シュペルターと歩む15年記 #29
コラム20:ケンキューの夏、日本の夏 2017
さて、人と未来防災センターの防災・減災ワークショップで
”夏休みの自由研究にもピッタリ!”という
地震計作りを体験したことだし。
ついでにABCニュースにも出たことだし…
研究テーマ選定は万事解決⁉
◎地震大国ニッポン
・七つの火山帯に属している。
・世界中の活火山の10%が日本に集中している。
◎地震計の原理と応用
・P波とS波
・震源地の特定と緊急地震速報
果たしてそれで良いのか?(天使の声)
十分だろう(悪魔の声)
予定調和ではないだろうか?(天使の声)
もともとそのつもりでワークショップに行ったんだろ!(悪魔の声)
どうしよう?
夏休みは始まったばかり、もう少し考えて見ます。
地震というのは地球の活動ですから、
当然有史以前からあったはずです。
それこそプレートテクトニクスによる
インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートの衝突で生じた
7000万年から5000万年前のヒマラヤ山脈の造山運動は、
活発な火山活動と凄まじい地震を頻発させたに違いありません。
記録に残された地震となると、
日本では『日本書紀』に記載された
416年 允恭(いんぎょう)地震が最初の大地震とされていますが
被害の詳細は不明だそうです。
また平安時代には、清和天皇、陽成天皇、孝光天皇の
三代の御代に亘り記された『日本三代実録』に
貞観三陸地震と仁和南海地震を含めた地震の記録が詳細に記されています。
貞観(じょうがん)三陸地震は、
869年に三陸沖を震源として発生した
古代における最大クラスの地震であり
東北地方が津波に見舞われました。
また仁和(にんな)南海地震は、貞観三陸地震の18年後、
887年に起きたその名の示す通り南海トラフ地震です。
このように記録の上で、平安時代は現代地震研究の起源であり
またこの『日本三代実録』は約1200年前の平安時代前期に
30年間にわたって自然災害とそれへの対応について
網羅的かつ詳細に記録された
世界的にも例がない記録なのだそうです。
しかし、今回注目すべきはそこではない・・・そんな気がする。
白紙に戻す遣唐使
現代の学校では歴史の授業で年号を覚えさせられることは、
ほとんどなくなったのですが、これは誰でも知っている(ハズ)
遣唐使廃止 894年です。
仁和地震のわずか7年後、菅原道真の提案により約200年続いた
遣唐使が廃止され、
それにより、それまでの中国伝来の文化から離れ、
日本独自の「国風文化」が栄えていきました。
この国風文化の特徴は、
枕草子の”春はあけぼの”や”夏は夜”の一節からもわかるように
日本の自然や生活感情に合った、優美で細やかな文化であることです。
医療や科学・技術が未発達である平安時代
未曾有の大地震による被害は今以上に深刻であったに違いありませんが
日々の生活の中で、美しさを感じる心というのは
決して失われることはないのでしょう。
そこで2017年夏休み自由研究のテーマは
『平安時代の衣・食・住』に決定いたします。
というのは、実は後付けの理由で、
『ポコぞう、こないだ地震計つくったやん。
自由研究あれでいいの?』
『地震には興味ないね。やるんだったら平安時代!』
の一言で決まったんですけどね。
そう、小さい頃は日本のお姫様の着物には見向きもせず、
ディズニープリンセスのドレスに夢中だったのでうが
小学校4年生にもなると、
源氏物語を読んだり、十二単の女御の絵などを
スケッチブックに書くのが好きになっていたのです。
衣・食・住とは
文字通りは衣服と食物と住居。
生活の基礎であり、また概念的に『暮らし向き』を表すことばです。
子育て支援を政策に掲げながら、
減税も具体的な補助もしない政治家のように、
雰囲気で済ませることもできますが、
とりあえず文字通り、一つ一つやってみましょう。
まずは、調べることが最も多いと思われる住居について下調べ。
平安時代の建物といえば…
竪穴式住居!
いやいや、ウソや冗談ではありません。
縄文時代ではなくとも、リアルに庶民は竪穴式住居です!
平安時代ところか、一部の地方では室町時代くらいまで作られていました。
庶民の比率を考えると建築数の上では圧倒的に多いのでしょうが、
それでは平安文化を代表する建築様式とは言えない。
やはり平安時代は『しんでんづくり』。
神殿造の建築様式は、大きな敷地内の中央に、主人の住む「神殿」と呼ばれる主屋を置き、家族が住む「対の屋」(たいのや)を東西北の三方に配置して、その間を「渡殿」(わたりどの)や「透渡殿」(すきわたどの)という渡り廊下で結んだ形式が一般的です。
ちょっと待って!ストップ!
そんなに建物を建てたら模型を作るのが大変でしょ。
それに表記も違ってる。
いい、”寝殿造”よ。あなたのは”神殿”造り!
『神殿』造りと間違えると、小高い丘の上の石造りになってしまいます。
なるほど、寝殿造りというのは、個々の建物の構造ではなく
屋敷全体のレイアウトのことなのですね。
それにしても、最初から模型を作るつもりになっているのは
何故だろう。
たしか夏休みの宿題は”自由研究もしくは工作”であって、
”自由研究=工作”でも”自由研究および工作”でもないのだが、
昨年、立体日本地形図を作ったためか、
あるいは先日、地震計作りを体験したばかりだからなのか。
とにかく立体模型無しでは収まらないのが、ケンキューの夏なのである。
自由研究としては全体の配置である寝殿造りを説明し
その中でも主屋である寝殿を模型で再現するのが良いであろう。
平安時代の”住”制覇への橋頭保であると同時に最終目標でもある
寝殿造りの主屋である寝殿の立体模型作りから着手します。
改めて寝殿造りの寝殿(まぎらわしいな)について確認。
インターネットで調べれば、いくらでも詳しい内容が書かれているので
立体模型作りに必要な情報だけを書き出して見ます。
全体的な建物のイメージは
・土間式ではなく板張りで床が高く張られている。
・柱を始めとする全ての木部が、丹土塗ではなく白木造である。
・内部は丸柱が多い
・間仕切りや壁はほとんど無く、開放的
・屋根は入母屋造,葺き材は上等なものは檜皮葺
そして建物内の区画レイアウトに一定のパターンがある。
上から見て丸柱が碁盤の目のように、規則正しく並んでいて、。
柱と柱の間を文字通り”柱間(はしらま)”と呼ぶが、
部屋の大きさを柱間の数で表すのである。
寝殿の本体である、母屋(もや)の奥行(梁行という)は必ず柱間2つ分
すなわち柱三本分と決まっており、
長さ方向には、柱間3つ、5つ、7つ分などが代表的なサイズで、
それぞれ桁行三間、五間、七間(ななま)と表されるが、
これは現代の建築における寸法表記の七間(ななけん)=7×1.82mではなく
柱間という最小単位何個分?という表し方である。
ちなみに柱間の寸法は、柱の太さによっても違っており
最大では3mくらいであったらしい。
また母屋の外側には一間分の廂(ひさし)と呼ばれる延長部分がある。
廂は正面だけとか、正面と側面の一方だけとかに付けても良いが
もっとも立派な屋敷は母屋の全周に廂がついたものである。
この情報だけではやはりイメージがつかめない。
実物の寝殿造りを探して京都まで取材に行ってきました。
まずは京都御所。本物且つ最上級の寝殿です。
でも、なんだか立派過ぎて、構造がよくわからない。
続いて、宇治源氏物語ミュージアム!
平安時代にタ~イムスリ~ップ!
これは実物大模型ですね。しかも廂の一部分だけ。
あちらにみえるのは光源氏か?
いや薫の君らしいぞ!
覗き(当時は優雅にも垣間見と言っていたらしいが)は恋の始まり♡
という平安時代の情感はひしひしと伝わるものの
模型作りの参考にするのはちと無理がある。
無駄足だったか?
いいえ、全然大丈夫。
とういのも、そもそも取材に行ったのは、
京都御所は夏休みも終わった翌月9月、
宇治源氏物語ミュージアムに至っては翌年3月になってからのこと。
模型を作っておいてから、後付けで実物を取材して
自由研究に箔をつけるというのは往々にして、よくあることですが
自由研究の提出期限を過ぎてからでは、
もう最初から無駄足というべきか、
あるいは最初からわかっているのだから無駄足ではないともいえるだろう。
要は単なる興味に任せた観光です。
などと叙述トリックもどきの変な理屈をこねていると、
note世界でもあっという間にお盆休みになってしまいました。
子供の頃はお盆を過ぎると、急に海水の温度がひんやりとして
海水浴には向かなくなるし、
長い夏休みもあと半月しかないんだと思うと
そこはかとなく寂しい気持ちとなったものです。
大人になってからはトトム実家への帰省が恒例のイベント。
実家ではプラモづくりも出来ないので、
自由研究の工作に力を注ぐことができるのですが、
結局、何の準備もせずに帰省してしまった。
8月11日
頼りは時と場所を選ばぬスマホ検索!
”Safari”で『寝殿造り』と打ち込むと
実に分かりやすい画像が出てきました。
まさに広島に居ながらにして、あんじょう京都!
デジタルにして、ゆかしき平安時代です。
ただ、このような博物館に展示してあるかのような正確な再現模型は
小学生の自由研究としてはどう考えてもおかしいので、
小学生でもがんばればできる(かな?)というレベルを目指すのである。
”ベース板に基礎を作り、柱を立てて、床を貼り”、
という実物のような工法は到底できるものではない。
重要なのは素材選び。
何かか良いベースになるものはないかと思っていると、
ちょうど帰省のお土産として、たった今両親に渡したばかりの
”たねや”のお菓子の箱が目に入りました。
蓋を逆さまにすれば、本体に被さる部分を
勾蘭(欄干)に見立てることができそうです。
かなり厚手の紙で出来ており丈夫さは申し分ないが、サイズは?
測ってみると21㎝×30㎝、きれいに7:10なのですが
奥行7間、桁行10間という建築サイズはない。
待て待て、廂の周辺には簀子(すのこ)という
通路兼宴会の座を設ける場所という、
なんだか意味のわからないスペースがあるのである。
この簀子の間隔を周辺に2㎝ずつ確保すると
建物本体部分は17㎝×26㎝
梁行は4間と決まっているので、柱間寸法は17÷4=4.25㎝である。
では桁行をどうすれば良いか考える。
桁行は5間、7間、9間のうちいずれか。
桁行5間の柱間寸法は26÷5=5.2㎝
同じく、桁行7間の柱間寸法は3.7㎝、桁行9間では2.9㎝
もっとも正方形に近いのは桁行7間となる。
両側の廂の1間ずつを引くと、母屋は桁行5軒。
もっとも標準的な寝殿のサイズです。
おまけに塗籠(ぬりごめ)も作ってあげれば、
平安時代の高級住宅の出来上がりである。
ちなみに塗籠というのは母屋の一部を漆喰の壁で囲った小さい部屋。
初期は屋敷の主人が寝る部屋であったが、
後期には貴重品を保管する納屋のように使ったとか。
お菓子の箱のままでは板張りの床には見えないので
茶色のカラー画用紙でも貼ってみるか。
と思っていると、おじいちゃん(←ポコぞうから見て)が
『これは儂が、地元の大企業に納めた所長室用の壁紙の残りものじゃ』
とおそらく30年以上は前の木目シートをどこからともなく持ち出してくる。
なんせ、その時点で父親(←トトムから見て)が、
勤めていた文房具屋を定年退職して26年以上経過しているのだ。
見ると最近のもののような木目調のビニールの壁紙ではなく
本物の木材を薄くスライスしたシートである。
(したがって写真のように丸めることはできない。)
きっと今はもうそこにはないのだろうが、
地元の大企業の所長室の壁紙と同じ木材シートで
小学校の工作をするというのはなかなか愉快。
かたじけない、使わしていただく。
あとは柱に使う木製の丸棒や角材、
内装用のカラー画用紙、手芸用の布を何種類か
地元のホームセンターユーホーで買って来れば
材料の現地調達は完了です。
道具は?
日曜大工はおじいちゃんの趣味
カッティングマット、カッター、キリ、のこぎりなんでも出てきます。
まず木材シートをたねやの箱のフタの内側に
ピッタリのサイズに切って貼り付け、
更に母屋の部分は一段床が上がったようにするため
木材シートをもう一枚重ね貼り
その後、柱の位置にキリで穴を開けて、
丸棒を切って作った柱をその穴に通して木工用ボンドで接着。
写真では見えませんが、高床にするために1㎝分、
反対側に突き出しています。
柱の数は全部で37本、穴明けも丸棒切断もなかなか大変であった。
イヤ、ポコぞうはさぞかし大変だったであろう。(;^_^A
垂直の丸柱が立ったら今度は水平の梁や桁を角材で取り付けていく。
先に立てた丸柱の上端が梁に密着するように、
丸柱の高さを調整削りしながら取り付ける必要があり
結構難易度が高い作業である。
ここはトトム主力で作業を行い、
その間にポコぞうは調度品などを手芸用の布やボール紙で作っていく。
ここまで出来た時点で既に18時30分
今日はここまでとして、皆でご飯を食べましょう。
8月12日
”住”は目途が立ったことだし、本日は別のジャンルに手を広げましょう。
実家であれば一番無理が利くのが、食材・調理アレコレ。
”おばあちゃん”(←ポコぞうから見て)という指南役もいることだし
(もちろん平安時代から生きているわけではないですけど)
ということで、平安時代の”食”にチェレンジ。
さすがに”食”は工作として平安時代の食品サンプル
を作る訳にはいきませんので”コンセプトは”体験型”。
防災・減災ワークショップから、このコンセプトだけいただきます。
要は平安時代の食事を作って、食べた感想をレポートするのである。
平安時代の”食”とは
(あくまでポコぞうが調べた内容ですが)
・料理法はあまり発達しておらず、
ほとんどの食べ物に味付けがされていなかった。
主な食材
野菜・魚・山菜
調理法
蒸す・煮る・焼く
調味料
塩・ひしお・酢
これを参考にして、まずは食材集めから。
主食はお米ですが、平安時代は玄米です。
幸いにもうちの実家はお米をつくっている親戚から
玄米をいただいているので、簡単に手に入ります。
あとはおかずを買いにいざスーパーへ!
地の利に詳しいおばあちゃんを連れて、
トトム、ゼニファー、ポコぞうと全員出動。
(あっ、おじいちゃんはお留守番です)
野菜はごぼうや里芋などが良く食べられていたということですので
現代でも簡単に手に入るものばかり。
また当時、食材をきちんと料理して食べるというのは
貴族社会の事であり、平安京の地理をイメージしますと、
海の魚は鮮度を保つのが難しい。
きっと主に食べられていたのは川魚だったに違いない
ということで、鮎を探します。
おつ!スーパーにもちゃんと鮎が置いてありました。
(スーパーで川魚!臭みがないか?味はいささか心配です。)
まずは玄米を洗います。
五分付きや七分付きの精米なら食べることはありますが
まるっきり精米していない玄米は初めて。
お米を洗っても全然研ぎ汁が白くなりません。
逆に洗い終わりがわからないのだが、適当に洗えば十分。
鍋に移して、水に浸している間におかずを作りましょう。
ごぼうと里芋はよく洗って、皮をむかずにそのまま煮ます。
灰汁が出て、だいぶ煮汁に色がついていますが、
それをざるにあげて水で冷やします。
玄米を水に浸してから、15分くらい経ったので火にかけます。
引き続き野菜の調理。
ごぼうは皮まで柔らかくなったのでそのままお皿に移しますが、
里芋はさましてからの皮剥き。
包丁とかで剥くのではなく、指で強くこすってツルんと剥がす感じ。
結構ヌルヌルして一苦労。
3つで10分くらい掛かってしまいました。
そうこうするうち、玄米が炊きあがったようですので、
火を止めて蒸らします。
次はいよいよ魚。
鮎を水洗いします。
ポコぞうさん魚もお願いしますよ。
キャンプの帰り釣り堀でヤマメなどを釣った時も、ポコぞうは
決して魚にさわらなかったのですが、
夏休みの宿題である自由研究となれば、やるしかない!
どうですか?魚を触った感想は?
『つるつるしてかわいい。』
へー、新境地やな。
キッチンペーパーで水分を取ってから、塩を振りかける。
まんべんなくかかるように高い位置からパラパラ。
でも粗塩は結構べっちょりしていて、パラパラというよりもボタボタです。
尻尾には焦げないように、多めに塩をまぶすのがおばあちゃんの知恵袋。
これをグリルに入れて焼きあがるのを待ちます。
これで平安時代食の完成!
お皿に盛付けて、いざ試食。
すでに時刻は17時30分。
夕食前の前菜としていただいちゃってください。
主食の玄米おこわは強米(こわいい)と言うそうです。
調味料とともにいただきましょう。
調味料は資料で調べたところ、塩、酢、ひしお、酒。
ひしおはないので醤油で代用。
酒は雰囲気で一応器に入れてみましたが、当然ポコぞうは食べません。
次はおかず。
残り物のキュウリの浅漬けと御御御付(味噌汁)も付けて
料理感をアップ
それではポコぞうさん、食した感想をお願いします。
玄米おこわ
ごはんがパラパラして箸でつかみにくい。
かたいけどもっちりしていて、特に醤油につけるとおいしい。
里芋とごぼうの煮物
芋は少しかたかった。でも意外とおいしい。
鮎の塩焼き
ふわふわして甘い感じ
『平安時代、びっくり!おいしい!』
おまけ
デザートは?
平安時代のデザートとして
氷室でつくった氷を砕いて、
それに蔦の茎から集めた甘い汁をシロップとして掛けた
かき氷があったらしい。
でもシロップになるほど茎の汁を集めるには
山ほどの蔦が必要なので
蔦採集の雰囲気だけ、やってみました。
8月13日
寝殿の続き。
今日は朝から始めて、完成まで辿り着くつもりです。
柱や桁といった屋敷の骨組みはだいぶ形になっていますので
残りの梁をどんどん追加していきます。
すべての木材部分を取り付け終わりました。(写真がないのですが)
でも、まだお屋敷という感じには程遠いです。
どちらかというとジャングルジム。
部屋の仕切りや内装を施さないと。
まず一番外部にある建物の外と中を仕切る建具が蔀戸(しとみど)。
跳ね上げ式で昼間は蔀戸を開け放っていました。
上下分割タイプで上半分が跳ね上げ式、下半分が取り外し式のものは
半蔀(はじとみ)といいますが、どちらもボール紙で作って
木工用ボンドで接着します。
めんどくさい事に、蔀戸は細かい格子になっているので
ボール紙に方眼紙のような縦横の線を細いマジックで描き込みます。
3㎜の間隔で線を引くと、線の数は
蔀戸6枚、半蔀11セットで合計538本にもなりました。
ちょっとポコぞうに線引きが出来るかどうか試してもらったのですが、
同一間隔で平行な規則正しい直線を多数描くことは
さすがに小学4年生には、無理なようで
とんでもないことになりそうでしたのですぐに取り返して、
トトムがやりました。
屋敷の四隅には夜間の出入口用の妻戸がありますので
これもボール紙で作ります。
観音開きなので、戸の合わせ目と上下に切り込みを入れれば
開閉も可能になります。
母屋の一面には襖障子を取り付けます。
これは現代の襖(ふすま)と同じく引き戸式の開閉ですので
スライド用のレール溝をつくれば可動式に出来るな!という考えが
ふつふつと沸き上がったのですが、
”小学四年生でも(頑張れば)製作可能なレベル”という自戒を
最初に設けていた事を思い出して泣く泣く固定式に!
でも襖の絵はポコぞうがきれいに描いたので
満足の出来上がりになりました。
塗籠の壁や柱と柱を中間で支える補強材である長押(なげし)
よりも上部の塗り壁もボール紙で製作。
ちなみに長押は木材では再現していないので、
塗り壁のボール紙の下端に絵を描いて再現します。
ここまでが建物に固定されるものですが、
塗籠の中に、屋敷の主の寝所である御帳台も置いておきます。
さらに細かい調度品を作ります。
【塀障具】
広いオープンスペースが基本の寝殿にパーソナルスペースを作るための
移動式のパーティション類です。
なんと!平安時代の調度品を説明するのに外来語が大活躍とは!
・御簾(みす)
簾(すだれ)を丁寧に表記したものだが、要は上等なすだれ。
葦の簾をイメージして黄緑の画用紙に細かく切れ目を入れます。
定規とカッターナイフを使って細く切れ目を入れるのも面倒なので…
いや天然材料の無造作感を出すために
画用紙を半分に折り、切り離してしまわないように注意しながら
折った方からハサミでちょきちょきと大胆に切って行きます。
両端の切り込み長さが不揃いなところと中央の折れ目のところには
濃い緑色の画用紙を帯状に切って貼れば、
見た目アップ、強度もアップですが、
最も切り方をミスした御簾は目立たぬようロールアップしときました。
・几帳(きちょう)
T型のフレームから布を垂らした移動式のカーテン
こんなこともあろうかと、丸柱よりも一回り小さい丸棒を買っていたのだ。
適当な木片をベースにT型に丸棒を接着し、
これまた適当な布片を糸で括り付ければ出来上がり。
大量生産するために再現度は抑え気味
・屏風
これは言葉そのまんま屏風です。
厚紙に千代紙を貼り付けて連結。
でも連結は後ろからマスキングテープで貼っているだけという手抜き
【座臥具】
フローリングでの生活を快適にするための敷物類
・置き畳
寝殿造りでは畳は敷き詰めるのではなく、
必要なところだけに敷いて使いました。
まさに、「取った!ここ俺の陣地な~」
置き畳作りはポコぞうの担当
丁度手芸用のちりめんの布が畳の目に見えるので、
これをボール紙に貼り付けるだけ。
畳も量産するために畳縁の再現は断念
・円座
藁などを渦巻き状に編んだ座布団。
綿入りの平たい座布団である茵(しとね)というのもあるが、
円座のほうが見た目も面白いのでこちらを製作
タコ糸を木工用ボンドで貼り付けながら、
渦巻き状に巻けば出来上がり。
簡単ですが、ボンドで指がべちゃべちゃになります。
これらを寝殿に配置すれば出来上がり!
完成したのは良いが、ここは自宅から230㎞ほど離れた実家です。
移動は車とはいえ、持って帰るのに気を遣いそうでしょう?
大丈夫なのです。
蓋を奪われた菓子箱の中に、それでもまだ健気に
ちょこんと残っていたたねやのお菓子たち。
今度は箱の中から立ち退きいただき、
無理矢理空にした箱を被せればこの通り
携帯性もばっちりです。
自宅に帰ってから、やはりボール紙で入母屋造りの屋根も再現しました。
しかも折りたたみ式で、たためばたねやの箱の中に
収納することが可能です。
この屋根は小学校四年生には完全にオーバーテクノロジーでしたね。
ちなみに再現度を確認するために、ネットの資料や実地取材した写真と
比べて見ました。
まずは内部構造
写真が小さいと粗が目立たず、
本来の意図に反してなかなかの再現度に見えます。
そして外観
お空の青は、神戸市指定の青いゴミ袋、
樹木は食器洗いのスポンジをちぎったものという
超あり合わせの特撮なのは、ご愛敬。
最後は折角なので『源氏物語』のワンシーンを!
これはもう、ムリムリですね。
ポストお盆
お盆休みも終わり自宅に帰ってきました。
残るは平安時代の”衣”
平安時代を代表する衣服で、誰もが知っているものといえば
やはり十二単(じゅうにひとえ)、
十二単を作らずして、平安時代の何を作ったと言うのか?
というほど必須アイテムです。
まずは図書館で被服の観点での十二単の資料を調べてみよう。
神戸市図書館のホームページで
それらしいタイトルの本を見つけて予約。
近所の図書館は小さいので系列図書館から取り寄せてくれるのです。
到着の知らせが来て、早速借りに行く。
うわっ、何か本格的な感じ
一連の資料写真の後に『序文』あり。
そして『序文』があるのに、次のページが『序文にかえて』とは!
いずれもこの本の筆者ではない北村さんと山邉さんの
”序文陣地取り”なのだが、
ややこしい大人の事情でもあるのだろうか。
被服の一着毎の作り方が書かれているので
資料価値は高いのだろうが
十二単の最も重要な要素である色の合わせというところは
皆目イメージできません。
しかも、平安時代当時の衣服をガチで作る気満々の資料なので
もう夏休みの工作というレベルではありません。
1/8くらいにスケールダウンするとしても、
下着である単(ひとえ)、
重ね着をする色とりどりの袿(うちき)3着、
模様のついた表着(うわぎ)
と十二単に必要な最低限の5着と袴を揃えるだけで
どれだけ製作に時間がかかるのかわかったものではない。
では平安時代の”食”に引き続き
『十二単を着る』という体験型レポートはどうだろう?
京都なら十二単の着付け体験と記念撮影のお店がたくさん見つかります
例えば伏見区の雪月花苑
着付けだけで5万円~
撮影するとCDデータ付きで10万円~
高っかいな!
でも写真館の撮影でアルバムまで作るなら
そのくらいはするかぁ~。
なお京都でたくさん十二単の取り扱い店があるといいましたが
雪月花苑さんの名誉のために、同社のHPからチラリと紹介
問題は…
そんなお金にものを言わせた自由研究で良いのか?
いやそれ以前に、
『京都へ行って十二単着てみました~』
などという自由研究は
クラスメートの好感度が極めて低いことが容易に予想される。
これは当然却下ですね。
でも雪月花苑の衣装紹介写真で色合わせのイメージは湧きました。
やはり人物の立体模型となると
現代ではフィギュアがもっともポピュラーな表現方法
ネットで『フィギュア 十二単』で画像検索すると
フィギュアって言っているのに着付けをした人物の写真ばかり出てくる。
今度は『フィギュア 平安時代』で検索すると
陰陽師みたいなフィギュアが現れる始末。
たしかに平安時代だが”これ”ではない。
他にはやっぱり”フィギュア”だと言っているのに、
十二単のイラストがゾロゾロ
やっぱり十二単のフィギュアは存在しないようです。
まぁ有っても、ボンキュッボンのお姉さんフィギュアになる事は
想像に難くないので小学生の研究としては不適切おびただしい。
フィギュアがダメならドールである。
フィギュアとドールの違いを専門的に調べた事は無いですし
敢えて調べようとも思いませんが、
おそらくフィギュアが服や髪も含めて
樹脂や金属などの単一素材で出来ているのに対して、
ドールは布製の衣服を着て、髪の毛は人工毛髪を植毛されている
ということではないだろうか。
ドールねぇ、ドール・・・
身近に有るではないですが!
そう、ひな人形
ひな人形のお内裏様とは皇室のことであり、
皇室の正装が十二単なのですから、当然ですが、
たしかにひな人形は布製の十二単を着て、
髪の毛も植わっているドールです。
ひな人形の十二単は素晴らしいのですが、
ひな人形を買って、脱がすわけにもいきますまい。
(たぶん脱げるようになっていないはず)
やはり着せ替え人形関係で調べるしかないか。
図書館のサイトで改めて、”ドール”、”十二単”で調べ直すと
こんな本が見つかりました。
『わたしのドールブック ジェニーNo.13 十二単と花嫁衣裳』
どんな本だろう? こんなのかな?
待ちに待った本が最寄りの図書館に到着しました。
表紙の写真 神楽?大丈夫だろうか?
花嫁衣裳の白無垢はかなり可愛いな。こっちを作るか。
と気持ちがあらぬ方向へ行くのをおさえつつ、
本を開いて内容を見てみる。
表紙の十二単は正装の簡略バージョンなるものらしいのですが
ここまで小物を作り込む必要は無いだろう。
もう少しラフな着こなしも載っており
様々なアレンジができる模様です。
なるほど、さすがに着せ替え人形の専門書だけに
人形にキレイに着せることを前提に
うまく十二単の作りをアレンジしている。
実物のように着物を着る場合には、袿は1枚のみで
単、袿、表着の3枚重ね。
それ以上の重ね着をする場合には、
袖と襟から裾にかけての部分のみ、布を幾重にも重ねて縫い付けた
打衣+五衣というものを別に用意します。
実物大の型紙が付いているところもポイントが高い。
ポコぞうに色のデザインをしてもらってから
ユザワヤに布の買い出しに行きます。
色とりどりの布がロールで売っています。
特にピンク系は諧調が豊かで、いい具合に濃さの違う布が揃っています。
色も大切ですが、人形に重ね着させるので、
なるべく薄い生地を選ぶ必要があり、いろいろ迷います。
おそらくブロードかシーチングを選んだと記憶していますが
定かではありません。
実は買いたい生地が決まっても、すぐには買えません。
ロール売りなので裁断台で寸法を指定して切ってもらう必要があるのです。
普通に服を作るのであれば、メートル単位で買うのでしょうが、
人形の服なのでロール幅が1.1mならば裁断寸法は
最低単位である50cmくらいで足ります。
色とりどりのロールを何本も小脇に抱え、
裁縫が趣味と思われる奥様方と一緒に裁断待ちの列に並んで、
しかも一色あたり最低単位の長さを注文するおじさんの図は
あまり見られたものではない。
しかしロールで買えるならば、まだ幸い、
難しいのは表着用の模様が入った布選び。
人形サイズでちょうど良い模様は、
人間サイズにはパターンが小さすぎてなかなか無いのです。
端切れコーナーで探します。
色と模様がイメージにピッタリなのがなかなか見つからないのですが
あったとても、端切れ1枚では寸法が足らず、
2枚で同じ色と模様が揃っているのを漁りまくって
なんとか見つけることができました。
布が揃ったら、裁縫には取り掛かれるのですが、
並行して十二単を着せるジェニーちゃん探しもしなければ。
折角十二単をつくったのなら、やはり人形に着せたいというのもありますが
裁縫中に寸法や形がうまくあっているのか確認するための
トルソーとして使いたいからです。
ちなみにリカちゃん人形もジェニーちゃんと同じ
タカラトミー製の着せ替え人形ですが、代用はできません。
なでなら!
ジェニーちゃんとリカちゃんではサイズが違うのです。
ちなみにバービー人形も顔がバタ臭過ぎて、十二単を着せるには論外です。
やはりジェニーちゃん人形がどうしても必要なのですが、
本に載っている黒髪のジェニーちゃんは通常は販売されていない
特注品らしいのです。
茶髪でも、なるべく和服が似合いそうな、
日本美人のジェニーちゃんを探さなければ。
ロサンゼルス出身17歳という設定のジェニーちゃんに
日本美人を期待するのは無体な話ではありますが。
さすがにこれはおじさん単独では遂行不可能なミッションですので
ポコぞうを伴って、ホビーOffに出かける。
店内をウロウロ探し回わり、ビニール包装されたジェニーちゃんが
無造作に放り込まれた段ボール箱を発見。
よし、面通し開始。
やっぱり皆さん金髪なのですが、よく見ると
意外に肌が小麦色だったり、
髪の毛がウェービーだったり(これは編んで遊んでいた型がついている?)
お化粧が結構濃かったりと、ジェニーちゃんも個性がある。
おじさんと女の子が、棚から引っ張りでした段ボール箱を囲んで
床にしゃがみ込み、真剣な顔つきで
『これでもない、これでもな~い』とつぶやきながら
一つ、また一つとジェニーちゃんを吟味していく様子は
ちょっとした夏の怪談です。
おっ、これは色白でなかなか良い。髪の毛もサラサラの
大和撫子候補のジェニーちゃんをやっと見つけたのですが、
前の持ち主の子供のいたずらか、胴体にマジックで何やら文字が書いてある
残念。
ほぼ段ボールの底が見えるくらいまで掘り出して、
やっと平安金髪撫子にピッタリのジェニーちゃんを
見つけることができました。
さて、これで準備が整いました。
本格的に裁縫に着手しようと思うのですが、
もう夏休みはあと1週間余り。
勿論トトムは毎日会社に行くという
なぜか世界中の大人が負っている義務を果たさなければなりません。
自由研究で忙しいのに仕事をしないといけないとは!
憲法の基本的人権に
子供の自由研究を手伝う権利>勤労の義務
と謳ってほしいものです。プンプン!
これは一丁アレをやらねばなるまい。
とうさんが~夜なべ~をして、十二単縫っただよ~♪
の覚悟です。
これまでの趣味人生において、裁縫というのはやったことがなく
未知の世界であるというのも大きな障壁。
実物大 型紙ってどうやって使うのでしょうか?
いくら布が薄いからといって、型紙の上に布を重ねても
型紙の線が透けて見えるわけでもないですし、
逆に布の上に型紙を置いてクリップか何かで固定し
型紙ごと布を切ろうにも、布がふにゃふにゃ曲がったり
伸びたりしてとても型紙通り正確に切れるものではない。
結局最初に型紙を切り取って、布の上に置き
輪郭と折り返し線の要所要所を布にマーキングすることにしました。
なお折り返し線のマーキングは型紙に太目の針で穴を開けて置いて
その穴を通して鉛筆の先でマーキングします。
世の中の正統派の手芸が趣味の人はどうやっているのだろう?
縫製もなかなか難しい。
どうしても引っ張ると伸びてしまう布地を
正確に縫い付けること自体も難しいのですが、
説明の文章における縫製独特の言葉遣いや
図の解釈の仕方も、裁縫に慣れていないモデラーには
かなり難解な謎かけです。
『後ろ身頃の後ろ中心を中表に合わせて縫う』から始まり
『袖の表と裏を中表に合わせ、袖口を縫う』を経て
『おめり分(0.2~0.3)を残して裏布を袖裏に折る』
『身頃の袖付けに表袖を中表に合わせ縫う』って
裏が表か、表が裏なのか?まるで最後の10分で大どんでん返しのある
サスペンス映画のようです。
『前後ろ身頃の脇を、身八つ口開き止まりまで縫う』
に至っては、八ツ口とはなんなのか?
開き止まりというのはどこが開いているのか?
説明および図があるのに何をどうしたらよいのか想像が付きません。
幸いにも単、袿、表着は基本的なつくりは同じですので
試行錯誤を繰り返し
”縫い目を見せないよう、基本裏地側を表にして縫った後に
表裏をひっくり返す”
という縫製の基本的な哲学がなんとなく肌で感じられるようになれば
しめたもの。
袴や筒袖などのパターンが異なるものも何とか理解できるようになります。
ちなみに、連日、夜なべ仕事をこなし、
なんとか夏休みの最終日までに、
単、袿1着、表着と袴という最低限の組み合わせを作ることができました。
この間にポコぞうは、立体作品の工作とはほぼ関係のない
自由研究の成果を画用紙にまとめ終えておりスタンバイ完了。
自由研究本紙でのポコぞうによる十二単の説明は?
当時は女房装束と呼ばれていました。
「十二単」という呼び方がおかしい。
重ねているのは袿の方で単を重ねているわけではありません。
枚数も必ずしも十二枚重ねるわけではありません。
「襲(かさね)の色目」がおしゃれポイント
袿は重ねる順に袖の長さが短くなっていき、
重なり合った色がきれいに見える。
これを襲の色目と言い、最大のおしゃれポイントでした。
この研究内容に添える立体作品とはいえ
ジェニーちゃんに着せて学校へ持っていくのは
どうかと思うので、段ボールで簡単な和服掛けを作ります。
もう本当に余力が残っておらず、フラフラなので
かなり適当なものになりましたが、
十二単を掛ければ見えないので許していただこう。
夏休み明け
ポコぞうの自由研究による、平安時代の衣食住まとめ!
女房達は廂に住んでいました。
部屋をしきったのは屏風や几帳なので
倒したりしたら簡単に入れると思いました。
でもそんなことはふつうしませんでした。
なぜならここからは入ってはいけないものだというふうに
みんなが思っていたからです。
平安時代の人は、上品だなぁと思いました。
わたしは紫色が好きなので、紫色の襲の色目に『夏の藤』
という名前がついているのがすてきだなと思いました。
季節によって襲の色目が変わり、いろいろな種類がありました。
平安貴族はおしゃれだと思いました。
色についてもきょうみがわきました。
その色の襲の名前もロマンティックでした。
お~、もともとの研究テーマの本質を突く
なかなか立派なまとめではありませんか?
トトム手伝い率70%の寝殿の模型も、
手伝い率98%の着せ替え十二単、もとい女房装束も
ポコぞうがまとめたような平安時代の精神性まで表現できているものでは
ありませんが、どうぞ学校へ持って行ってくださいませ。
『ところで自由研究の立体作品を見た学校のみんなの反応
どうだったん?』
(やっぱり気になるトトム)
『寝殿は、おお~って感じで、みんな集まって来たよ』
(たかだか2日余りで仕上げた作品で、そんなに感心してくれるとは
まだまだ子供よの!ふっ)
『じゃあ、渾身の力を込めた十二単は、うお~!!
って感じじゃなかった?』
『いや、それが、もう理解の範囲を超えたみたいで
全員引き気味でした。』
『うむ、さすがに小学生には売り物にみえたのかもね。
でも先生はさすがに”すごいね”って言ったんじゃない』
『ううん、先生が一番引いてた』
(確か私小学校4年生の担任だったよね?と言う所か
しまった!やり過ぎた)
ちなみに自由研究の提出は終わりましたが、
2学期が始まってからも五衣付きの打衣と唐衣に挑戦!
より豪華な十二単をジェニーちゃんに着せてあげたいもの。
今年の闘いも終わった。
果たして来年は何が待っているのか⁉