生まれた』というのであれば、
人間だって自然に生まれてもおかしくないということになる。

大人になって考え直してみる

小学生としては、ここまで考えて満足していたのだが、
これはただのロジックであり言葉遊びだ。

改めて考えてみる。
少なくとも最初(すなわち宇宙、あるいは地球の誕生)から
人間が存在したということはなさそうである。
今の人間の生態で生きていける環境ではない。

また生物が環境に適応して変化していくというのも
種々の科学的な証拠から、有り得る事だと考えてよさそうである。

問題は”生命の誕生”だ!
もともと有機物が存在したとしても、
それが生命になる過程は、
突然変異適者生存を基本とした進化論では
到底説明できないように思える。

生命の基本的な機能を有する単細胞であっても
そのおそるべき複雑さ精緻さは、
細胞のもととなるアミノ酸分子配列とは比べようもなく、
まかり間違っても自然に生命になるなどということはないのである。

だってこれって、例えばアミノ酸を含んだ水の入った瓶を
戸棚の中にしまったまますっかり忘れており、
1億年後に( ゚д゚)ハッ!と思い出して、瓶を棚から取り出し
フタを開けてみたら、新しい生命が生まれていた!
ということなのですよ。

会社でお茶を飲んだ後、洗うのをつい忘れてしまい
茶葉が入ったままのフタ付きのカップを机の引き出しの奥深くに
ご安置してしまうのはよくあることです。
職場の配置換えの時などにそんな置き去りにされたカップを見つけて、
『やべ!新種の生命小さな王国が発生していないかな?』
ドキドキしてカップの中を覗くのですが、
幸か不幸か現生種カビ以外は見た事がない。
*注 茶葉に含まれるアミノ酸は半分以上がテアニン
お茶の旨味に寄与します。

現代の科学では生命の元となったであろうタンパク質基本構造
アミノ酸 7種類の組み合わせで作り得るという事実を、
突き止めるのが精一杯なのである。

なるほど、わからん!

これは非生命から生命に変化するしくみの解明にはほど遠い。

組合せ次第で生命になる可能性はあるのだから、
それが起こっても不思議ではない。と開き直るのが科学であるとすれば
それはいささか乱暴というもの。

”えー、この人科学を否定する危ない人”と思うかもしれませんが、
この説明で納得するのであれば

50pcくらいのジグソーパズルを何百セットも
町内のそこかしこにばらまいて、
パズルのピースが風に吹かれて移動することもあるのだから、
一億年もあれば
たまたま必要な50種類のピースが一か所に集まり、
たまたま正しい位置で組み合わさって
ジグソーパズルが完成することもあるんじゃないの?

といわれて、そうですね。と頷くようなもの。

たかが50pcs、されど50pcs

アミノ酸タンパク質となり、
そのタンパク質が生命活動を開始するというのは奇跡的なことで、
生命の誕生はまさに神秘のベールに未だ包まれている。

いや神秘と言う時点で神様がいる前提の言葉なんですが。

ポコぞうの話をしよう

生まれ出ずる奇跡

始原の非生命からの”生命の誕生”でなくとも、
から子供という新しい命が産まれることも同様に奇跡といえます。

”命を持った有機体が産まれるしくみ”という観点からいえば、
人間の誕生のみでなく、すべての動物や、あるいは植物においても
等しく奇跡といえるのですが、
それでも人間がこの世の中に生まれるのは特別な事だと思います。

そういえばメーテルリンクの『青い鳥』の中で
生まれる前の子供たちがいる『未来の国』というのが登場しますが、
果たしてそのような””はあるのでしょうか?
そんな所はないとしても、何らかの前世の記憶ってあるのだろうか?

自分には全くそのような記憶はないのであるが、
生まれた後、時間が経ちすぎて忘れているだけかもしれない。

そんなわけで、お話が出来るようになった3歳くらいのポコぞうに
聞いてみた。

『ポコちゃん、
よくトト(お父さん)、カカ(お母さん)のところに来てくれたね~。
空の上の国で誰のところへ行こうかな?”とか考えたの?』
(”未来の国”がある前提の話し方、というか誘導尋問である)

するとポコぞうのお答えは!
カカのことはやさしそうな女の人だな~って
トトはおもしろそうなおっちゃんだなと思ってここを選んだの。』

ポコぞうが高校に入って改めて、
ポコぞうは小さい時、こんなこと言ってたよ、と言うと
『あぁ、言ったよね
でも空の上の国ってないよね
幼児といってもいろいろと気を遣うことがあるんだよ。』(でしょうね)

童話の話は別にして、やはり人間が生まれる事の意味は
単なる生物学的な生命の誕生(要は繁殖である)とは
一線を画すると思うのです。

動物や植物であれば、適者生存、弱肉強食という自然界の理に従うもの。
逆に言うと弱いものや、環境に適用できないものは消え去るのですが、
人間はそうではない。

少なくとも現代ではそうではない。

人によって身体能力性格特技がちがっても、
社会の中でそれぞれの力を発揮できる”役割”を見つけて
生きていくのですから。

それだけに、神様も人間を創造しただけではお役御免とはならず、
個人事にカスタマイズしたアフターサービスが必要。

これは全能の神様にとってもなかなか大変な事らしく、
世界中にサービスセンター(神社や教会)を設置し、
人間の力も使って有料または無料でサービスの受付をしています。

この毎日20万回起こるありふれた奇跡の1つであるポコぞうの誕生。
ちょっと振り返ってみる。
・最初はエコーで2㎜の小さなだったのが、
 だんだん大きくなって赤ちゃんの形になっていきました。

昔日のポコぞう


・出産予定日の1週間くらい前から、逆子の姿勢になり、
 ヤキモキしていたのだが、直前に頭が下の向きにくるっとまわり
 一安心。
予定日には生まれず、翌日からの3連休に持ち越し?
 トトムは当時は仕事が忙しかったのだが、
 3連休に出勤しなくて済むよう、前日残業し、帰宅は23時ごろ。
  家について風呂に入っている時に、『破水した~。』とゼニファー
 (ポコぞう自身、もう生まれても大丈夫と思ったのかな。)
・イタイイタイというゼニファーを車に乗せて病院へ。
 アルファロメオはちょっとサスペンション硬いので段差で揺れるたび、
 ”イタタタタ!” 
 ごめんね。ゆっくりいそぎます。
・そしてゼニファーが分娩室に入るまでの約5時間、
 トトムは休む間なく、ゼニファーの背中をゴシゴシ擦り続け、
 (こうすると痛みが和らぐのだそうです)
 無事ポコぞう誕生の時を迎えたのです。

赤ちゃんを母乳で育てるとどうなるのか⁉

なんでも
母乳で育てると、赤ちゃんは免疫力がついて病気になりにくい”
ということらしいので、
ゼニファーとはポコぞうが生まれる前から
母乳で育てようと話をしていたのですが、いざ生まれてみると…

しばらくは、上手くおっぱいが吸えず、乳首を口に含んでも
すぐにプイッと口をはなして、頑として飲もうとしない。
 
たぶんベイビーポコぞうは入れておっぱいを吸うために
力を入れるのがめんどくさかったのだろう。

ポコぞう基本スペック
・めんどくさがり屋
・自分の主張をはっきりする。

いまでも時々
『食べるのがメンドクサイので、まだご飯いらない』
などと言う。
でも、お腹は少し空いているので
食べさせてくれるんなら食べるけど。だと!

それならば、で食べ物をつかんで
『ぶーん、飛行機でちゅよ~、ポコちゃんのお口に着陸しますよ~。』
離乳食を食べさせていた頃の”アクション給餌”を、
ゼニファーがリバイバルしたところ
あれあれ?本当に口開けてパクっと食べましたね。

これは、ついこないだのことである。
ウン、メンドクサイというのは事実であったか!

そして主張の強さ!
だいたい小さい女の子が親の言う事を聞きたくないときには
やだ~』とか『イヤイヤ~』とか、
ちょっとはかわいく駄々をこねるのではないかと思うのだが
ポコぞうは言葉を話はじめたばかりの時から
イヤダ!』ときっぱりと言ってのけたのである。

三つ子の魂百まで
もう、おっぱいを吸わないというのは
少々お腹が空いたとしても、おっぱいを吸う努力を要求されようものならば
赤子とて簡単には従わぬ!という主張に違いない。

ハイ確定

しかし何事にもコツはあるのもの。

コツはおっぱいに吸い付く前の赤ちゃんの口の形
アヒルの嘴の形にしてからパクっとくわえさせると
チューチューと吸い始め、これで一気におっぱいファンになる。

アヒル口においてアヒルの右に出る者なし

これ以外にも赤ちゃんの頃のおっぱいにまつわる逸話
たくさんあるのである。
ん?”赤ちゃんの頃”って一体いつまでだろう。

なんとなく”小さくてよちよちしている頃”かなと思っていたのだが、
文章にしたためるのであれば、きちんと裏を取らなくては。

インターネットで調べるとすぐに以下のような定義を発見!

満1歳前まで
母子保健法では、
出生後28日未満の赤ちゃんを「新生児 しんせいじ」
生後0日から満1歳前までの赤ちゃんを「乳児 にゅうじ」
満1歳から小学校就学前を「幼児 ようじ」と表現します。
乳児=赤ちゃんだとすると1歳前まで、
そのため「乳児=赤ちゃん」「幼児=子供」と解釈すると、
出生直後から1歳になる前日までが赤ちゃん です。

”Ikuji×Log”より

すわ!問題発生
今から書こうとしているのは、ポコぞうがおっぱい離れする2歳7か月迄、
いや、それ以降も続く精神的なおっぱい崇拝のはなし。

世間的に赤ちゃんといのは1歳まで乳児なのか!
問題”とはそういう事である。

ん~、根拠は”母子健康法”(昭和四十年八月十八日法律第百四十一号)か、
赤ちゃんマッサージなどの”母子健康法(方法)”ならまだしも、
相手が法律とは、揺るぎなき定義だな。

いや、本来確認すべきは”何歳までを赤ちゃんと呼ぶか”という事ではなく、
”何歳くらいまでおっぱいの飲むのが普通か?”ということなのである。
そこで、こちらの内容も確認してみた。

Q. 何歳までどのくらい母乳で育てるべきですか
世界保健機関(WHO)は、赤ちゃんが生後6か月間のみ母乳で育てられることを推奨しています。これは、母乳のみを受け取り、他の液体や固形物は摂取しないことを意味します。6か月後、赤ちゃんは固形食品を食べ始めることができますが、少なくとも12か月間母乳育児を続ける必要があります。

”Dr. Mayank Saxena”(なぜかインドのお医者さん)

あ~、インドえらい!インドえらい!
(せんだえらい!のせんだみつおじゃないんだから)

少なくとも12カ月間母乳育児を続ける必要がある。
とマヤンク・サクセナ医師に言っていただきましたので
我が家に起こった事は世界的にも普遍的なことであるという
確信をもって書くことができます。

・乳児の頃のポコぞう。
はパッチリ目覚めて機嫌も良い時が多いのだが、
、眠くなるとグズる。

眠いのならばグズらず寝れば良いと思うのだが、
赤ちゃんなのだから仕方がない。

こんなときは、パクっとおっぱいをくわえさせると
一生懸命吸っていたかと思うとそのまま寝てしまうのである。

会社から帰ったら、座椅子にすわったゼニファーに抱っこされて
おっぱいをくわえたポコぞうと母子ふたりで
くっか~』と寝ていたり。
何この図?21世紀の聖母子像

こんな冷めた目の赤ちゃんはイヤだ。


・おっぱい=まんまのん
乳児にとって母乳は主食
だからおっぱい=まんま(ごはん)で”まんまのん”と呼ばれていました。

のおっぱいを吸い尽くしたら、
はんたいまんまのん』と次はを要求するポコぞう。

『ポコぞうに手向かってはならない。
ポコぞうがあなたののおっぱいを吸うなら、
のおっぱいをも向けなさい。』
マタイによる福音書 5章39節にそう書いてある。

ん?この時点で言葉をしゃべっているのでもう1歳すぎ、
乳児ではなく幼児だが。
それでも余裕でおっぱい飲んでいたのだ。

車に乗っている時でも、おっぱいほしくなると
おっぱ~い!』(”まんまのん”時代よりは成長した?)

一度、トトムが軽い頭痛でゼニファーが運転していた時、
突然『おっぱ~い』と泣き出す。

でも山道で車停めるところもないし、あと30分もすれば家に着くので
もうちょっとがまんしてね~
(中国赴任中に一時帰国している時なので、ゼニファーご実家に滞在。
この間トトムの家は日本にはないのだ!)

『おっぱい、おっぱい、お~っぱい。おっぱい』
ポコぞう、自分の要求が通らなくとも、あきらめず主張しつづける。

『おっぱい、おっぱい‥‥』

いつまで言い続けるんだろう?
途中からだけど、何回”おっぱい”というのか数えてみよう。
おっぱいの出ぬ父にはこのくらいの事しか、してやれることがないのだ!
許せポコぞう。ていうか面白半分なんですけど~。

『おっぱい』、
『おっぱい』、

『お~っぱい』、98
『おっぱい』、99
『おっぱい』、お~100回突破

『おっぱい』、288
あきらめることなく言い続けるポコぞう
『おっぱい』、376
もうすぐ家に着くぞ、ここまで来たらがんばれ!
目指せ400回!(なんの応援?)
『おっぱい』、400!  キキ―、家に到着
やりました!400回達成
(数えてない分を言えるとおそらく450回くらいか?)

『はいはい、待ちかねたねー。』車の中でおっぱいどうぞ。とゼニファー。
そういえばトトムはちょっと頭が痛かったんだ。(わすれてた)
すみませんけど、先に家に入って休みま~す。(下手へ退場)


こんなにおっぱいが好きだったんだから離乳は大変です。

マヤンク医師には1歳以上おっぱいをあげるのが良いと
言っていただいたものの、もう2歳を軽く過ぎちゃいましたよ。

さすがに来年は幼稚園
半日以上おっぱいと離れて暮らさなければならないのだ。

2歳半を節目にして
『あと1ヶ月したらおっぱいとバイバイしようね。』と説得。
案の定
『いやだ、おっぱいとバイバイしない。おっぱいはともだち~
と抵抗するポコぞう。

こういう場合は対価心の準備が必要。
『おっぱいとバイバイしたら、はなちゃんが来るよ』
はなちゃんとはベネッセの”こどもちゃれんじ”の付録で、
しまじろうという設定のぬいぐるみ人形である。
やっぱり男の子のしまじろうよりも、女の子のはなちゃんのほうが
良いらしく、目先のはなちゃん欲しさに『がんばる』という。

そして、日めくりカレンダーをつくって毎日にいっしょにめくる。

おっぱいバイバイカレンダー

そして2010年6月26日、おっぱいバイバイの日

いっしょにカレンダーの最後の1枚をめくって
これから最後のおっぱいでーす。

満足いくまでおっぱいを飲んだら、はなちゃんが来てくれたよ~。
嬉しそうにしまじろうとはなちゃんであそんでいたが、
やがて寝てしまうポコぞう。

後に恨まれるはなちゃん



でも赤ちゃんの頃から、寝入るまでのルーチンがおっぱいだったので
夜になると、やっぱりおっぱい欲しい。
『おっぱい~』と泣いて寝ない。

ゼニファーが夜遅くまでおんぶ(ダッコするとおっぱい余計に飲みたくなるから)して、寝落ちするまであやす。

不憫であるが、ここでおっぱいあげると1ヶ月かけて、
やってきたおっぱいバイバイ作戦が水の泡である。

心を鬼にして、おっぱいを我慢させるゼニファー。うるる

この後はさすがにおっぱいを飲みはしないけど、
『おっぱいにさわるのは良いんでしょ?』とおっぱい大好き幼稚園児に。

あれ?なんか変な方向に育って来たぞ。

更に、小学生になると、想像の翼がおっぱい方面へと広がる。

おっぱい山があるおっぱい島に住みたいとか
おっぱいドレスをデザインしたり。
ちなみにおっぱいドレスとは胸元を強調したセクシードレスではなく
ドレス全体がおっぱいの形をした、言葉で聞いても
にわかには想像できない斬新なもの。

あるいは『おっぱいのDVDがあればいいのに~』とつぶやく。
それはどっちかっつーとあるな。

そしてなにかとゼニファーのおっぱいタッチ。
想像の力を得て、おっぱいへの想いが強くなっているのか、
隙あれば服の上からでもハムっとくわえようとするので油断ならない。
この辺りは
シュペルターと歩む15年記#17 副乳からガンダムが見えた‼
に片鱗が現れています。

でもこれってさすがに中学生までは続かないよね~。

続きました。
つ~か、今でもやってます。

現在高二。そう、花も恥じらう女子高生なのである。
『いやもう高校生なんだけど。どうなんですか?本人的に

『いや、おっぱいは享楽なんだよ。
別に恥ずかしい事じゃないんじゃない?』
意味わからんし。

おっぱいの初心に戻ってもらおうと、生まれたばかりの頃のことを話す。

最初はおっぱい飲みたがらなかったんだよ。

『なんで、おっぱい飲むのを嫌がったんだろう。
もったいないことをした。』
痛恨の極み”らしい。

おっぱい飲むのをやめる時には、はなちゃんのお世話になったんだよ。

『はなちゃんに騙された、なんであんなのを欲しがったんだろう。
おっぱいのほうがよかった。』
はなちゃんへの恨み相当深そうである。

『今もおっぱいに対する思い冷めやらずだよ』
文学的に表現してもだめだから。


もしかして大学に入ってもこれ続くのかなぁ

いや逆に、ここまできたら大学に入ったからといって
何が変わるというのだろう
成人してもいっしょでは?と半分あきらめております。

ここまで、74回も『おっぱい』と書いてしまった。
これでは神様ではなくおっぱいに捧げるnoteではないか!
とりあえず前編は終了。

いつものように前置きを書いていたら、つい長くなってしまいました。
後編はもともと書こうとしていた神様の話になるはず。

『なりますように』パンパン。
これも神頼み


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